第五章 十二話 「戦車の突撃」

 形勢の逆転は突然起きた。リーの指揮する北西側の防衛線を支えていたコマンドウ装甲車が爆音とともに跡形もなく吹き飛んだのがその始まりだった。


 距離は十数メートル以上離れていたため、破片で負傷することはなかったが、すぐ右脇で生じた爆発にリーは炎に目を細めながら、反射的に装甲車の方を振り返った。その視線の先、二十メートルの位置では草木を編んだ擬装に覆われ、ジャングルの一部と化して、敵に連装機銃の放火を浴びせていたはずのコマンドウ装甲車が今は車体を内部から破壊され、上半分は完全に吹き飛び、四輪のコンバットタイヤを備えた車体の下半分だけが奇妙に原形を残して燃え上がっている姿があった。


(迫撃砲弾?ロケットランチャー? いや、違う……!あれはもしかして……!)


 装甲車が粉砕される直前に聞こえた砲撃音にリーが考えを巡らせた瞬間、敵の前線の後方から再び先程と同じ砲撃音が弾けた。背中に走った不穏な悪寒にリーが殆ど反射的に、


「伏せろー!」


と傍らの少年兵に叫びながら、地面に伏せた次の瞬間、彼のすぐ数メートル前方で一〇〇ミリライフル砲弾が炸裂し、リーが盾にしていた熱帯樹の幹は根本から粉々になった。大木が衝撃波を塞いだおかげで辛うじて死は免れたが、爆風と衝撃波によって、リーの体は十数メートルほど吹き飛ばされることとなった。


 朦朧とする意識……、幻想の膜を一枚挟んだように現実感を失って聞こえてくる音……、ゆっくりと流れる視界……。戦場で死にかけた時には全てがこんな風にゆっくりと目の前を流れ、目に入る全てのものが人生最後の景色なのだと思う……。そして、今は空を飛ぶ銃弾の残像、後方に撤退して走る友軍の南ベトナム軍兵士の足、全てがゆっくりと見えた……、だが……。


(だが、今はまだ、これが俺の見る最後の景色ではない!)


 そう自らの胸の内に断じたリーは意識を瞬時に引き戻すと同時に飛び上がるようにして、体を起こした。


 激しい耳鳴りと視界を揺らす平衡感覚の異常に加え、頭痛まで襲ってくる状態だったが、それでもリーは自分のカービン銃を探し、傍らに落ちていたそれを拾い上げた。前線の方を見つめてみると、砲塔に一〇〇ミリライフル砲の主砲を構えた五九式戦車の鋼鉄の車体が進路の障害になる大木をなぎ倒し、藪を踏み潰しながら、こちらに向けて突撃してくる姿があった。


 後退して状況を立て直す………いかにコンディションが悪くとも、その戦略的思考はすぐにまとめられたリーだったが、それを実行に移すよりも前に彼には何としても守りぬかねばならない人間が居た。


(あの少年兵……!)


 リーが探した少年兵の姿はすぐに見つかった。リーが吹き飛ばされていた場所から数メートル脇の草薮の中……、どうやら先程の戦車砲の砲撃で吹き飛ばされたらしい。


「おい、大丈夫か!退くぞ……!」


 草薮の中に倒れ、こちらを静かに見上げている少年兵にリーは飛びついた。だがしかし、そこにあったのは少年兵の首から上だけだった。すぐ近距離で弾けた戦車砲弾に体を粉々にされた少年兵の首は口から血を流しながら、静かにリーのことを見つめ返していた。その表情を見て、リーは激昂することも、悲しみにくれることもしなかった。ただ、見開いた少年兵の両目をせめて閉じてやろうとしたのだが、直後に背中を叩いた手にそれは封じられた。振り返ると、南ベトナム軍兵士の無線兵が立っていた。彼も肩から先の左腕を失っていた。


「それを早く処置してもらえ!メディック、アーヴィング!頼む!」


 立ち上がり、ARVNの無線兵に肩を貸しながら、隊内無線に叫んだリーのもとにアーヴィングが駆寄って来た。


「アイツら、正気じゃない!戦車も持ち込んできた!機銃陣地も吹き飛ばされたぞ!」


「クソどものことは、どうでも良い!それより早く、こいつの処置を頼む!」


 砲弾と銃弾が飛び交う中、大木の木の脇で無線兵の左肩に応急的な処置をアーヴィングは施した。


「悪いが、こいつはそう長くは持たない……。出血量が多すぎる……」


「良いから、下がるぞ!」


 痛みにあえぐ無線兵に肩を貸し、撤退を始めたリーの後ろで、アーヴィングは後詰めの機銃掃射を敵に向かって撃ち込んだ。機銃陣地と装甲車の庇護を失い、前線を崩されて敗走する南ベトナム陸軍兵士達を追いかけて、戦車部隊の援護を受けた民族戦線と北ベトナム軍の混成部隊が一気に突撃をかけていた。





「大尉、戦車です!リー軍曹とタン中将の防衛する防衛線に敵の戦車部隊が突撃してきたそうです!」


「このジャングルの中に戦車を持ち込んできたか……」


 隊内無線に弾けたイーノックの声にウィリアムが独り言ちた時、南ベトナム軍の無線兵が彼の傍らに走ってきて、タン中将より救援要請だとの旨を片言の英語で叫んだ。ウィリアムが無線兵の背中から交信機を取り、耳に当てると、その向こうからタン中将の悲痛な叫びが聞こえてきた。


「大尉!戦車が出てきたが、こちらは対戦車砲がない!前線が崩されかけている!応援にそちらの班員を数名と対戦車砲を寄越してくれ!」


 窮状を訴えるタン中将の声を聞いて、ウィリアムの脳裏に前線崩壊の四文字が思い浮かんだ。タン中将の防衛する南側の防衛戦が破られれば、北側と北西側の防衛戦は前後から敵に攻撃されることになる。それだけは避けねばならなかった。


「私が行きます……」


無線に告げたウィリアムの声に、


「何?しかし、君は……」


と動揺するタン中将の声が無線から返ってきたが、ウィリアムは、


「指揮は部下に任せます!」


と言い切ると、交信機を無線兵に返し、近くで敵に応戦していた南ベトナム軍兵士、二人を指名した。


「君と君、私とともに来い!無反動砲を持ってきてくれ!」


 まだ若い二人の兵士は異国の特殊部隊員に指示された通りに無反動砲を取りに行った。傍らの無線兵に散開するように伝えたウィリアムはユーリを傍らに呼ぶと、イーノックに隊内無線を開いた。


「イーノック、私はユーリを連れて、南側の防衛線の援護に回る!ここの指揮は君に任せた!」


 突然の命令に驚いたのか、一拍の沈黙の後、緊張した声で返答があった。


「了解です、大尉……」


 イーノックとの隊内無線の回線を閉じたのと同時に無反動砲とその弾薬を背負った先程の南ベトナム軍兵士達がウィリアムのもとに戻ってきた。砲弾と銃弾が飛び交う中、数秒の間、身を伏せて周囲の状況を窺ったウィリアムは背後の二人、そしてユーリの方をを振り返ると、


「Go!」


と勢いよく発した合図とともに支援を求める南側の防衛線へと向けて、全力で走り始めた。

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