一章「独りでいるということ」③舞条詩音の日常

 休日の過ごし方は人によって様々だろう。趣味に没頭する、部屋を片付ける、買い物に行く、勉強をする――。それぞれが快適な過ごし方をする。明日も休日である土曜日なら、尚更堅調にそれが現れるのではないだろうか。

 舞条詩音まいじょうしおんにも休日の決まった過ごし方がある。それも、第二週の土曜日は、必ずこの場所へ来る。

 春風の家。詩音が過ごしていた孤児院だ。

 現在、詩音は十九歳の大学生、児童養護施設は原則十八歳で退所となる。孤児院を出た詩音はアルバイトや周りの人に助けられ、何とか生活することが出来ている。それもこれも、この孤児院で生きて来れたことが大きいと思っていた。そこで詩音は第二週の土曜日には、必ず孤児院の後輩たちのためここに訪れている。

 手見上げを持ち、呼び鈴を鳴らす。女性の職員が扉を開けた。


「あ、詩音ちゃん。また来てくれたのね」


 ニコニコした職員は手招きし、詩音を中へと入れる。


「子供たちの様子はどうですか?」


 詩音は職員に尋ねる。


「皆とっても元気よ。最近は元気が有り余って施設の中でボール遊びする子もいるのよ、少し困るわ……」

「何だか、ここはあまり変わりないようで安心しました」


 春風の家に来ると、まず必ず総長の元へと案内される。職員に連れられ、院長室へと足を運んだ。

 総長は相変わらず、椅子に座ってふんぞり返っている。


「やぁ、詩音。今月も戻ってきてくれてありがとう。子供たちも喜ぶよ」

「そんな、私はただ子供たちの様子を見たくて……」

「これも神の思召しだ、君も我々も、祝福に不深く感謝しなければならないよ」


 正直、総長のこの絶対的な信仰心には疑問を持っていた。

 確かに詩音はこの施設に感謝している。だが、神の名を借りたこの総長に黒い部分があることも知っている。自分も何度か被害にあった。

 ここに足を運ぶのは、総長に警戒を抱かせるためでもある。

 総長への挨拶が終わると、詩音は子供たちの所へと向かう。


「お姉ちゃん! 久しぶり!」

「やった! 詩音お姉ちゃんだ!」

「ねぇねぇ、今日は何を持ってきてくれたの?」


 小さな子供たちを中心に、中学校、高校生くらいの子供たちも詩音の周りを取り囲む。


「お菓子作ってきたわ。こらこら押さないの、ちゃんと皆の分、計算して作ってきたんだから」


 バスケットに入ったお菓子を、子供たち一人ひとりに配っていく。年齢に限らず決まって子供たちはお菓子を嬉しそうに食べる。施設で甘いものが出ることが滅多にないため、詩音が作ってくるお菓子は彼らにとって絶品なのだ。

 お菓子を食べる子供たちを見ながら、詩音は嬉しそうにそれを眺める。


「お姉ちゃん」


 子供の一人が詩音に話しかける。


「どうしたの?」

「おかわり欲しいな」

「でも、もう自分の分食べたでしょ? これは一人一つずつしかないのよ」

「だって一つ余ってるよ?」


 これもいつものやり取りだ。毎度お菓子を配る時、必ず一つ余るのだ。

 詩音は部屋の周りを見渡す。すると、部屋の隅で小さくなって本を読んでいる少年を見つけた。

 驚かせないように、あえて少し足音をたてて近づく。


「ねぇ、刀護とうごくんだったよね。お菓子食べて欲しいな」

 バスケットの中からお菓子を取り出し、刀護へと渡す。彼は反応することなく、無言のまま本を読んでいる。

 桐生刀護きりゅうとうご。一応、施設で一緒だった時間もあったがその時期は一度も言葉を交わしたことがない。こうやって退所した後、お菓子を配りに来る時だけが彼と関わりを持てる時間だ。


「あなたがこの分を受け取ってくれないと、皆が余った分で喧嘩しちゃうのよ」

「……相変わらずズルいな、その言い方」


 彼にこう言うと、必ず受け取ってくれる。詩音はそれをよく知っていた。

 詩音は微笑むと、彼の元を去った。

 お菓子を配り終わると、子供たちと遊ぶ時間だ。小さな子供とはおままごとやお絵描きをしたり、中学生くらいの女の子たちとはアクセサリを作ったりする。場合によっては男の子たちのサッカーの審判を請け負ったりする場合もある。今日は小さな子供たちと折り紙をしていた。

 遊びながらも、考える。

 総長の暴力は今に始まった話じゃない。神の名を借りて子供たちに制裁を加え恐怖で従えることも珍しくなかった。神に従わない、それはこの施設では何よりも許されない罪だ。詩音も何度かこの体に打撃を受けたことがあった。

 だが、前々から気掛かりなのはそこではない。

 もしもの話だ。何にも無気力で、神を全く信じていない少年がいたとして。彼がこの施設で生きていこうと思えば、相当苦労するのではないだろうか。


 ――私ならきっと、耐えきれずに潰れてしまいそうね。


 詩音は、さっき彼がいた方へ目を向けた。人影はない。

 子供たちとの遊びがひと段落つくと、詩音は腰を上げた。

 施設の遊戯室、図書室、倉庫、テレビ室……。どこにも彼はいない。この時間、自分の部屋には職員が鍵をかけているはずなので戻ろうにも戻ることが出来ない。だとすれば、施設の隣にある公園だろうか。

 施設からの脇道で公園へと入ると、木陰を探す。ベンチで本を読んでいる彼がいた。

 彼に近づく。本のタイトルは、詩音が昔読んだことがある小説だった。


「……何?」


 彼は目線をこちらに向けることなく、警戒の色を見せた。


「……『道人は、誓って秘密基地には誰も入れないと決意した』」


 顔がこちらを向く。詩音は続ける。


「『ひたすら、道人は思った。自分の場所は自分で守らなければいけない。正直に生きていけるこの世界こそが、自らが生きていける正しい場所なのだ』……だっけ。私も読んだことあるのよ、その本」


 彼の顔は驚きのものに変わっていた。


「小説はいいわよね、色んな世界を外側から見れる。あなたはどんな本が好き?」


 彼は再び顔を逸らした。だが、声はきちんと詩音に届いている。


「……『秘密基地アンサンブル』」

「今読んでいる作品ね。私はヒロインの喜美子ちゃんが好きかな」

「……『私たちは生きている』」

「確か、原爆の話だったわよね? フィクションだけど上手く作られていたわ、きっと沢山調べて回ったんでしょうね」

「……『高潔のD』」

「それは孤児院にはなかったけど、買って読んだわ。貴族の闇を、探偵の主人公が執事として潜入して謎を暴くんだったわね」


 その後も、彼はひたすら自分が知っている小説のタイトルを口に出した。それに対して、詩音は完璧な受け答えをした。彼の貯蔵が尽きた頃には、詩音を無自覚に信用していた。

 彼女は優しく微笑む。


「あなたの口から、名前を聞きたいな」

「……桐生刀護」

「小説、好きなんだね」


 刀護は黙って頷く。

 少年らしさを詩音は完璧に理解している訳ではない。だが、刀護の瞳や表情からは少なくとも少年らしさを見受けることは出来なかった。どこか現実離れしていて、されど現実を直視しているような目を、詩音は以前にも見たことがある。こことは違う、あの施設。孤児院も過酷だったがあの地獄よりはマシだ。

 だが、刀護はあの時の彼と同じ目をしている。

 詩音は自分の手で刀護の頭に触れる。ビクリと震えた刀護、警戒していたのだろうか。戸惑いを隠せない瞳をしている。


「……総長先生に何かされているの?」

「……そんなことはない」

「私も、何度か辛い目に合ったわ。隠すことはない、別に報告しようって訳じゃないんだから」


 それでも、刀護は答えない。

 詩音はしばらく刀護の解答を待った。それに気づいたか、刀護から口を開いた。


「オレは、『犠牲スケープゴート』だから。それが多分、許された在り方だから」

「そんなこと……」

「ある」


 刀護は、はっきりと答えた。


「神は、オレの中にはいない」

「……そう、なのね」


 詩音は静かに立ち上がり、お礼を告げる。


「話をしてくれてありがとう。じゃあ、またね」


 彼女は公園を去る。自然と歩くスピードが速くなり、心臓が強く跳ね上がっていた。

 孤児院に戻り、庭へ。この時間は総長が庭の花々に水をあげている時間だ。案の定、総長はホースで水を撒きながらニコニコと笑っていた。

 総長が詩音に気づく。


「詩音くん、どうしたのかね?」


 緊張を解くため、詩音は大きく息を吸った。


「……お話があります」

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