三章「トリックスターズ」①十三歳、初めてのおつかい

 商店街を、買い物袋を持って歩く。不慣れな体験に刀護とうごは不安を抱きながらいた。買い物リストに再び目を落とす。唐揚げだから、まず買わなければいけないのは鶏肉だ。肉屋を探しながら刀護は商店街を歩きまわる。孤児院時代はこんな所にくる機会がなかったし、興味もなかった。

 本来買い物は自分の仕事だ、と詩音しおんは言っていた。だが休日であるにも関わらず、彼女は今日大学の事情で帰りが遅くなるらしい。そこで詩音は朝出かける前にメモ帳に今晩の料理に使う材料を記入し、刀護に買い物を頼んだのだ。初めての商店街に期待と不安に胸を躍らせ、予定では四時に家を出るつもりだったのを三時に飛び出し、今に至るという訳だ。

 十分程さまよって、ようやく肉屋を見つける。小説で読んだことはあったが、こんな感じなのかと勝手に納得する。

 店で仕事をしていた中年の女性がこちらに気づき、声をかける。


「あら、どうかしたかい? 買い物なら欲しい物を言いな」

「え、えーっと……」


 少しいかつい女性だ、目が悪いのか細めてこちらのことをじっと見つめてくる。これでは睨んでいると勘違いされそうだ。

 鶏肉、と言おうとして刀護は重大なことに気づく。


 ――鶏肉って胸だったか、ももだったか……?


 刀護が慌てていると、女性が何かを気づいたかのように声を上げた。


「その買い物袋……もしかして、あんたが詩音ちゃんの言っていた男の子かい?」


 驚いて、女性の方を見る。


「は、はい……桐生刀護って言います」

「やっぱり!」


 それまでいかつかった女性の顔がにこやかなものに変わった。


「あんたの話は詩音ちゃんから聞いてるよ。一人暮らしは寂しいっていつも言ってたのに、あんたを引き取ってからあの子本当に楽しそうなのよ」

「は、はぁ……」


 妙に馴れ馴れしい女性に戸惑いながら、女性の、詩音についての話を延々と聞く。詩音は特別、この女性と仲が良いのだろうか。彼女の詩音についての話はやれ礼儀正しいだの、やれ明るいだのと褒め言葉ばかりだ。沢山の褒め言葉に少し胸焼けすらしてしまう。

 ずっと喋っていた女性だったが、我に返ったのか咳払いをして問いかけてくる。


「それで、買い物かい?」

「あ、えぇ。詩音さん、今日は唐揚げだって言ってたんですけど、買い物リストに鶏肉としか書いてなくて……」

「あぁ、それはあの子のミスだね。わからない人には鶏肉だけじゃあわからない」


 そう言うと女性は下の棚から鶏肉を取り出す。手馴れた様子でビニール袋に入れると量りにかけ、刀護に渡した。


「ほら、もも肉だよ。唐揚げはもも肉、覚えておきな」

「ありがとうございます。これ、お金です」

「あいよ、ほら」


 女性は刀護にお釣りを渡した。頭の中でお釣り計算をする。


「あ、あの……これ、一人分の料金しか……」

「いいの、いいの! あんたが詩音ちゃんに引き取られたお祝いだよ!」

「は、はぁ……」


 何だか勢いに呑まれてしまった。よくわからない好意にタジタジしてしまう。

 よくわからない、不可解なまま肉屋を去ろうとする。


「おっと、待ちな」

「は、はい……?」


 刀護は振り返って首を傾げる。

 女性は奥に行くと、何やら中ぐらいの封筒のようなものを持ってきた。左手に持っているのは黒い液体……墨だろうか。

 そのまま「はいこれ」と渡される。何かよくわからないまま受け取る。


 ――熱い!?


 思わず落としそうになるが、何とかキャッチする。その様子をずっと女性は見ながら笑っていた。

 恐る恐る尋ねる。


「な、何ですかこれ?」

「あら、コロッケを知らないのかい? その袋はソース、かけて食べるんだよ。うちのコロッケは絶品って言われてるんだから」


 自分で言うのか、と思いながらコロッケにソースをかけて齧ってみる。


 ――……は? 美味すぎるんだが?


 思わず肉屋の前で全て平らげてしまった。女性の方を見るととてもニヤニヤしている。


「……ごちそうさまでした」

「よろしい。それと」


 女性は再び刀護を呼び止める。


「今度、詩音ちゃんのことを『お姉ちゃん』って呼んであげな」

「わ、わかりました」


 再び「ありがとうございました」と言うとその場を去る。肉屋から離れるまで無茶苦茶手を振ってくれた。

 不思議なものだ、と刀護は思う。有り難いことばかりをして貰えた。が、それは肉屋の女性からすると損をすることばかりだ。何故彼女はあんなことをしたのか、自分には一切わからなかった。あの表情を見るに、別段見返りを期待している訳でもないんだろう。では何故、あんな風に良くしてくれたのだろうか。

 何だかよくわからないモヤモヤした気持ちを抱えながら、買い物リストにある野菜を買うために八百屋へと足を運ぶ。

 老人が白いTシャツを着て野菜を売っていた。これまたいかついおじいさんだ。


 ――やべぇ、小説で読んだまんまの登場人物に出会えた。


 何故か嬉しさがこみ上げてきたのだから不思議だ。


「あ、あの……すみません」

「ん? 何だ坊主、お使いか?」


 ――坊主って……。


 すると、老人も刀護が持っている買い物袋に目を落とした。ふと、目元が少し優しくなる。


「ってことは、お前は舞条まいじょうの引き取った中坊って訳か?」

「えぇ、まぁ……」

「何が欲しいんだ?」


 老人が問いかけてくるので、刀護は買い物リストにあった野菜を順番に述べる。老人が「覚えられん。もっとゆっくり言え」と言うので、再びリストの野菜をできるだけゆっくり述べた。

 読み上げ終わると、老人がビニール袋に入れた野菜を突き出す。刀護はそれを受け取ると、財布をポケットから取り出した。


「あぁ、いらん。中坊から金なんて取ってられるか」

「え? いや、これは詩音さんから預かったお金で……」

「いらないと言っとるだろ。その代わり今度舞条を連れて来い。またここで働いて貰う」


 刀護は更に「でも……」と言いかけたが、老人の人睨みで仕方なく引き下がった。

 微妙な感情のまま、八百屋を去る。


 ――本当にどうなってるんだ? この商店街は……。


 色んな人から受け取る好意に、刀護は困惑ばかりを感じていた。肉屋の女性の柔らかい好意、八百屋の老人の不器用な好意。少なくとも孤児院にいた頃に感じたことのないものだった、非常に不規則極まりないものだった。

 どうしてこんなにも損をすることばかりをするのだろう。その答えは、明日の詩音の弁当に入れる魚を買うために行った鮮魚店でわかった。


「詩音さんと同級生なんですか?」

「そうだよ。ってことはやっぱり、君が舞条さんの言っていた男の子なんだね」


 爽やかに鮮魚店のアルバイトをしているこの男性。どうやら詩音の同じ学科の知り合いであり、この商店街でアルバイトを一緒に探した仲らしい。男性は魚を用意しながら、刀護に何故、商店街の人たちが詩音に優しいのか教えてくれた。


「孤児院の出身で、お金もない。頑張って一人暮らしをしていて、大学生活もしている。頑張っている舞条さんの姿に皆心を打たれたんだよ」

「えっと……それだけですか?」

「それだけ。でも、それってとても大事なことなんじゃないかな?」


 刀護は不意に、思い出す。


 ――色んな人に助けられたわ。大学の先生、同級生、バイト先の店長、先輩、商店街の人たち、そして何より、私を前の施設から救いだしてくれたあの人……。


 あの時言っていた詩音の言葉。


――人からの優しさは絶対に無碍にしちゃダメよ?


それから、詩音との約束。

そうだ、と刀護は思う。


――オレは詩音さんに助けられたけど、詩音さんも色んな人に助けられて生きてきたんだ。


そう思うと、何だか嬉しくなった。

 男性が魚を用意して、刀護に渡す。すると男性は思い出したかのように「そうだ」と切り出す。


「舞条さん。君が『お姉ちゃん』って言ってくれないってぼやいてたよ」

「それ、肉屋の人にも言われました。何か意味でもあるんですか?」

「うーん、多分だけど……家族になったんだから、『さん』付けっていうよそよそしい関係が嫌なんじゃないかな?」


 なるほど、と刀護は思う。要するに詩音は自分ともっと親密になりたくて、それはつまり自分が詩音のことを姉と慕ってとても近い距離感で接していく訳だ。


 ――いや……クッソ恥ずかしいんだが?


 爽やかに笑う男性を背に、刀護は気恥ずかしさを憶えながら鮮魚店を去った。

 家に帰ろうと商店街を出ようとする。慣れない場所に、未だに周りをキョロキョロと見回してしまう。何だか田舎者みたいで自分ことをダサいと思えてきた。

 ふと、視界の先に書店が映る。こんな所にあるんだ、と思っていると詩音から言われたことを思い出した。


 ――余ったお金は好きなことに使っていいわよ。今日のお使いのお礼だから、気負わずに使ってね。


 とはいえ生肉が入っているし、十一月と少し肌寒くはなってきたものの腐ってしまったら元も子もないことに気づいた。恐らく書店の中を探索する時間はかなり長くかかるだろう。


 ――……一旦帰るか。


 ここから家まではそう遠くない、運動には丁度良いだろう。買い物袋を持ち直して、帰路へとついた。

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