第五章 二十三話 「ブロークン・ウィング」
現場の犠牲を厭わぬ人海戦術に完全に移行した北ベトナム軍と解放民族戦線の混合部隊だったが、その指揮・命令は冷静な判断のもとに下されていたのではなかった。
「何をしている!前線の部隊をもっと突撃させて、アメリカ人の首を早く上げさせろ!」
「やめろ!この状況で突撃させたら、前線は全滅するぞ!」
グエンの剣幕に押され、沈黙することしかできない北ベトナム軍の幹部達に代わり、ブイは親友の暴走を止めようとしたが、現在のグエンには既に親友の言葉すら耳に入っていなかった。
「うるさい!この機を逃せば、奴らを捕らえることができなくなるだろ!」
何としても奴らを捕らえて、その皮を生きたまま剝いでやるのだ……。そう付け加えたグエンの言葉を聞いて、既に冷静な忠告など無意味なのだと悟ったブイは腰のホルスターに収めていた南部大型自動拳銃をを引き抜き、その銃口をグエンの頭部に向けた。
「上佐……!」
ブイの傍らでファン少尉が狼狽えた声を出し、周囲の幹部や通信士達も動揺を見せる中、怯えも驚きも見せずにゆっくりと振り返ったグエンは自分に向けられた銃口の先にある旧友の目を見返すと、低い声で問うた。
「何のつもりだ……?」
怒りと憎しみに満ちたグエンの視線を一身に受けたブイだったが、たじろぐようなことは無かった。彼にも覚悟があった。これ以上、前線で戦う兵士達をたった一人の指揮官のエゴのために死なせる訳にはいかない……!
「共同戦線を張っている指揮官として言わせてもらう……」
沈黙の中、幹部や通信士達は息を呑んだが、銃を構えるブイとその銃口を見返すグエンだけはどちらも一歩も引かず、睨み合っていた。
「阮公簡(グエン・コン・ジャン)少将、現在より貴官から指揮権を剥奪する!」
その言葉の重みが混成部隊の指揮所を沈黙で支配したが、その間も前線では数多くの命が散っていたのだった。
☆
「"ゴースト"航空支援部隊より連絡!敵の対空砲火が激しく、ブラックホークは降下不可能!ブラボー分隊を回収できません!」
「攻撃支援チームも残弾少なく、機体の損傷多数でこれ以上の作戦続行は不可能とのことです!ガンシップも退避しました!」
空からの奇襲攻撃で一時は勢いを挫けていたものの、犠牲を厭わぬ人海戦術で再び勢いを盛り返した敵の攻勢に"ゴースト"の指揮を統括するコントロールルームは焦燥感と絶望感に襲われていた。そして、その中でも最高指揮を執るリロイは特に重い決断を迫られようとしていた。
(数人の同胞達か、それとも世界を覆す機密か……)
どちらを取るか、切迫する戦況の中で究極の選択を迫られているリロイの耳元にコーディが悪魔の囁きをした。
「"サブスタンスX"を収納する特殊容器は核兵器の爆発にも耐えるよう設計されています。勿論、いかなる航空爆撃にも耐えることが可能です……」
リロイは渋い表情で傍らの部下の顔を見返した。コーディの目にも迷いはあったが、仕方がないといった表情をしていた。
「今、爆撃して敵を一掃すれば、我々は科学者と"物質"の生成方法を失いますが、機密と"物質"自体は失わずに済みます……」
「だが、地上のブラボー分隊が……」
「生き残っているのは三人だけです……!世界の命運とは秤にかけられません……!」
狼狽え、最後の命令を下しかねているリロイにコーディは他のオペレーター達には聞こえないよう小声で、しかし勢いのある語気をもって、上司に決断を促した。コーディの目から視線を逸らし、電子モニターに映る現状を見つめたリロイは一つ深い嘆息をついた後、遂に決断を下した。
「爆装したF-111は離陸しているか?」
「はい、既に戦闘空域周辺に展開しております」
コーディの返答を確認したリロイはオペレーター達に命令を下した。
「ブロークン・ウィングだ!ヘリコプター部隊を退かせろ!」
司令官からの最終命令に一瞬、動揺の気配を見せたオペレーター達だったが、現状を振り返り、既に下せる命令がそれしかない事を再認識すると、それぞれが担当する任務を遂行し始めたのだった。
☆
ジャングルの中を撤退するウィリアム達の姿を捉え続けていたイーグル・ワンのブラックホークだったが、救出直前にて再び高度を上げ始めた機体に、兵員室に乗っていたサンダースはパイロットのハル大尉に対して怒声を張り上げた。
「何故だ!何故、上昇する!」
「ブロークン・ウィングです、少佐!これ以上、戦闘区域に留まっていては機体がもちません!撤退します!」
小型無線を介して返ってきたハル大尉の返答にサンダースは絶望で顔色を青ざめさせた。
「ブロークン・ウィングだと……?」
その秘匿作戦コードの指す意味を知っているサンダースはしかし、それが本部からの指令である以上、逆らうこともできずに戦場を離脱するヘリの中で己の無力さを痛感することしかできなかった。
☆
S-60 57mm対空機関砲とM42ダスター自走高射機関砲の激しい対空砲火を浴びていたヘリコプター部隊が高度を上げて撤退していく様子は地上からも確認できていた。
「クソッタレが……!」
"ラジオ"を始めとする、同行していた南ベトナム軍兵士達は既に全滅し、一人で戦場を駆け回るアールは最後の対戦車弾を装填したM18 五七ミリ無反動砲を敵の車両に撃ち込むと、M50A1オントス自走無反動砲が撃ち込んできたフレシェット弾内蔵の一〇六ミリ榴弾を身を翻してかわし、左手にはM16、右手にはストーナー63LMGを持って戦場を走り回った。
「ここが俺の死に場所か……?」
数発の銃弾を受け、息も絶え絶えの状態でありながら、アールが近づいてきた民族戦線の一団をストーナー63の掃射で葬った時だった。機銃弾の掃射に撃ち倒された民族戦線兵士達の後ろから銃弾が巻き上げた土煙を越えて、黒い人影が飛び出してきたのだった。
(まずい……!)
弾切れになった右手のストーナー63軽機関銃を捨て、左手に握ったM16A1を構えようとしたアールだったが、Ka-Barナイフを片手に迫ってきた黒い影の方が動きが速かった。
「貴様がアメリカの特殊部隊員か……、会いたかったぞ!」
向けられたM16の銃身を弾き、アールを押し倒した黒い影は確かに英語を喋った。
(白人……?)
自分の上に馬乗りになったサングラス姿の傭兵の姿を見返したアールは驚愕したのも一瞬、右手の拳を男の顔に向けて振り上げたが、サングラスの男は俊敏な動きで避けると、右手に握ったナイフをアールの顔に突き刺そうとした。
頭を避けて、その一撃を皮一枚で回避したアールは全身のバネを活かして、体の上の男を弾くと、腰のホルスターから引き抜いたMk22 Mod0 "ハッシュパピー"を男に向けようとしたが、サングラスの男は向けられた自動拳銃を素早い動きで弾くと、アールに肉薄し、ナイフの刃をその首に突き立てようとした。
「何者だ……!」
近接格闘術の技能の高さから手練であると分かる男に問いながら、戦闘服のベルトから引き抜いたMK2 USNナイフを構え、男の体を突き飛ばして、距離を取ったアールはサングラスの男との間合いを取り、二人の間で睨み合いが生じたが、数秒ほどして遅れて到着した民族戦線の兵士達が二人の周囲を包囲した。
(まずい……!)
敵に包囲された状況にアールが胸中で危機を察知した時、サングラスの男がジャングルに響く大声を張り上げた。
「手を出すな!俺の獲物だ!」
意外な命令に民族戦線兵士達はお互いに顔を見合わせた。言葉は分からなくても、自分を包囲した周囲の兵士達の様子から事態を察し、驚きを感じたアールの前でサングラスの男は落ち着いた様子で自らの素性を語り始めた。
「フランス陸軍、第八強襲落下傘連隊中尉、アシル・ベル・ナルディだ」
英語でそう言ったサングラスの男、ベルにアールは素性を語るべきか迷ったが、既に生存は有り得ない状況に戦士としての誇りを優先したのだった。
「特殊戦用特殊部隊、アール・ハンフリーズ少尉……」
所属の国は明かさなかったが、命のやり取りをする相手の名を聞けたことに満足した笑みを浮かべたベルは再びKa-Barナイフを構え、タイミングを見計らうと、MK2 USNナイフを構えるアールに飛びかかったのだった。
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