四章「正しい意義」①無力証明

 モヤがかった記憶は、どれ程頑張っても思い出せるのは一言だけ。


 ――いつか英雄になって、私を助けてね。


 それ以上は思い出せない。それ以前が思い出せない。鍵となるのは、この言葉のみ。それだけが記憶のない刀護が自分自身の何かと繋がれるものだった。

 自分は、何者なのだろうか。

 何が出来るのだろうか。

 どこへ行くのだろうか。

 本当に、英雄になれるのだろうか。

 その問いかけに、答える者はいない。


 ――なれるよ、あんたなら。私のことを救ってくれたんだから。


 誰かが、答えた。



   ***



 重い瞼を開ける。どれくらい眠っていたのだろうか、一分だったかもしれないし一時間だったかもしれない。ただ悠然と闇を見ていた気がする。頭痛を憶えて頭を押さえた。何だか布のような感触を感じる。

 視界がはっきりすると、今までに見たことがない天井だということに気づく。病院という訳ではなさそうだし、古臭いがどこか落ち着く色合いだ。


「だったらどうするんだ」


 低く怒りの色が、しかし冷静さがきちんとある声が部屋の中に響く。この声を、刀護は知っている。

 ――暮人くれとか……?


「状況はわかっているよ、慌てるべき状態だ。だが君は見たところ賢そうだ、一筋縄ではいかないことくらい、わかっているのではないかい?」


 暮人の声より遥かに落ち着いた女性の声だ。焦りの色が見えず、あくまで淡々と事実を述べるのみ。

 ゆっくり体を起こすと、それに気づいたのか、彼らが視線をこちらに向ける。暮人の他に緑色のパーカーを着た女性と、金髪の長身男性がいた。

 暮人がこちらに近づいてくる。


刀護とうご! 大丈夫か?」

「あ、あぁ……頭が少し痛むけど……」


 どうして頭から鈍痛がするのか。冷静になってようやく刀護は気を失う前のことを思い出した。


 ――……そうだ、狭間はざま!! あいつが危ない!


 自然と体が動いた。鈍痛もぼやけた意識も関係なく、刀護の意識は自然に外へ繋がる扉へと導かれた。ドアノブに手をかけようとした時に、静かな声が聞こえてくる。


「外に出てどうするんだい?」


 先程と同じ女性の声だ。

 刀護は叫ぶ手前のような声で女性に告げる。


「決まってんだろ! 助けにいく……!」

「場所は? 移動手段は? 本当に一人で全てのしがらみを突破することが出来るのかい?」


 はっとなって立ち止まる。

 自分一人で解決出来るのなら、今頃こんなことにはなっていない。渚は連れ去られていないし、奪い返しているだろうし、自分の負傷も最低限で済んだはずだ。倒れ、包帯を巻かれ、ここにいる。それは刀護にとって、何よりの無力証明であった。

 俯いて、ぐっと拳を握る。

 女性が刀護に近づき、包帯の上から頭を触った。


「ふむ……まぁ、こんなものだろうか。さぁ、君もこちらにおいで。作戦会議を始めようじゃないか」


 無言で頷く。女性は「よし」と言うと、彼らを応接間に案内した。刀護の隣に暮人、その向かいに女性、男性と座っている。

 女性は咳払いをすると、眼鏡を触りながら話し始める。


「まずは自己紹介からだね。私は浦津椎名うらづしいな、ここで探偵をしている。彼は……」

「あぁ、僕は鳴上右京なるかみうきょう。この、鳴上探偵事務所の所長をしているんだ」


 続いて暮人が自己紹介をし、刀護が名乗ろうとした時だ。


「いや、大丈夫。君に情報は粗方知っている」

「え……?」

「そのことは後回しだ。ともかくは、こちらの話を聞いて欲しい」


 椎名は指でデスクの方を指さす。すると右京が立ち上がり、そちらの方へと歩いていった。それを見送ると刀護、暮人と順番に顔を見ながら話し始める。


「恐らく、君たちが知りたいのは急に出てきた男たちの話だろう?」

「君たち……?」


 刀護は暮人の方を見た。

 苦い顔をしながら、暮人が頷く。


「あぁ、リーダーがいない状況でチームの何人かが攫われてな。必死に追いかけたんだが、途中でお前が倒れている所を見つけて、それどころじゃなくなった」

「それは……ごめん」

「気にすることはねぇよ、それはオレが選んだことだからな」

「そして、刀護くんを目の前にして困っている暮人くんのところへ、我々が合流したという訳だ」


 つまり、あの後かほぼ同時に暮人のチームも『カルナバル』と名乗っていた男たちに襲撃されたのだ。その間、刀護はずっと道端で倒れていたということになる。見つけて貰えたことは本当に運が良い。

 椎名が「さて」と続ける。


「話が逸れてしまったね。君たちが遭遇した組織『カルナバル』についてだが、簡単に言うなら人身売買を専門としている犯罪組織だ。彼らは基本的に子供を標的として人を攫い、山奥の館でオークションを行う。日本政府や月偽政府も対応しきれていない、だが『カルナバル』の活動拠点は基本的に日本だ。下手をすれば再び内乱が起こる可能性さえある」


 スケールの大きな話に、刀護は思わず唾を飲む。あの悲劇が、もう一度起こる可能性がある。それだけでも何か情動的なものに駆られる。

 暮人の表情にも影がある。前髪から覗いた瞳は、何かを見据えていた。

 二人の表情を観察しながら何かに納得したのか椎名は「ふむ」と頷いた。話をしながら、じっと二人を観察していたのだ。

 デスクの方へ行った右京が戻ってきた。封筒を椎名に渡すと、彼女は中から資料を取り出し、二人の前へ出した。


「これが、私たちが調べ上げた『攫う予定だった』子供たちだ。月偽国民だけのリストだが、君たちの知り合いがいるか、目を通して欲しい」


 刀護と暮人は顔を見合わせると、一枚ずつ資料を手に取った。

 リストアップされた資料には名前、年齢、家族構成、住んでいる場所が書かれていた。

 こうして見ていくと、年齢は八、九歳から十八歳の未成年ばかりだ。家族構成には三パターンあり、父がいない、母がいない、家族がいないかのいずれかに該当しているようだ。そして、もう一つ気になることがあった。


 ――この名前……孤児院で見たことがある。


 春風の家で「引き取り手が見つかった」という理由で出て行った子供たちの名前があった。それも一人じゃない、何人もだ。更に住んでいる場所に目をやる。そこには確かに「春風の家」と書かれていた。

 他にも、リストアップされた六割がどこかの施設にいた子供だ、施設名が書かれている。

 そのリストの中に、狭間渚はざまなぎさの名前もあった。


 ――やっぱりあいつも……。


「……おい」


 低い、暮人の声が刀護の耳に届く。


「どうした?」

「……これ、見ろ」


 暮人が自分の持っていた資料を刀護に見せる。そこに書かれていたのは。


 ――熊谷守花くまがいもりか


「なっ……!?」

「あいつ、噂で親が離婚したって学校で出回ったことがあったんだが、まさかこんな形で巻き込まれるとは……」


 悔しそうに歯を食いしばっている暮人の表情から、今までに見たことのない焦りが伺えた。

 何度見返しても、そのリストには「熊谷守花」の名前が書かれている。その現実は、今頃仲の良い友人が残酷な場面に立ち会っているかもしれないという想像を駆り立てていた。

 椎名も少し驚いたのか、目を丸くする。


「他にも知り合いがいたのかい?」

「あぁ、学校のクラスメイトだ。何故かはわからんが、リストに名前が載っていやがる……」

「だとすれば、君たちも急ぎたいだろう……」


 椎名の声のトーンも、急激に下がった。


「でも、何で熊谷さんが……」

「条件を満たしているから、としか言えないだろう」


 考えるかのように、椎名は眼鏡を触る。


「……右京。この四人で襲撃したとして、成功率はどれくらいだと思う?」

「どうだろう……良くても三十五パーセントってところだね」

「私は二十八パーセントだと思う。どちらにしても、この人数だけで対抗するのは不可能だ」


 重苦しい空気が事務所の中を支配した。悔しさを隠せない暮人、じっと考え込む椎名、無力さに打ちひしがれる刀護。それぞれが各々の内面とじっくり向き合っていた。

 すると、右京が何かに気づいたように口を開いた。


「椎名、一つ気になることがあるんだ。このリストの、この名前を見て」

「ふむ……狭間渚、か。彼女がどうかしたのか」

「住居不定になっている。十二歳の子供がそれなのは、少し違和感がないか」

「何、この戦後では特には……」


 はっとなったのか、椎名は右京から資料を取り上げ、狭間渚の欄をじっと見続ける。かと思うとブツブツと何かを呟き始めた。

 しばらくすると、彼女が資料を机に置く。


「……喜べ、少年たち」


 突然の言葉に、刀護と暮人が同時に顔を上げた。


「可能性は七十三パーセントに引き上がった」


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