序章 四話 「狙撃」
ウィリアム達が上空一万メートルの輸送機から飛び降りて、高空へと身を投げ出した時、彼らの目標地点である大使私邸の周囲を囲む、高い防壁のすぐ脇の熱帯林には本隊の作戦行動をサポートする任務を帯びた狙撃チームが配置についていた。
事前に手に入れていた地雷の敷設地図を頼りに、熱帯雨林の中に大量に仕掛けられた跳躍地雷とクレイモアを避けながら山腹を麓から登ってきた四人の狙撃チームは大使私邸から百メートルの地点で二チームに分かれ、本隊が降下を開始した現在は私邸の南東と西の二地点に着いて、それぞれ狙撃の準備を整えていたのだった。
南東側の位置についたブラボー分隊の狙撃チーム、イアン・バトラー先任曹長と観測手を務めるスパイク一等軍曹は私邸を囲む塀のすぐ脇に立つ熱帯林の幹を登り、太い枝の上に体を預けて狙撃の体勢を取っていた。
「あー、くそ……。あちぃ……」
スポッターを目に当てて、私邸内部の敵の動きを監視しているスパイク一等軍曹が毒ついた。二十五度を下らない気温のため肉体は汗ばみ、二人はすぐにでも全身を覆う装備と擬装服を脱ぎ棄てたい気分だったが、そうすれば彼らに待っている運命は即座の死のみだった。
確かに熱帯樹の枝の上に陣取っている彼らの姿は鬱蒼と生茂ったジャングルの葉と夜の闇によって敵の裸眼の視界からは隠されていたが、侵入者を監視する敵の目は人間の裸眼だけでは無かった。赤外線装置……、全ての物質が放出する遠赤外線を感知し描写した灰色の視界の中に、人体や動物が発する熱赤外線を特に高感度で感知して、白いサーモグラフィーの影として強調して浮かび上がらせる最新式の大型ナイトビジョンスコープ。その最新装備をレシーバー上に搭載した重機関銃が大使私邸屋上から敷地周囲に侵入者を炙り出す警戒の視線を向け続けているのだ。
もしも今、赤外線遮断効果も兼ねたギリースーツを脱ぎ捨てれば、人工物が他に一つもない熱帯林の中で不自然に熱を放つイアンとスパイクの存在は一瞬で察知され、重機関銃の掃射によって四散させられてしまうだろう……。
「赤外線ナイト・ビジョンなんて、便利なもの渡しやがって……」
熱帯の高温にさらされながら重い装備を背負って、山の斜面を何時間も登らされたスパイク一等軍曹には鬱憤がかなり溜まっているようだった。
「今日の味方は明日の敵だからな……。あの馬鹿な議員がハニートラップにさえ引っ掛からなければ、あいつらは今も俺達の仲間だったさ。誰にも想像できんことだ……」
スコープの倍率を合わせ、狙撃の準備を整えながら、イアン・バトラー先任曹長は答えた。
国民は貧困であえぎ、国軍は旧式の装備しか使えないゲネルバで、革命軍の兵士達が最新式の装備を揃えることができているのはイアン達の母国、つまりアメリカ合衆国の支援があったからだった。
二十一世紀前半、プランテーション企業による搾取と傀儡政権の圧政に対する非暴力の抵抗として人民の間に静かに浸透していっていた共産主義思想は大戦後、米ソの冷戦が始まりゲネルバがキューバと同様に合衆国の北東部を弾道ミサイルの射程にいれることができるという地理上の戦略的価値を帯びたことで、形ある武装勢力に変異した。当然、自分の裏庭で共産国家が誕生する危機を合衆国が見過ごすはずもなく、共産ゲリラの組織発足と時を同じくしてCIAの裏工作が開始された。
汚職と腐敗が蔓延したゲネルバ政府を再起させることは最早不可能と判断した彼らが取った戦略は共産勢力に対し、敵対心を抱いている現地軍人を扇動し、彼らにもゲリラ組織を結成させることだった。こうしてゲネルバ革命軍が結成されてから十年以上の間、ヨーロッパのダミーカンパニーを通して、大量の武器と金が革命軍に流れ、加えて秘密裏に派遣された陸軍の特殊部隊"グリーンベレー"が兵士達に技術訓練を行うことで、ゲネルバの新米武装勢力は着実に力をつけ、規模で圧倒的に勝る共産ゲリラと戦力を均衡するまでになったのだが、つい一年ほど前、この秘密作戦に関与していたアメリカ上院議員の一人が不倫関係の不祥事をマスコミに握られた際に、ゲネルバへの非公式な武器供与の存在を明かしたことを、きっかけにその支援は全て打ちきられることとなった。
そして、国際社会と国民の双方から多大な非難を受けた米国政府が突如、一方的に支援を打ち切ってからというもの、ゲネルバ革命軍は急速にその勢力と統制を失っていくこととなった。
「何しろ、奴らはこの三ヶ月で共産ゲリラに拠点を落とされ続けているらしい……。焦った末にアメリカから再び支援を揺すり得ようと考えたんだろう」
レミントンM40A1スナイパーライフルを構えながら、イアンは諦念の言葉を漏らした。戦場で戦うのは兵士だが、一介の兵士が何を喚き散らしたところで、大きな体制の趨勢は変えられない。戦争とは兵士達の願っている時、願っている場所で起きるとは限らないのだ。スパイク一等軍曹も溜め息を吐きつつ、狙撃観測用のスポッターで、私邸の屋上にいる革命軍兵士達を監視し、定めた目標をすぐ横で膝射の姿勢をとるイアンに伝えた。
「第一目標、十一時の方向。距離七十、屋上に陣取る重機関銃手の男。左からの風、三ミル」
「見えてるよ……」
ぶっきらぼうに返したイアンはスコープに取り付けられた上下・左右調節ネジを自分の経験に照らして回した。
(くそ、スコープに妙なものを取り付けられたせいで銃が重い……)
イアンは胸中に呟きながら、スコープの先端に大型の熱感知式暗視装置を取り付けられて、前部が重たくなったレミントンM40A1狙撃銃の銃身をクッション代わりの左腕を挟んで、立てた左膝の上に乗せ、自身の身体は背後の幹にもたれさせる構えで膝射の体勢を取った。
「第二目標は二時の方向、距離六十五。同じく屋上、狙撃銃を手にしてる男だ。ミラン対戦車ミサイル発射機の右」
「確認してる」
「一発で仕留めてくれよ……」
熱感知装置付きのスポッターを覗いて、敵を睨むスパイクが念押した。
「心配せんでも、アルファ分隊のやつらに笑われるようなヘマはせん……!」
「頼むぜ、おっさん」
アルファ分隊所属のスナイパー・チームは私邸の西側で、イアン達と同じように熱帯林の木の上に登り、駐車場も兼ねた私邸の前庭を警戒する兵士達に狙撃の照準をつけていた。その姿を熱線スコープで確認したイアンもいつもより重いスナイパーライフルの銃身を巡らして指定された狙撃手の姿を熱感知の視野に収めた。重機関銃の前から動かない第一目標と違って、第二目標の敵狙撃手は等速度で屋上を移動している。しかし、その動きはパターン化されたものだったので狙撃の難易度は大して高くないとイアンは判断した。
それよりもイアンはスパイクの"おっさん"という言葉に苦笑を漏らした。事実、二十代後半から三十代の兵士が集まる"ゴースト"の中で彼だけが五十代にも差し掛かろうかという高年齢だった。同じ第一特殊作戦群の若い兵士たちと比べれば体力を始めとして、様々な能力において衰えが現れ始めているにも関わらず、彼が陸軍内でも最高レベルの兵士のみが所属を許される第一特殊作戦群に先任曹長としての籍を置くことができているのは彼の飛びぬけて優れた狙撃技術と長く特殊な戦闘経験が戦略的に重要な価値を持つと評価されたからだった。もっとも、その経歴の殆どは機密扱いとして封印されているのだが……。
「そろそろ、大尉達が降りてくる頃だ……」
スパイクがスポッターから双眼鏡に持ち変えて、薄暗い積乱雲に包まれた空を見上げながら呟いた。
「見えるか?」
スコープの中を覗き混んだまま問うたイアンだったが、スパイクの目には映るのは空を覆う厚い積乱雲だけだった。
「いや、まだだな。何も見えない」
スパイクは素っ気なく答えたが、彼が双眼鏡で見上げる積乱雲の向こう側ではウィリアム達、六人の" ゴースト"隊員達が高高度層の重力空間を突破し、大使私邸に向けて急降下しているところだった。
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