三章「トリックスターズ」②救われぬ者
再び商店街へと戻ってくる。先程見かけた書店の中へと足を運んだ。
一般的に言えば商店街の書店は小さな所だろう。だがその時の
入って真っ先に文庫のコーナーを見て回る。知っている作家、知らない作家。有名な作家、マイナーな作家。難しい作家、気楽な作家。沢山の作家の小説が立ち並んでいた。
中でも、刀護が好きな作家は。
――
新刊のコーナーから、少し分厚い文庫を手に取る。
貴方信。日本のベストセラー作家でミステリ、青春群像、ファンタジー、長編群像劇など様々なジャンルを手掛ける作家だ。中でもデビュー作である「玉虫色」は六百万部を突破し、その他の作品も高い評価を得ている。そして刀護と
今回、刀護が手に取ったタイトルは「切れ端」。告白、自殺など、ノートの切れ端が語るドラマを書いた短編集らしい。
それと、もう一つ。
作者の欄を探してそこから本を引き出す。手に取ったのは貴方信の「栄光」だ。「全てを救う」と豪語した少年が現代社会を駆け抜ける長編作品で、詩音から借りて読んだ小説だ。詩音は「いつでも貸してあげる」と言ってくれているのだが、どうしても自分の分が欲しかったのだ。それには理由がある。
――いつか英雄になって、私を助けてね。
何だか、何故か。他人事じゃないような気がする。時折頭を過ぎる、この言葉。今になっては誰が自分に対して言った言葉かすらも、覚えていない。
会計を済ませて気分はとても高揚していた。商店街の人たちがサービスしてくれたおかげで、まだお金は余りがあった。
書店を出て帰路につこうとした時だ。ぽつぽつと何かを叩くような音の後、商店街に大きな雑音が響き渡り静かな商店街が一気に騒がしくなる。雨だ。
外を見るにそこそこの量が降っており、傘を使わずに帰るのは難しそうに見えた。それに、このままだと折角買った小説も濡れてしまう。それだけは何としても避けなければならない。仕方なく傘を買いに行くことにした。ドラックストアに売られていたのを思い出す。確か、今いる位置よりも奥だったはずだ。あまりお金は使いたくないのだが、傘を買わずずぶ濡れで帰れば、それはそれで怒られそうだ。
商店街で買い物していた人たちも雨に気づき少し困ったような顔をしていた。天気予報では曇りだったし、詩音も傘を持って行ってなかったはずだ。あてにならないこともあるものだな、と何となく思う。
何気なく周囲を見渡しながら歩く。ドラックストアが目に入った時だった。
ビニール袋を持っていなかった左腕を掴まれる感覚を感じた。一気に引っ張られる。
――なっ……!? 雨で足音に気づかなかった!!
刀護の中の警戒レベルが一気に引き上げられる。振りほどこうにも思ったより相手の力が強い。
商店街の脇道へと引っ張られ、壁を背に押しやられる。衝撃で閉じた目をゆっくりと開ける。目の前にいたのは。
――……女?
女性だ。しかも女性というよりは少女だ。小さな体の少女が自分を壁に押し付け、余裕の笑みを浮かべていた。
身長は刀護より明らかに低い、何なら自分の同世代の少女よりも低いだろう。サイドが長い髪型には両方髪留めが付けられていて、後ろ髪は少し短い。左目の下にはなきぼくろがあった。パーカーとへそ出しシャツ、そして何よりもその身長ではアンバランスな程、スタイルが良かった。
不敵な笑みを浮かべる少女に、刀護は一種の焦りを感じていた。何も言わずにこちらをじっと見つめてくる。
「……何だよ」
根負けして刀護が口を開いた。
少女はにこりと笑みを浮かべ、頬に人差し指を当てた。
「……うん、かっこいい」
「……うん?」
急に発せられた言葉の意図が掴めなかった。
「私、あなたのことが気に入ったのよ」
「はぁ?」
――何を言って言ってんだこいつは……。
思わず背中に汗をかく。得体の知れない、自分とは縁のない不明瞭なものを感じた。宙に彷徨った刀護の手を少女はぎゅっと繋ぐ。小さくて柔らかい手が刀護の手を捕らえていた。
「ねぇ、少しでいいの。私と一緒にいてくれないかな?」
妖艶な笑みで少女は微笑みかける。
そのままゆっくり顔を近づけてくる。みぞおちあたりに柔らかい感触が押し付けられた。綺麗な目がこちらをじっと覗き込んでくる。シャンプーの匂いだろうか、ふわっとした匂いが鼻に届く。綺麗な瞳、感触、匂い……初めて身近になった詩音とは全てが異なっていた。優しく安定した詩音のものとは違う、危うく不安定、だが魅力的な少女の心。幼さの中に垣間見える怪しさが刀護の中の何かを浸蝕していた。
「君の名前は?」
「き……桐生刀護」
「私、
渚は手で自分の体を触った。頭、口、胸、腹、そして下へとなぞる様に。あくまで淡々と述べる渚に、刀護は恐怖すら感じた。
顔を逸らそうとする刀護の頬に、手をそっと添えて阻止する。更なる焦りと緊張が刀護を襲う。
「君は私と同じ目をしているね。私と同じ、絶望を知ったけれど生きて行かないといけない生の色」
「だ、誰にでもこんなことをしてんのか……?」
「まさか、これが初めてよ。気に入らない相手に体を自由にされるのはもう嫌だから」
渚がそっと、自分の顔を近づける。刀護の唇に彼女の甘い吐息が当たる。
雨が、止んだ。
刀護の手は、彼女の唇に伸びていた。
驚く渚、刀護の瞳は濁りが色を増していた。
「……それは、正しいことじゃない」
――正しいことを、為さねばならない。
それは呪いだ。刀護は自分自身が正しく生きてきたとは思っていない、だからあれだけ神の元に罰せられてきたのだ。正しくない人間は生きる価値がない、間違った生は必要のない生だ。そして、刀護には詩音という大切な存在が出来てしまった。彼女を傷つけるような間違いを犯す訳にはいかない。ましてや、今度詩音から目を逸らされたら、これから刀護は生きていく宛てがない。
愚かで、鈍くて、そしていつまでも救われない少年の答えだ。
「私と同じ目、じゃなかったね」
渚は目を瞑る。
「私よりも遥かに酷い、正しさと苦悩を忘れられない目。でも私、そんなあなたが好きよ」
「……はぁ。大きなお世話だっつーの」
諦めたかのように、渚はその体から離れた。ようやく解放され大きく息を吐いて肩を落とす。
――死ぬほど緊張した……。
心臓がバクバクと暴れている刀護を余所に、清々しい表情をしている渚。
「あーあ、フラれちゃったなぁ」
水溜りを踏みながら、つまらなさそうに歩く。
正しい、選択なのだろうか。そもそも刀護が掲げる正しさは、本当に正しいのだろうか。自分には、人を悲しませるようなことしか出来ないのだろうか。
渚がちょこんとこちらを覗き込む。
「どうかしたの?」
「……別に。どうともねぇよ」
「そう? ならさ、せめてデートだけでもしようよ。私、少しでも長く君といたいな」
「訳のわかんねぇ奴だな……」
断る理由もなく、刀護は頷いた。時計はまだ六時になっていない。渚が歩くままその後を追った。
バンっ、と音が響く。
「つぅっ!?」
突然の発砲音の後、後頭部に衝撃が走る。その場に力無く倒れた。
「と、刀護くん!?」
渚が駆け寄る。刀護は自分の後頭部を触った。血は出ていない、そもそも実弾であれば今頃は生きていない。つまりは恐らくゴム弾、実弾よりも余程悪意がある。
刀護に手を伸ばす渚の肩に、小さな矢のようなものが刺さる。
「っ!? 麻酔銃……しま…………」
渚も力無くその場に倒れた。
後ろから複数の足音がし、それは刀護の傍らで止まった。渚の体が宙に浮く。
「ターゲットは本当に、この女で良いのだな?」
「あぁ、そのはずだ。神のお告げは間違いなくその少女を指している」
「全ては神と『カルナバル』のためだな」
立ち去ろうとする足音。今この場で見失えば土地勘のない刀護は二度と奴らを見つけることは出来ないだろう。
歯を食いしばり、地面に拳を突き立ち上がる。ふらふらして足元がおぼつかない、脳震盪か、悪ければ脳の一部を破損しているかもしれない。
だが、そんなことはどうでも良い。
「――『
渚を、助けなくては。
地面を力強く蹴り、飛び出した。拳では狙いが定まらず外す可能性が高い、ならばここは足の薙ぎ払いだ。
男たちが気づいた時には、体を大きく逸らし足を掲げている瞬間だった。
――いけるっ!
ガンっ、と鈍い音がする。
刀護は目の前のことに集中し過ぎ、後ろにもう一人いることに気づかなかった。鉄の棒で頭を殴られる。
――あぁ、やっちまった……。
彼の意識は、そこで途絶えた。
再び、雨が降り始める。
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