第一章
第一章 一話 「諮問」
特殊戦用特殊部隊、ソ連との本格的な全面戦争が発生した際、本国内部または戦闘地域において、指揮系統の破壊や各種工作活動を行うであろう敵国特殊部隊を殲滅するための対特殊部隊用特殊部隊として、大戦終結直後の一九四七年に秘密裏に発足されたこの部隊は高度な戦闘能力が必要とされるその任務の性質ゆえ、当時のアメリカ四軍の中から最高峰の戦闘技能を有する兵士達のみを結集して編成された。
だが、ソビエトの核開発成功とともに相互確証破壊の理論が提唱され、米ソの直接戦争の可能性が疑問視されるようになり、更に一九五〇年に勃発した朝鮮戦争により、冷戦の戦争が米ソの正面からの武力衝突ではなく、地域紛争などの代理戦争によって行われることが現実に実証されると、特殊戦用特殊部隊の存在意義は完全に失われ、全盛期の五十年代には二個大隊ほどの規模を誇っていた部隊の規模は一九七五年の今となっては実働部隊が二個分隊、それを支援する各後方部隊が三十余名の合計五十人足らずの小隊クラスにまで規模を縮小させ、新たに陸軍内に結成された対テロ戦専門部隊"デルタ"に米軍最強特殊部隊の座を譲りつつあった。
必然、優秀で精神面においても安定していると思われる兵士は"デルタ"に引き抜かれるため、今や各部隊が嫌う汚れ仕事を押し付けられた特殊戦用特殊部隊には、戦闘の技術が高くても所属していた部隊内や軍内部から、それぞれの事情で厄介者扱いされて、腫れ物のごとく存在を半ば封印された兵士達ばかりが集まるようになり、そんな彼らのことを部隊の存在を知る数少ない関係者達は、正式な戸籍上では死亡または行方不明扱いとなって偽名を使っている隊員達を揶揄して、"ゴースト"という呼称で部隊を呼び、いつしかその名は特殊戦用特殊部隊の正式なコードとなっていた。
☆
一九七五年 一月二十六日
ゲネルバでの籠城事件収束から五日後
ノースカロライナ フォートブラッグ
午前八時、朝の陽光を浴びながら、エルヴィン・メイナードはフォートブラッグ駐屯地の敷地を目的の建物まで歩いていた。暖温帯の気候に属するノースカロライナの早朝はつい数日前まで、赤道直近のゲネルバにいた体には少し冷たくも感じられたが、こちらの方が自分には合っているとメイナードは思った。
それは単純に彼がこの基地の中で青春期からの多くの時間を過ごしたからでもあったが、それだけが理由ではなかった。冬は寒いほうが良い。時期が変われば季節も変わる方が良い。今は遠く離れてしまっても、彼のDNAの中には祖国に生きてきた祖先達の記憶がまだ息ずいていたのだった……。
静かな朝の空気の中に聞きなれた、男達の張り上げた声が混ざってくる。メイナードが声のする前方を見つめていると、道路の百メートルほど前方の曲がり角から、朝のランニングと思われるオリーブドラブの戦闘服に身を包んだ一団が姿を現した。四十人が四列横隊でランニングするすぐ横では彼らの直属の訓練教官、少佐の襟章を付けた男が聞きなれたフレーズの歌を声を張り上げて叫び、それに続いて部下達が同じフレーズを叫んでいる。
その合唱とともに一団の姿が大きくはっきりと見える様になってくると先頭の兵士が掲げる部隊旗もはっきりとみえるようになった。この陸軍基地には多くの部隊が駐屯する。朝の風になびく部隊旗に目を凝らしたメイナードは、(特殊部隊群か?)、とあたりを付けたが、近づいてくる部隊旗はこの駐屯地に所在する空挺部隊のものだった。
すれ違うと同時に軍団の向こう側にいる、左頬の傷と白髪交じりの髪をキャップ帽に隠した少佐が敬礼とともに声を上げる。
「おはようございます!大佐!」
それに続いて、四十人分の叫びと敬礼が続く。
「おはようございます!大佐!」
メイナードも敬礼を返した。
一団の遠ざかっていく足音を聞きながら、ふと先程の教官の姿を、自分をかつて”教育”した工作担当官の男に重ね合わせ、数十年前の時代を懐かしんだメイナードだったが、すぐに自笑とともに打ち消した。
"ゴースト"はあの男が目指していたような部隊にはならなかった。彼は核兵器が通常兵器の一つとして使われる時代がすぐに来るとも言っていた。相互確証破壊の確立によって、その予測は大きく外れることとなったが……。だが、だからと言ってあの男の言葉を馬鹿にできる訳でもない……。
メイナードは病院施設の前を通り過ぎ、複数の隊舎の前も素通りして数分ほど歩くと、目的の場所に辿り着いた。この十分ほどの間にもランニングしている集団と二度ほどすれ違った。今も背後で先ほどのような掛け声が聞こえてくるのを聞きながら、メイナードは建物の入り口に続く白いコンクリートの階段を登り始めた。
☆
本来、部隊責任者達が訓練内容を検討するのに使われる第三多目的室は取調室というには明る過ぎるような印象をウィリアムは受けた。少なくとも彼が八年前、軍事裁判を受けた際の取調室は空調のダクトとドアノブのない扉がある以外、一面コンクリートの壁に覆われただけで窓さえない部屋だったが、この部屋には大きな窓もあれば、その向こうから朝の訓練前のランニングと思われる掛け声の喧騒さえも聞こえてくる。そんな第三多目的室の中でウィリアム・R・カークスはパイプ椅子に座り、先日のゲネルバでの作戦実行途中に起きた”事故”に関して取り調べを受けていた。
ウィリアムの前には向かって右側から第一特殊分遣隊司令のランシング大佐、フォートブラッグ駐屯地最高責任者のゲイツ中将、そして左端、一番出口に近い場所に陸軍お抱えの精神分析医のエルネスト大尉が、ウィリアムに向かい合うように座っている。彼らの前の長机の上には、先日の精神分析結果やゲネルバでの作戦の報告書、ウィリアムの"ゴースト"に入隊する以前の経歴などをまとめたレポートが各人の前に置かれていたが、三人とも深い興味は示さず、事務的に一瞥するだけだった。
その後に続いたランシング大佐とゲイツ中将による口頭答弁も彼らには形式的な質問をするだけで面倒気な様子だった。
自分の不足で部下を殺した……、あそこであんな過去の幻想に囚われず、すぐに引き金を引けていたら、ハワードは撃たれずに、死なずに済んだはずだった……。だが、事態がそうは進まず、その原因が自分にあった以上、その責任は取らなくてはならない……。ウィリアムは今日の諮問会議で分隊長としての任を解いてもらう心づもりだった。
だが、中将と大佐の様子を見れば、結果を聞かずとも、彼自身が望んだ解任の命を指揮官達が下すつもりの毛頭ないことはウィリアムにも、はっきりと分かった。
「それで、撤収時に生き残って隠れていた敵兵が物陰から飛び出し、君は即座に反応して拳銃を構えたが...。」
ランシング大佐が書類の報告書の内容を読み上げながら、内容に誤りがないか確かめるため、時折、ウィリアムに確認するような視線を送った。
今、陸軍の本当に優秀な隊員達は全員、"デルタ"に集められており、いずれは消える運命にある"ゴースト"に余計な人材はなるべく割きたくない。だからこそ、どんな問題があったとしても、ウィリアムには"ゴースト"の解体の日まで同隊の分隊長を務め続けて欲しい…。それが指揮官達の思惑であった。
右手の大窓からサッシを通して朝の陽光が差してくる。橙色の光が三人の姿をわずかにぼやけさせ、暖かい陽光にランシングの声も少し現実味が剥離したものにウィリアムには感じられた。
(この前もこんな感じだったな……。あの時は月光だったが……)
ウィリアムはゲネルバでハワードが自分の身代わりとなって撃たれた時のことを思い出した。
「そこで君は一種のフラッシュバック状態に陥り、対処が遅れたことで、ハワード・レイエス曹長が君の代わりに革命軍兵士の銃弾に撃たれ、重傷を負い、最終的には死亡するに至った……、と。間違いないかね?」
「間違いありません」
慄然とした答えを聞いて、ランシングは再び書類に目を移し、ページをめくる。恐らく先に述べたウィリアムの"ゴースト"入隊前の経歴をまとめた個所を探しているのだろう。そこには八年前のチューチリンの村での事件についてのレポートも記録されているはずだった。
ランシングがせわしくページをめくり、該当箇所を目で読み込む隣ではゲイツ中将はすでに飽きたのか、腕を組み、机の上に表紙を表向けておかれた調査書の一点を見つめている。数日前、白衣を着て医者然りといった様子でウィリアムの精神分析を担当したエルネスト大尉は今日は軍服に身を包み、いかにも話を聞いているように目を閉じて相槌を打っているように見えたが、ウィリアムには気配で寝ていることが察知できた。
人の心を分析できるようになれば、ばれずに居眠りする技術も手に入れられるということか……、とウィリアムが内心でそう思った時、ようやくチューチリンの事件での概要を掴んだらしいランシング大佐が顔をあげた。
「え~、そしてそのフラッシュバックの内容、また原因そのものがチューチリンでの作戦中に起きた事件に関係していると」
「はい」
ゲイツ中将が唸りながら、俯いていた顔を窓の方へ向ける。精神分析医は相変わらず、寝ているようだ。ランシングがウィリアムの眼を見つめて続ける。
「それで君はゲネルバでのハワード曹長の死の責任を取ってブラボー分隊隊長の任を辞して、後任をハンフリーズ少尉に任せたいと?」
ランシングが首を少し傾げながら問う。ウィリアムは力強く頷いた。窓から差し込む朝日が眩しかった。
「間違いありません。今までにも同様の症状を作戦中に発作したことも複数回ありますので、これ以上部下達を危険にさらすわけにもいかないと判断した結果、それが部隊にとっても私個人にとっても、最も正しい決断だと判断しました」
はっきりと言い切ったウィリアムの答えにランシングは溜め息をつきながら、顔をしかめると、ゲイツ中将の方に向き直った。
「基地司令はどうお考えですが?」
ゲイツは橙色の光が漏れる窓の方を向いたまま、しばらく沈黙したままだった。丁度、ランニングをしていた兵士達の一団が建物の前を横切り、ランニングの掛け声が静かになった部屋の中に大きく響いた。
遠ざかっていった一団の掛け声が徐々に小さくなっていき、聞こえなくなってきた頃、基地司令はようやく口を開いた。
「だが、他の隊員達の報告では大尉の反応に問題はなかったのだろう?」
突然の質問で一瞬固まったランシングが再び資料のページをめくり、該当箇所を見つけると、何度か頷きながら答えた。
「ええ、ハンフリーズ少尉とミンク一等軍曹の報告ではそうなっています」
「しかし、それは彼らが私を庇おうとしているのでは……」
椅子から半ば立ち上がりかけながら、反論の弁を開こうとしたウィリアムをゲイツ中将が片手をあげて制した。そして、そのまま隣で居眠りしている精神分析医の方を向く。
「エルネスト大尉。カークス大尉の精神状態に専門的な立場から検査して問題はあったか?」
居眠りの精神分析医は、だが、直前にウィリアムが声を荒げたことで目覚めていたのか、少将の質問に目を瞬かせ、一つ咳ばらいをした後、報告を始めた。
「カークス大尉の精神分析結果に関しましては、あらゆる催眠療法、脳波検査など最新の検査を行いました。その結果、軽いトラウマ傾向はあるようですが、それも正常の範囲内で検査結果はどれも問題ないものでした……」
その報告が終わるとともに三人の目がウィリアムの方を向く。その目から決定内容を確信したウィリアムは、
「自分は、過去に薬物に対する耐性訓練も受けています。それで検査結果が……」
とまだ反論を続けようとしたが、またしてもゲイツ中将に止められた。
「カークス大尉。どんな兵士も暗い過去、トラウマを持つものだ。時には、それに心を支配されることもあるだろう」
椅子に深く腰かけたゲイツ中将はゆっくりと続けた。
「だが、我々はそれを乗り越えることもせねばならない。そして、君のような人間にはそれが可能だ」
ゲイツ少将がランシングに目配せをする。お互いに頷きあうと今度はランシングが机に乗り出した。
「ウィリアム・ロバート・カークス大尉、第一特殊分遣隊総指揮官として命じる。特殊戦用特殊部隊ブラボー分隊の指揮官としての任を継続せよ」
事務的な口調でそこまで続けた後、ランシングは同情するような、申し訳なさそうな表情を浮かべて続けた。
「私も同じ軍人、部隊指揮官として君の不安もわかる。だが、君も知っている通り、今、第一特殊分遣隊の中では新しい対テロ特殊部隊を編成していて、特殊戦用特殊部隊に新たな人員を割く余裕はないのだ……。分かってくれ……」
その言葉は裏返せば、ウィリアム達は規格外品、時代の流れに取り残された異物だと言っているのと同義だったが、ウィリアムはそこに食いつくようなことはしなかった。
「幸い、その新部隊がようやく戦闘単位として機能し始めたおかげで、君たちにはしばらくの間、休暇を与えられそうだ。その間、ゆっくり休んでくれ」
ランシングがゲイツに頷き、ゲイツがウィリアムに異論がないことを目で確かめると、声を張り上げた。
「それでは、この会議はこれで閉廷とする。なお、議事録、録音記録は合衆国陸軍法に基づき、第一種機密事項とし、厳重に封印対象とする。よろしく頼むよ、ランシング大佐」
一応の記録係も担当していたランシングが「はっ!」と短く答礼する。精神分析医のエルネスト大尉はそそくさと会議室を出ていってしまった。ゲイツはゆっくり出口に赴くと最後にウィリアムの方を振り返った。
「大変だろうと思うが。我々も君たち前線の兵士の重荷が少しでも減るように努力する」
そういって出ていったゲイツに続いたランシングも部屋をでる直前に、こちらを振り向き、無言で頷いた。ウィリアムはその二人を直立不動の敬礼で見送った。
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