02:白い夏

 はじめに違和感に気づいたのはいつだったんだろう。

 気持ちの正しさに何の疑いもないままで、それが当たり前で当然だった。

 毎日同じ道を歩いて、通った。長引くホームルームを待ち据えることも。

 仲がいいな、と言われれば当然だと返していたし、その関係を振り返る必要性すらなかったように思う。今思えば、とても不思議だけど。

 幼馴染みというのは、そういう錯覚を簡単に引き起こす。


「省吾、最近あまり来てくれないね」

 千紘の声は平静と変わらない。だけど、俺はハッとして顔を上げた。

 薄く微笑ってみせる幼馴染みは、それを責めているわけじゃないと瞳で語る。

 声が咽喉に張り付く感じがして、一言も発せずにいると千紘はそのまま続けた。

「先週の大会観に行きたかったな。高橋センセが、すごく褒めてた」

「高橋、ここに来てるのか。……来年こそ新記録狙う。試合の録画なら、俺の親父が…」

「何言ってるのサ、生で観られないなら意味ないじゃない」

 わかってないなあ、眉下げて呟く千紘の様子は昔とそう変わらないように見える。

 少し小生意気に振舞う、猫のような仕草が時々ふと、隠し切れずに褪めた表情を見せる度、それが彼なりの強がりであるのが分かってしまうけど、変わらないよう努める姿に俺は騙されていたかった。

 真っ白な病室。あまりにも無機質すぎる。

 そう思うから、訪ねる度に窓際へ花を活け、窓を開け放した。

 ここは、息が詰まる。

「昔は、毎日会ってたから、今これだけ省吾と離れてるのがヘンな感じがする。……背、伸びたよね。羨ましいな」

 同じ気持ちだよ、と言えない俺が居た。肯定の代わりに少し笑ってみせる。

 手を伸ばせば触れられる距離にありながら、この寝台の側の椅子から少しも動けずにいる俺の心情はきっと千紘には伝わらない。

 …伝わって欲しくない。そう考えていた。

「新学期には出て来られるんだろ?寝てばっかだから伸びるもんも伸びないんだよ。俺を抜かすのは無理だと思うけど」

 看護師から又聞きした情報だった。秋には一度退院出来る、と。

 精一杯返す普段通りの声に、添える笑みの口端が少し震えた。目の前の千紘の表情がにわかに曇った気がして、膝上で拳を強く握る。

 千紘は、視線を一度窓の外へ投げた。潮の匂いのない夏風がカーテンを揺らすのを追ってからゆっくりとこちらへ視線を戻した。

「でも、学校通えるのはすこし先になるんじゃないかな。寝たきりだったから、あちこち筋力落ちてていけないのだって。水泳の授業、きっと終わっちゃうな」

「泳ぎたかった?」

「うん、夏らしいことしたかった、なあって」

 思えば、千紘がこの白い病室へ移ってもう二年になろうとしていた。間に高校入試を挟み、同じ高校へ入学できたこと自体がすでに夢のような話だった。出席数を兼ね合い入退院を繰り返し、この春三度目の入院をして今に至る。

 しみじみとした千紘の語り口調を前に、俺は席を立っていた。

「行こう。散歩ぐらいなら、構わないだろ?」

 ベッドの側の車椅子を手押して傍らへ寄せると、少しだけはにかんで千紘は掛け布団を捲った。




 失くしてから気づいた。意地を張っていたんだって。

 本当はもっと逢いに行きたかったし、話したいこともあったはず。俺は、色んなものから逃げていたんだ。

 あの無機質な部屋で俺を待つ千紘は、いつも何を思っていただろう。

 何年経っても、褪せずに思い出してしまう。あの夏を。

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