第五章 二十四話 「旧友と永遠の別れ」

 前線で多くの命を呑み込む激戦が展開されている中、北ベトナム軍の後方指揮所では同胞であったはずの二人のベトナム人指揮官が互いに睨み合っていた。


「貴様はどちらの味方だ?」


 ブイに問うグエンの目には憎しみが籠もっていた。家族を奪った国を憎しみ過ぎたが故に、その憎悪が味方にまで溢れ返った旧友の目を見返したブイにも怯えは全く無かった。


「お前のアメリカを憎む気持ちは分かる。だが、その憎悪のためにこれ以上、若い兵士の命が犠牲になる事は看過できん!」


「憎しむがあるからこそ、戦うのだろう!死の危険を冒すからこそ、兵士は兵としてあるのだろう!それすら忘れたか、お前は!」


 その怒声とともにグエンもコンシールドしていたVz.61スコーピオンを引き抜いて構えた。一層高まった緊張に幹部達は怯えて後ろに引き下がったが、ブイだけは南部大型自動拳銃を構えたまま、一歩も下がらなかった。


「銃を下げろ、ブイ。お前だけは撃ちたくない……」


 大型拳銃ほどの大きさのサブマシンガンをブイに向けて構えたグエンは低い声でそう言った。無線機からは各前線の指示を求める叫声や怒声が指揮所の中に聞こえていたが、限界を超えた緊張の中で返答することができる者は誰一人として居なかった。そんな主苦しい沈黙の中でも一歩も引き下がらないブイを見て、感心の意から鼻を鳴らしたグエンは遠い過去を思い出すように静かに口を開いた。


「俺の家族には最期の言葉を残すことすら許されなかった……」


 そう言って、Vz.61の引き金にかけた指に力を入れたグエンの耳の中では急降下する戦闘爆撃機のジェットエンジン音と対地ロケットの爆発の轟音が反芻していた。彼の家族から命だけでなく、最後の声までも無慈悲に奪った憎むべき悪魔の国への報復心に支配されながら生き続けてきたグエンに既に戻ることのできる道は無かったのである。例え、親友をその手で殺めることになったとしても……。


「俺は必ず奴らに復讐を成し遂げる!そのために邪魔なものはお前でも撃つ!許せ、裴伯哲(ブイ・バ・チェット)!」


 最後は早口で力強く言い切ったグエンはVz.61スコーピオンの引き金を引き切り、指揮所テントの中には鼓膜を破るような太い銃声が弾けた。





 突然、指揮所の中で弾けた銃声に憲兵や歩哨の兵士達が駆けつけた時には、銃弾に心臓を撃ち抜かれて倒れていたベトナム人指揮官は瀕死状態だった。


 だが、その指揮官はブイではなく、グエンだった。誰が彼を撃ったのかは自明だった。ブイを含め、多くの者が応急処置に当たる中で一人だけ立ちすくむ男……、潘頼道(ファン・ライ・ダオ)少尉だった。自分の上官が撃たれそうになったのを見て、咄嗟に発砲した彼のトカレフTT-33の銃口からはまだ硝煙が立ち昇っていた。


「グエン、大丈夫か!」


 倒れたグエンに最初に駆け寄ったのはブイだった。心臓を拳銃弾で撃ち抜かれた状態を見れば、助からないのは明らかだった。それでも、ブイの頭の中には親友を助ける一心しか無かった。そんなブイの肩に手をやったグエンは表情で、もう良い、と伝えた。そして、吐血する口から何とか言葉を紡ぎ出した。


「なぁ、ブイ……。俺達……、良い……、友人……、だったよな……?」


 旧友の末期の言葉にブイは頷き返した。


「部隊は任せろ……。もう安心して眠れ……」


 ブイのその言葉にグエンは、フッと笑うと、最期の言葉を残した。


「これで……、やっと……、妻と子供のところに……、行ける……」


 そう言い切ったところで力尽きたグエンの目をゆっくりと閉じたブイは古い戦友を失った感傷を噛み締めたかったが、戦況は彼を待ってはくれなかった。


「前線の戦闘部隊が指示を求めています!」


 暫くの間、機能を停止していた指揮所に殺到する無線連絡を通信士の一人が読み上げると、指揮所の幹部達は瞬間的に我に返り、己の役割を思い出して、再び動き始めた。


「全隊、前進中止!撤退して第二集合地点に集結せよ、と伝えろ!」


 命令を伝えるとともに騒々しさを増した指揮所の中で親友の遺体に身を寄せたブイは言葉なき親友に静かに語りかけた。


「私達は良き友のはずだった……。だが、家族を奪われた絶望と怒りがお前を変えてしまった……。そのお前を私は助けることができなかった。すまない……」


 憲兵達がグエンの遺体を搬送しに来るまでの短い間、ブイは旧友の骸の傍らに跪いて、彼の生き様に軍人としての敬意を送るとともに、その魂に安寧の眠りを祈ったのだった。

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