一章「独りでいるということ」②探偵たちの日常

 コーヒーを淹れる音をBGMに、その男はパソコンを触っていた。時折メモや書類を見返し、再びパソコンへと向き合う。ハーフアップにした金髪がタイピングをするごとにユラユラと揺れる。九月に差し掛かり残暑が残る気温でさえネクタイをしっかり上まで締めていることから、生真面目さが伺えた。

 机の上のチョコレートの包装を開け、中身を口へ。作業をしている時に糖分を欲するのは生真面目でも変わらないらしい。


「はぁ……これで納得して貰えるかなぁ。あの依頼人、今までの仕事で一、二位を争うくらい我が強かったから、やっぱりこれくらいじゃダメだろうか」


 伸びをしながら、ぼやく。行き場のない弱音を振り切るかのように、男は顔を振った。

 一方、小さなキッチンでは女がコーヒーメーカーと向き合っていた。黒いロングヘアを適度に手入れし、黄緑色のパーカーを羽織っている。眼鏡はその女が持つ知性を醸し出していた。


椎名しいなー、僕そろそろコーヒーが恋しくなってきたよ」

「まあ待ちたまえ。古いコーヒーメーカーだ、じっくり付き合おうではないか」


 眼鏡を触りながら、浦津椎名うらづしいなは余裕の笑みを見せていた。


「私には報告書や接待は向いていないからって、君が全部引き受けたのが悪いんだよ、右京うきょう。いや、ここは所長と言っておくべきだろうか」


 鳴上右京なるかみうきょうはため息をつきながらネクタイに手をかける。諦めきった表情は、どこか慣れを感じさせる色合いもあった。

 彼らが過ごす「鳴上探偵事務所なるかみたんていじむしょ」は第三次世界大戦後、東京から京都へと拠点を移した私立探偵事務所だ。創設者は既に故人で、右京は二代目にあたる。移転して三年もすれば、街でもある程度の評判はつく。浮気調査や人探しなど探偵らしい仕事から、商店街の手伝い、お使い、刑事事件の手助けまでありとあらゆることをこなす。便利屋だと言われることも多いが、創設者の気持ちを無駄には出来ずそのまま名乗り続けている。

 右京がしていたのは、先日受けた依頼の報告書だ。何でも、地区団体から自分だけ除け者にされていると言い出し、一度は断ったのだがどうしてもと言い張り、結果調査へと踏み出した。案の定、そんな事実はなかった。


「何だか貧乏くじばかり引いている気がする……あ、コーヒーありがとう。そろそろ新しい所員が欲しいところだなぁ」

「とはいえ、それにはアストラルに理解がある者か、アストラルを持つ者が必要だね」

「そこが難しいところなんだよねぇ……」


 頬杖をつきながら、右京はため息をついた。

 この世界には「アストラル」と呼ばれる異能力がある。曰く、数ミリ程度の特別な鉱石が心臓と同化することで発現し、心臓が一つしかないため、アストラルは一人一つとされている。詳しいことはまだ国際的にも研究中だ。

 右京たちは仕事柄、荒事を請け負うことがある。それ故、アストラル使いと敵対することも少なくない。右京も椎名もアストラルは持ち合わせてはいるが、戦闘向きのものではない。


「戦闘員が欲しいところだねぇ。贅沢なことは言ってられないけど、それでも増員は欲しいなぁ」


 どう考えても増員は苦しい。そもそも、異能力者反対運動がある中でアストラル使いの増員を得られるのは難しい話だ。難儀な時代だな、と思いながらコーヒーに口をつける。


「……ねぇ、椎名さん?」

「どうかしたかい? 僕は君と二人きりでも構わないのだけれど」

「そうじゃなくて、僕がコーヒーに砂糖入れるの嫌いなの知ってるでしょ?」

「君が糖分が欲しいと言ったのだろう?」

「一体何年の付き合いだと……」


 甘ったるいコーヒーを喉に流し込み、再び報告書の作業に戻ろうとした時だった。

 扉を叩く音が聞こえる。誰かが事務所の外にいるようだ。二人は顔を見合わせるとじゃんけんをする。負けた右京が素直に扉を開けに行った。

 外にいたのは、残暑が続く中黒いパーカーで顔を隠した長身の男だった。


「こんにちは。依頼ですか?」

「あぁ……鳴上探偵事務所の評判を聞いて、是非とも依頼したい」


 しかしそう話しながらも、右京は不信感を拭えないでいた。


「……失礼ですが、身分証明を出来る物は」

「すまない。諸事情でこちらの素性を明かすことは出来ない」

「でしたら依頼を受けることはできませ――」

「待ちたまえ」


 気づくと、椎名が背後にいた。一秒間で男を観察する。


 ――長身、右京より大きい。体付きは完全に歴戦のそれだ。何より雰囲気……恐らく敢えてプレッシャーを放っているのだろう。


 椎名は男を招く。


「こちらへ。続きは応接間で聞こう」

「話が早いな。流石、天才探偵といったところか……」


 男は招かれるまま、応接間へと座る。


「な、何で通しちゃったのさ」


 右京が椎名に耳打ちする。椎名は余裕の表情で、あくまでも淡々と告げた。


「簡単だよ。私たちでは彼には勝てないからさ。それはつまり、背後にそれなりの組織があってもおかしくない。無茶な依頼を受けて死ぬか、断って社会的に死ぬか。私は前者を選んだ訳だ」

「そこに僕の意思は?」

「運命共同体みたいなものだろう? 私の決断は君の決断だ、まあ精々神にでも祈ろうじゃないか」


 あくまでも我が物顔で椎名は応接間へと向かった。所長という肩書きに疑問を感じているのは今に始まった話じゃないが、ともかく椎名の話が本当であれば慎重に話を聞くべきなのも確かだ。

 男のコーヒーを淹れようとしたところで「話が終わったらすぐに出て行く」と言うので、何もせず応接間の方へ向かった。

 右京が腰かけると、男は話し始める。


「今回、そちらに依頼したい内容は二つだ。一つ目は『人間オークションの阻止』、そしてもう一つが『桐生刀護きりゅうとうごの回収』だ」


 聞き馴染みのない名前に右京は首を傾げるが、椎名は隣で「なるほど」と呟いていた。


「『人間オークション』……裏社会でも特別な人員にしか情報が回らない、その名前の通り人間を落札するためのオークション」

「説明は不要だったか?」

「いや、情報は多いに越したことはない。是非とも閲覧させて欲しい」


 男は懐から、書類を何枚か机に並べる。椎名がその一つを手に取り、右京が覗き込む形になる。


「主要組織は『カルナバル』。何せ滅多に表舞台に出てこない組織でな、すまないが情報は少ないぞ」

「問題ない、粗方はわかった。それで? 私はどちらかというと。後者の方が気になるのだけれど」


 再び、男は無言で書類を並べた。


「対象者の名前は桐生刀護、十三歳。児童養護施設『春風の家』にいる中学生だ」

「それはわかりましたが、これのどこに回収する意味が?」

「……三年前の『炎龍事件ドラゴンショック』、その少年と何か関わりがあるという情報がある」


 右京と椎名の顔付きが変わった。

 十三年前に、アメリカとイギリスの些細な貿易摩擦から始まった戦争は世界を巻き込み、やがてその戦争は現在になって「第三次世界大戦」と呼ばれるようになった。

 大戦末期、日本政府からある情報が漏れた。それこそが「アストラル」という異能力の情報だ。更に政府はアストラルの研究のため人体実験を繰り返していた。それを知った人体実験被験者の家族や異能力に恐怖を憶えた国民たちを右翼が取り纏め、革命軍へと変わった。終戦後、日本と革命軍は講和会議の後に、革命軍は西日本を領地として分断国家「月偽げつぎ」として新たな歴史を綴ることとなった。

 そして、話に出てきた「炎龍事件」とは、日本と革命軍の戦いを終えるきっかけとなった、都市伝説ともおとぎ話ともとれる逸話だ。

 日本軍も革命軍も血を流し、死体を生み出し、事態の収集がつかなくなった時、戦場に巨大な炎柱が現れ、赤い鱗を持つドラゴンを生み出したのだという。ドラゴンは炎を吐き、暴れ、戦場を地獄に変えた。そのドラゴンを拳でもって撃退したのが、黒い外套に身を包んだ長身の日本人、通称「黒外套くろがいとうの英雄」だ。


「なるほど……ようやく退屈せずに済みそうだ」


 椎名の顔がニヤリと歪む。


「わかった、依頼は必ず遂行してみせよう。何、任せたまえ。私たちは『鳴上探偵事務所』だからね」

「……わかった、任せよう。前金はここに置いておく」


 そう言って、男は去っていった。

 まるで嵐が過ぎ去ったかのように、右京は深く息を吐いた。緊張でおかしくなりかけていた頭に酸素が巡る。

 隣の椎名は嬉しそうに「さて」と言いながら立ち上がると、右京の方を見て言った。


「何をしている? 早く事実確認と裏取りをしに行くよ」


 ウキウキと歩き出す椎名に、やはり右京はため息をつくのであった。

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