一章「独りでいるということ」①桐生刀護の日常

   →3 years ago



   ***



 孤独。

 孤立。

 孤高。


 これらには一人ひとりの答えがあり、向き合い方がある。少なくとも少年、桐生刀護はそう思っていた。これらは刀護にとって隣にあるものであり、世界の構成であり、そして自分以外の全ての人物が敵であることを示していた。

 思い出すのは、あの戦争。


 ――いつか英雄になって、私を助けてね。


 この言葉はよく憶えている。だが、誰が言ったのかは覚えていない。

 そしてこの言葉は、刀護にとって大きな希望となっていた。この言葉こそが、自分を残酷なこの世界に唯一繋ぎとめている綱と言っても過言ではない。

 そしてこの後はいつもの夢だ。顔がぼやけている少女が、手を伸ばしてきて闇が晴れていく。



   ***



 暗闇から解放された視界には、見慣れた天井が写っていた。

 朝は、嫌いだ。面倒くさい一日が始まってしまう。桐生刀護きりゅうとうごは目を擦りながら、ベッドから這い出た。

 ワンルーム程の部屋には、ボロボロの布とベッドがある。成長して刀護の体重が増えればいよいよ壊れるだろう。高い場所にある小さな窓は鉄格子がはめられており、抜け出せないようになっている。小さな扉の先にはトイレがある、もちろん自分で清掃する。クローゼットには学校の制服と最低限の私服しか入っていない。天井の小さな電球が、この部屋のみずぼらしさを一番堅調に語っているようにも見える。

 襟が伸びきった服を脱ぎ、制服に手をかけたところでアラームが鳴り響く。起床の合図だ、毎度思うがうるさい。刀護は基本、合図の数分前に目が覚めるのであまり頼りにはしていない。

 インナー、シャツを着てズボンを履く。学校の制服は何とかみずぼらしくはない。というより、制服がボロボロであればこの孤児院の評判も格段に下がると言えるだろう。

 身支度が終わると扉から音がする。鍵を開けた音だ。扉を開けて、自分の部屋から出た。

 親もいない、兄弟もいない、こんな寂しい施設では皆が力を合わせて生活していかなければならない。元に廊下では刀護と同世代の子供たちが互いを支えるかのように、疲れた顔で微笑み合いながら生きている。しばらく刀護はそれを見つめながら突っ立っていた。

 誰も、刀護には微笑みかけない。

 それでよかった。それを悲観する気は刀護にはない。

 食堂に向かうと、二十人を下回るくらいの子供たちと三人の職員、そして総長と呼ばれる初老の男性がいた。

 全員が席に座ると、総長が話し始める。


「おはよう、諸君。君たちが今日も無事に目を覚ましたことを、私は神に感謝する」


 総長は晴れやかな微笑みで、子供たちを見つめていた。彼らの表情は確かに笑みであったが、その裏には雨が降ってくるかのように曇った部分があった。


「さぁ、今日も神にお祈りをしよう」


 この孤児院では、目が覚めた後、そして朝食前に決まった口上がある。


「世を統べ、祝福を与えて下さる我らが神よ。今日この日も、無事に生を与えて下さったことを感謝いたします。そして、生を食らい歩いていくこの罪をどうかお許しください」


 総長、職員、そして孤児の全員が神に感謝を述べ、食事を始める。ただ一人、刀護だけを覗いて。

 黙って食事を見つめる刀護に、総長が近づく。


「刀護、また君は……。いい加減、私達と子供たちを救った神に感謝を述べたらどうだ?」


 総長の穏やかな表情からは、自分を軽蔑する確かで冷ややかな視線を感じた。


「……神なんていない。いるのなら全員、家族と幸せな生活を送っているはずだ」

「それでも神は、最後の希望を君たちに与えたのだよ。死を許さない我らが神は、間違いなく慈悲に満ち溢れた、素晴らしい神だ」

「なら、何でオレはいつまで経っても朝飯を食えないのかねぇ……」


 軽口を叩く刀護の腹に鈍痛が走る。総長の拳が彼の腹部に食い込んだ。嗚咽を吐きながら、刀護は床へと倒れる。


「これは神の制裁だ。祝福に感謝しない愚か者への罰だ。だが安心するといい、試練を乗り越えることで君は許される」


 総長は続けざまに足首を強く踏みつけた。刀護の歯を食いしばる音は総長にも聞こえた。


「確か、今日は体育がある週だったね。その足で頑張りたまえ」


 孤児たちも、職員も、刀護に気をかける視線は存在しない。どんな悲劇も続いてしまえばただの日常だ、人間は簡単に麻痺する。それが何年も続けば尚更だ。

 刀護は黙って食堂を出る。痛む足を引きずりながら、鞄を持ち孤児院を出た。

 学校までの道のりを痛む足で歩く。同じ学校の生徒たちは刀護を気に掛けることもなく追い越していった。

 これもよくあることだ。今更気に掛ける程のことでもない。

 学校に着くと下履きに履き替え、自分のクラスへと向かう。痛む足では、階段を上るのは少々辛い。一年生は原則、三階となっている。体重をかけると痛い足を上手く手摺りに掴まりカバーする。

 自分のクラスが見えてきた。扉を開けて、自分の席に向かう。

 人影が刀護の前で立ち止まる。前を向くと少女が真剣な顔でこちらを覗き込んでいた。三つ編みを手で触り、少しモジモジしている。


「お、おはよう。桐生くん」


 熊谷守花くまがいもりかはクラスの中でも中間くらいの階層にいる女子生徒だ。几帳面で真面目な性格から曲がったことを許せず一部のクラスメイトからは煙たがられているものの、一定数の信頼も同時に築いてきた少女だ。

 そして、刀護に何故か毎朝挨拶をしてくる。

 刀護は目線を合わせることなく、テキトウに「あぁ」と返すと自分の席に向かった。後ろからは守花の友達からの冷ややかな言葉を感じたが、特に気に掛けるものではない。

 自分の席に座ると、また人影がこちらに近づいてきた。そう、毎朝挨拶してくる人物はもう一人いるのだ。


「よう、刀護。今日はいつにも増して億劫な顔してんな」


 ボサボサ頭に、釣り上がった目。見方によっては悪人面な彼は巷では噂なヤンキーだが、男女共に人気がある男だ。

 亜嵐暮人あらんくれと。総評すれば、馴れ馴れしい男だ。

 守花の時と同じく「あぁ」と適当に受け答えをする。


「さっき足引きずってたように見えたが、怪我でもしたのか?」

「まぁな」

「今日体育あるのに、大丈夫か?」

「さぁ」

「まあ、オレもサポートすっからよ。そうだ、聞いてくれよ。この前チームで起こったことなんだがよ――」


 こうやって、ホームルームが始まるまで暮人がひたすら刀護に語りかけるというのが日課になっている。

 始業のチャイムが鳴ると、各々が席に着く。授業を経て、朝食をとれなかった分を給食で補い、昼の授業を受ける。体育では暮人とペアを組み、怪我をしている分を支えてくれた。

 帰り支度をしながら、何となく刀護は周りを見渡してみる。

 各々が楽しそうに友達と話している。自分とは別世界の出来事のような気がして、思わず目を瞑ってしまう。


 ――オレには足りないものだ。そして、絶対に手に入るものではない。


 さっさと教室を出る。この学校は部活動が強制ではないので、刀護は帰宅部だ。そもそも、部活をするまでの体力がないのと、あまり人と接したくないところが大きな要因となっている。

 帰り道、刀護は孤児院とは反対方向へと歩みを進めた。

 しばらく歩いて、大きな河川敷に着く。時計の針は四時半を指していた。

 がらりとした河川敷には一人、黒い外套を羽織った青年がいた。刀護は階段を降り、男の元へ向かう。

 男はこちらに気づくと立ち上がり、目の前に来るまでじっと刀護を見つめていた。


「どうした、その足。また孤児院の奴にやられたのか」

「あぁ……ごめんアニキ。今日はちょっと動きがぎこちないかもしれない」


 刀護が今日になって、初めてまともに人と会話をした。

 彼がアニキと呼ぶ人物は、黒箆くろの。彼曰く苗字はなく、ただの黒箆らしい。彼は第三次世界大戦時末期に刀護を助け、彼のアストラル能力に可能性を見出し、その力の使い方を刀護に伝授している。言わば師匠のような人物だ。

 黒箆はしゃがみ込むと、刀護の足を触り始める。知識がある訳ではないが、それでも痛がるところで何となくはわかる。

 痛むところを確かめると、黒箆は立ち上がり何歩か離れる。


「無理はしなくていいが、ある程度は動けるだろう。来い、今日も始めるぞ」

「あぁ……わかった」


 刀護はグッと足を開け、両拳を握る。


 ――『犠牲スケープゴート』。


 赤い光が刀護の体を纏う。

 彼の持つアストラル「犠牲」は肉体的、精神的なダメージを自身の身体能力強化へと変換する、単純だが諸刃の剣となる異能力だ。使いこなさなければ四肢が弾け飛ぶ可能性さえあり、この力はある程度慣れが必要である。黒箆はこの三年間、刀護に技術を叩き込み続けた。

 歯を食いしばり、全身の力をコントロールする。ある程度安定すると刀護は視線を上げた。


「能力の安定性はほぼ完璧になってきたな。だが、まだ時間をかけすぎだ。安定させるまでを短時間で行わないと、いざという時に死ぬぞ」

「わっ……わかってる……!」


 黒箆がポケットに手を入れる。


「よし、来い」


 刀護が飛び出した。振り上げた拳を黒箆へと叩き込む。それを黒箆は最低限の動きで回避し、更に刀護に足をかける。前のめりになってこけそうになったところを何とか着地する。

 黒箆の方を見るが、相変わらず表情は変わっていない。三年かけてもあの表情は一度も崩せなかった。

 身を屈めて走り出した。足を振り上げるが簡単に避けられる。更に振り回した腕をしゃがんで避けられる。勢いに任せたかかと落としは掴まれ、投げ飛ばされた。手で地面を押し飛び上がり、拳を振り上げた。だがその時には既に腕を掴まれ、再び投げらる。咄嗟のことで反応出来ず、背中から着地した。


「があっ……!」

「どうした、いつもより調子が悪いじゃないか。足を負傷しただけでお前は戦えなくなるのか?」

「っ……まだまだぁ!」


 こうして刀護は、何度も黒箆に立ち向かう。未だに一撃も当てたことがないが、それでも刀護が必死に戦った。

 強く、強く、ただ魂をかけて戦っている間が一番生きている感覚が持てる気がした。

 しばらく刀護と黒箆は拳を交え、刀護がヘロヘロになったところで終了する。

 黒箆が持っていたスポーツドリンクをがぶ飲みしながら、刀護は寝そべっていた。疲労感に正直でいられる、何だか贅沢に感じられる。

 コンビニの袋からサンドイッチを取り出すと、黒箆は刀護に渡した。


「今日の分だ。どうせ今日の晩も食事抜きだろう? 少しでも腹に入れておけ」

「あ……ありがとう……」


 息切れしながらも、刀護は貰ったサンドイッチを口の中に入れる。一日のうちで一番美味しく感じられる食事だ。

それを眺めながら、黒箆は話しかける。


「どうだ、日常は」

「いつも通り……。退屈と苦痛に溢れた毎日だよ。まあでも、そんなものじゃないかな」


 夕暮れを見て、呟く。


「オレは、多分幸せにはなれない」

「そうか……」


 七時になる前に黒箆と別れ、孤児院へと帰る。刀護が帰る頃には、孤児たち全員が帰宅済みのことがほとんどだ。この孤児院では、食事の前に入浴する。汚れた罪を少しでも洗い流す為だとかなんだとか。大浴場で疲れを取る。


「世を統べ、祝福を与えて下さる我らが神よ。今日この日も、無事に生を与えて下さったことを感謝いたします。そして、生を食らい歩いていくこの罪をどうかお許しください」


 食堂で再び、彼らは神に祈りを捧げる。面倒くさくなってきた刀護は、食堂に足を運ぶことすらなく、自分の部屋へと戻る。総長と目が合ったが、彼からは何も言ってこない。別に構わない。何も求めてはいない。

 部屋に戻り、ベッドに潜り込む。この時間は、小さな窓から丁度月明かりが差し込む時間帯だ。

 夜は好きだ。ゆっくり眠ることが出来る。

 月が窓から逸れると、刀護は目を瞑り、意識を手放した。


 そうして、また同じ夢を見る――。

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