序章 十二話 「犠牲」

 二重に束ねたライオット・シールドで前方を完全に固めて、ゆっくりと前進していたゲネルバ陸軍の一個小隊、三十余名はゲートの手前二十メートルまで接近しても、私邸の中の敵が全く攻撃してこない事を不審に思っていた。


(もしかすると我々だけで陥とせるかもしれない……!)


 その期待に胸を沸き立たせたゲネルバ陸軍の小隊は小隊長の命令のもと、突入の隊形を整えていたが、そこにフェルナンド中佐からの撤退命令が届き、出鼻を挫かれた形で前進してきた道をしぶしぶ戻ろうとしていた時だった。


「隊長、あれを……!」


 部下の一人が私邸の上空を指差して叫んだ声にゲネルバ陸軍の小隊長は既に背後にしていた私邸の方を振り返った。その瞬間、振り返った小隊長の視線の先で夜闇の中に白緑色の光が煌々と輝いたのだった。


 制圧完了、突入せよ……。


 私邸上空で打ち上げられた照明弾の輝きが示す命令内容はそうであった。


 フェルナンド中佐と照明弾と、どちらの命令に従うべきか、小隊長は一瞬迷ったが、革命軍兵士に殺された私邸の警備兵が彼の弟だったことが最終的な小隊の決断を決定付けた。


「突撃だ!シールド班、前へ!ライフル班はその後に続け!」


 小隊長の怒声とともに、二重のライオット・シールドを構えた兵士達が斜面になっている道路を全力で駆け上がり、その後ろに革命軍のFALより数世代旧式のボルトアクションライフル、スパニッシュ・モーゼルM1893を構えたライフル班の兵士達が続いて突進した。


 一瞬の内に壊れたゲートが目の前に近づき、その残骸を飛び越えた兵士達は私邸の敷地に進入した。敵からの反撃は一切ない。


(おかしいな……)


 ライフル班に続いて、私邸の敷地に突入した小隊長は不審に思った。敵からの反撃がないどころか、ゲートを越えてすぐの前庭には革命軍の兵士達があちらこちらに横たわっていた。全員、一発で急所を撃ち抜かれて死んでいる……。M1カービンを構えて屋上の方も警戒するが、設置された重機関銃も火を吹く気配はない。


(既に殲滅されている……。だが、誰が?)


 その誰かの姿はスペイン人領主の悪趣味を再現した敷地の中には全く見当たらなかった。


「小隊長、見つけました!一階、応接間です!」


 いぶかしみながら、小隊長が前庭中央に造られた噴水の横を通った時、建物の中で部下の一人が叫んだ。その声に従い、玄関から建物に入って、応接間に立ち入った小隊長は薄暗い部屋の中に革命軍兵士達とともに転がる四人の死体を見て呻いた。


「これは、ひどいな……」


 白人には同情することはないと思っていた小隊長だったが、女、子供さえも容赦なく殺されているのを見て、さすがに呻きを漏らした。


「処刑されたのか?」


「ええ、恐らく……」


 呻くように問うた小隊長に、頭頂部に銃弾を撃ち込まれた死体を確認していた衛生兵が答えた。


「こいつらですよ……。なんてひどいことを……」


 衛生兵は傍らに転がる革命軍兵士の死体を顎でしゃくりながら、声を震わせた。


(いや、違う……)


 小隊長は理由を説明できない違和感を感じた。


(これをやったのは何か他の……)


 そこまで考えたところで、嫌な予感とともに背筋に悪寒が走った小隊長は、「全員、退避しろ!今すぐだ!」と周囲の部下達に叫んでいたが、既に手遅れだった。


 建物を破壊するのに最も効率が良い十六箇所に仕掛けられたC4爆弾が、時限表示がゼロになると同時に爆発し、小隊長を含む二十人余りのゲネルバ兵は瓦解する石造りの建物の瓦礫に飲まれ、押し潰された。前庭に出ていた兵士達にも倒壊した建物の破片が頭上から襲いかかり、巻き上がった噴煙に彼らは視界を遮られて、行動不能に陥った。


 爆発と同時に轟いた轟音は、八百メートル離れた対策本部にも瞬時に伝わり、部下に新しい命令を伝える途中だったフェルナンド、テントから飛び出したコーディの両方ともが赤い炎に照らされた爆発のキノコ雲が大使私邸周辺の空に立ち昇っていくのを目撃し、その場で固まるしかなかった。


「いっ……、一体、何が起こっている……」


炎の上がった山頂の方を見あげながら、フェルナンドは震える声で呻いた。





「クリーン・アップ、終わりました」


「アルファ、ブラボーともに地下通路を抜け、ウグイスがランデブー・ポイントでリカバリーしました。作戦完了です、大佐」


 後ろから呼び掛けた部下の言葉に、エルヴィン・メイナードがすぐに答えることはなかった。


 C4爆弾の爆発の炎が、革命軍が持ち込んだ弾薬類や建物内部に貯蓄されていた可燃ガスに誘爆して、激しく燃え上がるリード大使の私邸を双眼鏡で暫くの間、じっくりと確認したメイナードは数十秒ほど経って、ようやく双眼鏡を下ろすと、ゆっくりと後ろを振り返って、部下の言葉に答えた。


「我々も撤収する。機器を片付けろ。持ち運べないものはここで処分だ。我々のいた痕跡は一つも残すな!」


 命令と同時に指揮分隊の四人の隊員達が通信機器を片付け始め、機密書類を特殊溶媒に浸けて放棄し始めるのを確認したメイナードは再び、窓の方を振り返り、燃え上がる山の上を見つめた。


 革命軍、ゲネルバ軍、両軍の兵士に加え、大使一家も合わせて七十人近くが犠牲となり、"ゴースト"の隊員にも数人の犠牲者が出た。だが、メイナードの心は全く痛みを感じてはいなかった。大いなる目的のためなら、例えどれ程の犠牲であったとしても仕方ない。それが彼であった。遠い昔、彼が人であることを止めた、いや、止めさせられたその時から……。

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