終章

終章 一話 「メイナードの亡霊」

 カンボジアでの激戦から二ヶ月が経とうとしていた一九七五年の四月二十七日……、リロイ・ボーン・カーヴァーは"サブスタンスX"をめぐる一連の事件に関しての報告書を書き終えて、一時の物思いに耽っていた。


「エルヴィン・メイナードは末期の白血病に冒されていました……」


 自室デスクの回転椅子に深く腰掛け、両目を閉じたリロイの耳に先程、最後の報告資料を提出しに来た際にコーディ・マーティニーが残した言葉が蘇った。


「医者の言葉では恐らく幼少期に被爆した大量の放射線が原因ではないかとのことです……」


 人類にとってまだ手に余るエネルギー……、そのエネルギーが生み出した核分裂の光を浴びて、第二の人生と超人的な力を得たメイナードだったが、その体でさえも人間の本来の寿命である五十歳で死ぬように運命づけられていた。まるで彼自身が提唱していた、自然界での人間の生のあるべき姿を実証するかのように……。


「この世界は腐っているのか……?」


 科学技術が進歩したことで地球の片側では人類が超自然的な寿命を手に入れる一方で、地球の反対側では何千万という人間が幼少期の内に飢餓や貧困が原因で死んでいる……。富や幸福……、いや、生きる権利そのものが先進国の一部に偏った今の世界は本当に正しいのか?


 日常的には見て見ぬふりをして誤魔化しているこの世界の実情を顧みた時、リロイはメイナードの亡霊が問いかけてくるような気がするのだった。


 核の力を封印させ、世界大戦の力を世界に解放する……。そうすることで世界中のありとあらゆる不平等を無くし、真に生き残る少数の人間だけが地球と調和して生きていくことを許される世界を創る……。それがメイナードの目指す"絶対正義の世界"であった。確かにそうすれば、今世界にある不平等は消え、人類の過剰な繁栄が地球と自然環境に与えている負担は消え去り、新たな調和が生まれるかもしれない……。


「だが、間違っている!」


 リロイは胸の中のメイナードの声に断じた。静寂に包まれた執務室の中で彼の心はメイナードの亡霊と静かに戦っていた。


(数億の人間の命と犠牲に得られる調和などよりも、例え不平等と不均衡に満ちた歪な世界でも、より多くの人間が幸せに生きていくことができる道を私は選ぶ!)


 もしかすると、それは彼が恵まれた先進国に居るからこその選択だったのかもしれないが、それでもリロイは第二、第三のメイナードが現れた時のために、この世界の平和を守るための職務を遂行することを既に決意していたのである。メイナードの言う通り、人間の幸せや倫理など、自然淘汰という法則の前には異質なもので排除されるべきものでしかないとしても……。


「例え自然にとって異質であったにせよ、人もまた自然の一部として生まれたのなら、全ての人間を救いたいという人間の身勝手な願望さえも叶えられる日がくると私は信じたい……」


 そう独り言ちたリロイは心の迷いを断ち切ると、自らの職務に戻ったのだった。


 あの事件から二ヶ月、未だにウィリアム・R・カークスとユーリ・ホフマンは死体すらも確認されず、逃亡したメイナードの行方も分からないままであった……。

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