第36話 霹靂

 始が死に、自らが生きる理由を失い、夢奏はこの世界が心の底から嫌になった。

 嫌になったから、鏡を砕くように、この世界を終わらせようと決めた。


 町内の人々は鏡の中から現れる鏡像達に恐怖し、恐怖の中で殺される。中には抗おうとする者もいたが、ただの人間が鏡像に勝てるはずがなく虚しく殺される。

 血飛沫が町を染め、叫び声が町に響く。

 夢奏とすれ違う人々は、夢奏とすれ違った直後に頭を撃ち抜かれ死亡する。目の前に現れたのが戦士であれば、頭を撃った後に身体中に銃弾を撃ち込む。鏡像達を苦しめる夢奏の声に抗い、何とか武器化を保った戦士達も、無属性に能力を砕かれ虚しく散る。


 見知らぬ人間の頭が割れ、血と脳漿、脳が散乱する。見知らぬ戦士の腹が裂け、傷を負った内臓が露出する。路上に幾つもの死体が転がる。

 少し前の夢奏であれば間違いなく目を覆っているであろう惨状だが、夢奏は目を覆うどころか逸らしてすらいない。それもそのはず、惨状を作り出したのは夢奏自身。そしてこれは夢奏が望んだ結果。寧ろ喜ばしい程である。


「みんな死んじゃえばいい……」


 その惨状は最早、夢奏により作り上げられた作品。痛々しくも清々しく、グロテスクながらも美しい、唯一無二の芸術。BGMとして、バッハのG線上のアリアが流れていれば最高だろう。

 落ち着いた調律で心が穏やかになり、穏やかな状態で死にゆく人々を見つめる。それも血と内臓を派手に散らす人々を。

 曲調とは真逆な光景だが、それすらも美しいと感じる。


 もし本当にG線上のアリアが流れていたとすれば、恐らく目の前の惨状は彩りに変わる。そして彩りに変わった時、人は死に対する嫌悪感を失い、猟奇的な次元に到達する。


 最高に罪深く、最高に気持ちがいいと。




 人の死というものはとても辛く悲しい。

 とは言え、それは親しい人物、好きな俳優、好きな歌手……言わば、好きな人間が死んだ時に限られる。

 顔も名前も知らなければ縁も無い、そんな人物が死んだとしても、人は悲しまない。それもそのはず、自分以外の人間全員に興味を持てる者などいない。無論、夢奏も親しい人間以外に興味は無い。


 今の夢奏にとって人の死は絵の具。

 始を失い色を失った視界を彩る、赤い絵の具。


 絵の具を床に零しても、拭けば済む話。罪悪感など湧かない。

 それと同じで、夢奏にとって路上に転がる死体は零れた絵の具。誰かが血と死体を拭き取れば済む。即ち、罪悪感など湧くはずがない。



 最早人を人として見ていない夢奏だが、恐らく唯一人として認めているであろう存在が目の前に立ち塞がった。



「夢奏……」

「……摩耶……」


 摩耶は暴走しつつあった鏡像を抑えこみ、既に武器化して右手に掴んでいた。その刀身は相変わらず紫色だが、刀身の表面は血液により赤黒く染められている。

 そして、摩耶の身体も返り血で染まっている。とは言え摩耶の身体に損傷は見られない。恐らくは夢奏と合流する前に、誰かを殺したのだろう。


「お母さん……お母さんの鏡像に殺された。けどその原因は、夢奏なんでしょ? 夢奏の、あの声なんでしょ?」

「……分かってるなら、さっさと私を殺せば?」

「っ!? 何……言ってんの?」

「言ってたでしょ。務君は私のことを根源だって……そう、私は戦いの根源。生きてちゃいけない存在なの。だからさぁ……殺せるなら殺してよ」


 摩耶は夢奏と話をしている。そのはずなのに、摩耶は目の前に立っているのが夢奏ではない気がした。


「ねえ摩耶……私、怪物なんだよ? こうやって人も沢山殺してるし、私は十分殺される理由を持ってる」

「夢奏は怪物じゃない! 始の恋人で……私の家族でしょ……」

「……本当に家族だと思ってるなら、私のことを殺して。本当は始の手で終わらせてほしかったけど……」


 夢奏の発言を聞いた直後、摩耶は夢奏の隣に始が居ないことに漸く気付いた。


「……夢奏が殺したの?」

「直接傷付けたのは戦士。だけど、私が殺したっていっても間違いじゃないかな……あの時私が始の足を止めなきゃ、始は殺されなかったかもしれないから」

「……そう……」


 涙は出なかった。そして同時に、夢奏の違和感の原因を理解した。

 始が死んだことで夢奏の心は壊れたのだ。

 心が壊れたが故に、人間に対する憎悪が増大。憎悪はそのまま殺意へと繋がり、自制心や慈悲を棄て、自分以外の全てを殺すことを唯一の目的としたのだ。

 摩耶は夢奏同様始のことを溺愛していた。故に、始を失った夢奏の気持ちは痛い程理解できる。始を見殺しにしたこの世界への怒りや、戦士達への怒り。夢奏が抱いているであろう感情は全て理解できる。

 理解できるからこそ、夢奏はここで止めなければならない。止めなければ間違いなく被害は拡大し、下手をすれば戦争の引き金になる可能性もある。


 しかし摩耶に止められる自信はない。恭矢曰く、夢奏は根源を殺せる可能性を秘めた存在。同時に夢奏は根源。唯一根源を殺せる存在が根源自身であるということは、根源の力無くしては根源を殺せない。とは言え根源の力を使う事などできない。

 そもそも相手は夢奏。血の繋がらない家族として、ずっと一緒の家で生きてきた。夢奏を殺すということは即ち、家族を殺すということ。家族思いの摩耶にとってそれは苦行、自らの腹を切るよりも辛いことである。無論、根源だと分かった今でも、夢奏のことを心から敵視することなどできない。戦いたいとは思えない。


「……そう言う摩耶こそ、殺したの? お母さんの鏡像目の前にして逃げ出す程、摩耶は弱い人間じゃないよね?」


 再会した時に摩耶は、母が母の鏡像に殺されたという報告をした。しかしそれ以上の情報は口にせず、母の鏡像の生死については定かでは無かった。

 とは言え摩耶の身体には返り血がベッタリと付着している。恐らくは鏡像の母を殺し、夢奏と再開するまでの間に何体か鏡像を殺したのだろう。


「辛かった……けど殺すしかなかった。私は鏡像を殺す、戦士だから。戦士だから戦いから逃げちゃいけなかった」

「……なら分かるでしょ。摩耶は戦士として、私と戦って勝たないといけない」

「……どうしても、戦わないといけないの?」

「どうしても。けど私は、1度この世界をこわしたいって考えた。私は私の夢を実現させるために、全力で摩耶に抗う」


 夢奏はもう元に戻らない。死は望んでいる。しかし同時に、人間を殺し続けるという夢を抱いた。即ち、この場でどちらかが死ぬ。


「摩耶は雷属性だったよね……実際に摩耶の戦いを見るのは初めてだけど、私には無属性の力がある。正直、負ける気はしない」

「……言っとくけど、戦いの経歴に関しては私は夢奏より上。同時に、始の姉でもある。そう簡単には死なない……負けない!」







「いくよ……夢奏!!」

「来なよ……摩耶!!」


 摩耶は刀を構え、斜め下から上へと振り上げる。


「雷神之息吹!!」


 振られた刃から生まれた風圧は雷を纏い、目にも止まらぬ速度で夢奏へと向かう。

 しかし摩耶が雷神之息吹を放つよりも先に、夢奏は摩耶に向けた銃口から透明な弾丸を既に放っていた。


「雷鳴爆散」


 雷神之息吹は夢奏を殺す前に消滅。しかしその瞬間、夢奏と摩耶は互いの力量と戦い方を理解した。


(私が攻撃する前に撃ってきた……なら撃たれる前に撃つ!)


 摩耶は再び雷神之息吹を放つ。しかし本命はその後である。

 下から上へと振り上げられた刃はそのまま天を指し、夢奏が雷神之息吹を消滅させるよりも先に摩耶は次の技を発動した。


「雷神之咆哮!!」


 摩耶の使用する雷神之咆哮は、空を覆う雲から強制的に落雷させるという力。鏡像には自然現象や兵器が通用しないため、落雷を発生させる際には雷属性の力が付与される。落雷を雷属性の技とすることで、落雷本来の威力を残しつつ鏡像を殺すことができる。


(雷で焼くのは可愛そうだけど……これなら苦しみを与えずに殺せる!)


 摩耶が発動した雷神之咆哮は、空気を裂きながら夢奏へと落ちていく。多少雲はあっても今日は晴天。陽の光も見えていれば、青い空も見えている。そんな中で突如轟く紫色の落雷は、まさに晴天の霹靂。

 無論、人間が落雷などを避けられるはずもなく、夢奏は落雷を受けることとなる。


 はずだった。



「嘘……」


 夢奏は死んでいない。そもそも落雷を受けてすらいない。


八咫鏡ヤタノカガミ……」


 夢奏は立ち塞がる戦士達と逃げ惑う人々を殺していく中で、鏡の世界と完全に同調した。同調し、最も鏡像に近い人間になった。そしてこの世に1人しか居ない特別な存在になった夢奏は、かつて鏡像の夢奏が言っていた"絶対的な力"というものを手にした。

 その名は、八咫鏡。戦士、鏡像問わず、相手の力を吸収、自らの力へと変換できる。仮に氷属性と対戦し力を吸収すれば、その相手と戦っている間は任意のタイミングで氷属性の攻撃を放つことができる。今現在、夢奏は雷属性の摩耶と対戦しているため、吸収した雷属性の力を一時的に使用できる。

 夢奏は先程放たれた雷神之咆哮を八咫鏡で吸収し、雷属性の力を得た。故に摩耶と対戦している間は、夢奏は無属性と雷属性、両方の力を使える。

 とは言え絶対的な力とされる八咫鏡を使用するにあたって、何の代償も無いはずが無い。

 大きすぎる力には、必ずそれなりの代償が必要になる。逆に代償無くしては、絶対的な力は得られない。それはこの世の理。誰にもどうすることはできない。


「ゆ、かな……?」

「私は負けない……必ず戦士は一人残らず殺す。実体の私は死んでも、鏡像の私が死なない限り生き続ける……なら、"パーツ"を失うことだって惜しくない!」


 八咫鏡の代償。それは、身体の衰弱。

 夢奏は常時八咫鏡を発動しており、無属性の力で防ぎきれない力を吸収するようにしている。しかし夢奏が相手の力を吸収する度に、夢奏の身体は部分的ではあるが衰弱してしまう。衰弱具合は能力の強さにより変動し、力が強ければ強い程衰弱は激しくなる。

 夢奏は摩耶と遭遇するよりも前に、既に2度敵の力を吸収している。1度目に吸収した力は弱かったため、右眼の視力が少しだけ悪くなっただけだった。2度目に吸収した力は1度目より僅かながら強かったため、左耳の昨日が衰弱。今現在、左耳は殆ど聞こえていない。

 そして摩耶の雷神之咆哮は、これまで受けた能力の中でも最強。これだけ強い力を吸収すれば夢奏の力もかなり増大するが、それだけ大きな代償を払う必要がある。


「だからって……腕がそんなになるなんて……」


 摩耶がその異変と言葉の意味に気付いた時、夢奏の左腕は既に衰弱していた。

 血は通っているものの筋肉は著しく衰え、最早骨の上にそのまま皮膚が張り付いていると言っても過言ではない。元々細かった腕も指もさらに細くなり、さながら腕だけが老化したようにも見える。


「こんなもの……始が味わった痛みに比べれば全然苦じゃない。寧ろ腕を失ったおかげで、私は摩耶の力を一時的に得られた」

「……力の代償に身体の機能を捧げるなんて……」

「……許せない?」

「ううん……すごく、可哀想。命を削ってまで強さを得るなんて……16歳の女の子が考えることじゃない」


 夢奏は沢山の人を殺した。人を殺し続けた。そして最愛の相手である始を死なせた。それでも、摩耶は夢奏のことを憎んでなどいない。寧ろ戦いのせいで狂ってしまった夢奏に同情している。

 自らが根源であると受け入れたことで、夢奏は人類の敵となった。生まれつき意味も無く嫌われ続けてきた夢奏が、理由付きで嫌われるようになった。しかし恋人を失い、家族を失い、仲間を失った夢奏が、悲しんでいないはずが無い。


「もう、夢奏にそんな辛い思いをさせたくない。夢奏にそんな可哀想な思いさせたくない……だから! 私が今ここで、夢奏の悲しみを終わらせる!」


 摩耶は刀を強く握り、自らが発揮できる力全てを刀に注ぎ込んだ。


八雷瓊ヤサカニノ……勾玉マガタマ!!」


 摩耶が円を描くように刀を振ると、刃の軌道上に計8つの勾玉が出現した。勾玉はそれぞれ雷属性の力で生成されているが、見た限りではただの黄色い勾玉にしか見えず、バチバチと音を立てる電気のようなものは一切見当たらない。

 夢奏が勾玉を不思議そうに見ていると、勾玉は吸い寄せられるかのように刀身へと向かい動き始め、遂には8つ全てが刀身と融合。しかし勾玉の先端部分が刃からはみ出しており、刀身だけは鋸のようにも見える。

 摩耶は勾玉と融合した刀を構え、同じく銃を構える夢奏に向かい走った。





(ねえ夢奏、私と家族になった時のこと……覚えてる?)


 摩耶が振り下ろした刃を夢奏は銃で防御し、敢えて僅かにバランスを崩すことで重心を移動。そのまま夢奏は身体を回転させ、後ろ回し蹴りで足を摩耶の腹にめり込ませた。

 予想以上に重い蹴りは摩耶の胃を刺激し、内容物を逆流させそのまま嘔吐した。しかしまだ摩耶の目は死んでおらず、再び刀を構え夢奏へと刃を向ける。


(家に来てすぐの頃は、家庭内暴力のせいで人間不信になってて、初対面の私をすごく睨んでたよね。けど私は怖くなかった。今はまだ人が怖くても、いつかはちゃんと私の家族になれる……そう信じてたから)


 摩耶が振り上げた刃を再び銃で防御するため、夢奏は銃を自らの前に差し出す。しかしその瞬間、摩耶の刃は目にも止まらぬ速さで振り上げられ、夢奏の銃の先端を僅かに切断した。


(暫くは話しかけてもらえなくて、話しかけても無言だった。今ではお風呂も一緒に入ってるけど、あの頃はまだ一緒になんて思わなかったし、そもそも夢奏は温かいお風呂に入れなかったよね。その時、すごく可哀想だって思った。冷水のお風呂にしか入ったこと無かったから、温かいお風呂に入れないなんて……ってね)


 八雷瓊勾玉の能力は、剣撃への雷属性の付与。本来戦士達は、剣撃や銃撃に属性を付与することで戦っている。故に八雷瓊勾玉を発動しなくとも、任意のタイミングで刀身への属性付与が可能。

 しかし八雷瓊勾玉により付与できる力は、普段付与している力の数倍。攻撃の際に勾玉を破壊することで、その瞬間に勾玉に凝縮されていた力が刀身に宿る。

 通常攻撃で刀身に込められる力には限界がある。なぜなら、戦士が1度の戦いで使える力自体に限界があるためである。即ち通常攻撃に自らが使える力を付与し過ぎれば、必殺の攻撃に費やせる程度の力が不足してしまう。

 仮に摩耶の力量を100。雷神之咆哮を使うために費やす力を40、雷神之息吹に使うために費やす力を20とする。そうなれば、通常攻撃で費やせる力は最大で40。しかも1回1回力を消費するため、長期戦にもなれば1度の攻撃に付与する力を1以下に止めなければならない。

 八雷瓊勾玉は、本来発揮できる力をさらに増強させ、力を勾玉へと変化し8つに分ける。仮に増強された摩耶の力が160だとすれば、勾玉1個あたりに振り分けられる力は約20。即ち1度の攻撃で勾玉を壊し力を解放すれば、雷神之息吹に相当する力を1度の剣撃に付与できる。それだけの力があれば刃の斬れ味も相当上がり、且つ刀を振る速度すら上がる。加えて刀から伝わる雷属性の力で神経が刺激され、身体能力も僅かに向上する。

 今の摩耶は剣撃一撃一撃が必殺技、と言っても過言では無い。


(けど夢奏は自分の意思で徐々に心を開いていってくれた。全く笑わなかったのに、気付けば笑うようになった。全く話さなかったのに、気付けば楽しく会話できるようになった。人の優しさに触れて、夢奏は人に近付いていった。私はそんな夢奏が大好きで……もう本当の妹みたいに感じてた)


 しかし、この力にも代償はある。

 力を全て勾玉に変換したが、勾玉から力へと戻すことはできない。即ち、1度勾玉に変えてしまえば後々雷神之息吹などを発動することはできない。

 勾玉はあと7個。その7回の攻撃で夢奏を殺せなければ、摩耶は力を使うことができず敗北が確定。同時に、摩耶の死が確定する。


(本当は夢奏に刃を向けるのなんて嫌。本当は夢奏を連れてどこかに逃げたい……始だって、きっと夢奏と一緒に逃げようとするはずだから!)


 2個目の勾玉が弾け、瞬間的に刃は加速。しかし刃が歩む軌道を読んでいた夢奏は雷鳴爆散を放ち、2個目の勾玉の効力を無効化。夢奏はスピードを失った刃を回避し、摩耶に銃口を向け引き金を引く。

 照準では摩耶の左肩を捉えていたが、発砲寸前に照準がズレ、銃弾は肩の肉を僅かに抉っただけだった。僅かとは言え、その痛みは尋常ではなく、刀を両手で握る摩耶にとってはある意味致命傷になる。


(私は本当に運が悪い。私の手で摩耶を葬らなければいけないなんて……けど目の前で始を失って、挙句戦士達から迫害された夢奏の方がもっと不幸だよね。でも安心して……私が……お姉ちゃんが、夢奏を苦しみから解放してあげるから)


 3個目の勾玉が弾け、刃は夢奏に向かい真っ直ぐに加速。しかし先程同様起動を読んでいた夢奏が、雷鳴爆散を発動する。


(お姉ちゃんが、殺してあげるから!)


 夢奏の銃弾が摩耶の刀を撃つよりも先に、4個目の勾玉が破裂。刃はさらに加速し銃弾を回避、刃は夢奏の腹を突き抜け、穴の空いた胃から血液が逆流。夢奏は吐血した。

 しかし同時に、回避した銃弾は摩耶の脚を貫通。脚の筋肉に穴が空けられ、摩耶は膝から崩れ落ちた。


「ごぶっ……うぇ……」

「ごめん夢奏……ごめん!」


 涙目で吐血する夢奏に罪悪感を抱きながら、摩耶は脚の痛みを振り切り、5個目の勾玉を弾けさせ刀を振った。


「っ!!」


 しかし、夢奏は刃を寸前で回避。直後に摩耶の頭へ銃口を向け、引き金に掛けた指に力を加えた。




「……っ!」


 引き金を引きかけた瞬間、夢奏は摩耶の姿に始を重ねた。今までは気付かなかったが、戦いの最中に見せた摩耶の鋭い目は、始の目によく似ていた。

 そして今になって漸く思った。始と摩耶は、本当に姉弟なのだと。





(殺せるはずない……だって摩耶は、始のお姉ちゃんだから……私の家族だから……!)


 夢奏の指は動かず、引き金を引けなかった。





「……おね、が……こおして……」

「っ!」





 5個目の勾玉が弾けると同時に、摩耶は斜め下にあった刃を斜め上に振り上げる。加速した刃は夢奏の肩を、胸を、腹を、内臓を斬り、夢奏の身体からは大量の血液が噴き出した。

 夢奏が「殺して」と言った時、摩耶の身体は頭よりも先に動いていた。とっくに覚悟していたはずの摩耶だったが、自身の刃が夢奏の身体を斬った瞬間に僅かだが後悔した。殺してしまった。殺したくなかった相手を殺してしまった。殺す以外の逃げ場があったかもしれないのに、と。

 しかし斬られた夢奏は、痛みに顔を歪めることも無くただただ穏やかな表情だった。


(よかった……摩耶が、私を殺してくれて)


 夢奏は銃を手放し、銃は鏡の中に吸い込まれた。そして気付いた時、摩耶は倒れかけた夢奏を抱えていた。


「ごめん……ごめん……私、始と夢奏のお姉ちゃんなのに……」

「……始……」


 摩耶は大粒の涙を零す。摩耶は姉であるにも関わらず、恭矢の声を聞いても家に閉じ篭っていた。もしも早々に家を飛び出し合流していれば、こんな結果にならなくて済んだかもしれない。考えれば考えるほど自分自身の不甲斐なさに苛立ち、悔しくなり、悲しくなった。

 摩耶の辛そうな顔は、始が辛そうな時にする顔と似ている。涙で視界が滲んだ状態で摩耶の顔を見た夢奏は、摩耶に始の姿を重ねた。その瞬間、夢奏の目から涙が流れ出し、まるで子供のように泣き始めた。

 夢奏が泣いているところは、今まで何度か見たことがある。しかし、ただ悲しくて泣いていただけの今までとは違い、最早言葉では言い表せない感情の乗った泣き声は摩耶の涙を止めた。


「生きたかったよぉ……始と、一緒に……」


 夢奏と武器を交えた時、摩耶は夢奏が狂ってしまったのではないかと考えた。しかし夢奏は狂ってなどいない。ただ始を失った悲しみが暴走し、感情の制御が上手くできなかっただけである。

 もしも本当に狂っていれば、始を思い出し涙を流すことも、始と生きたかったと発言することも無い。


「……夢奏、もし天国ってものがあるなら、始と待ってて。私もすぐに行くから……」

「……私、天国、行けるかな?」

「行けるよ……だって、夢奏は優しい子だもん……」


 摩耶は天国や地獄といった、未だ存在が証明されていないものは信じていない。しかし今だけは、夢奏や始達に幸せになって欲しいがために天国という言葉を発した。


「そっ、か……なら待ってる……始と、お母さんと、"私達の子供"と……みんなで……」





 穏やかで、幸せそうな顔だった。胴体を斬られているにも関わらず、さながら痛みを味わっていないかのような。





「……始も夢奏も、お母さんも居ない世界で……楽しく生きられるはずがない……」


 母、弟、義妹、大切な家族をほんの数十分で失った摩耶。悲しみよりも喪失感の方が勝り、最早涙すら枯れてしまった。


「"私達の子供"……ああ、そっか……私、伯母になるのか……」


 死際、夢奏が放った一言。その言葉の意味を理解した瞬間、摩耶は口元に笑みを浮かべた。

 愛する弟と愛する義妹に子供が生まれる。始と夢奏の子は何人なのだろうか。男の子だろうか、女の子だろうか。兄弟だろうか、兄妹だろうか、姉妹だろうか。それとも、自分と同じ姉弟だろうか。

 始と夢奏の子であれば、間違いなく容姿は完璧。非の打ち所のない美少年、或いは美少女になるだろう。2人のどちらに似たとしても、容姿が完璧であることは確実。性格に関しても、2人に似て優しい子に育つのだろう。


「早く会いたいな……始にも、夢奏にも、2人の子にも……」


 根源である夢奏が死んだ影響で、鏡像である摩耶の刀も消えかかっている。しかしまだ刃の半分程度は残っているため、人や鏡像を殺すことはできる。


(そういや、藍蘭と藍楼にお別れ言えなかったな……けど、きっと許してくれるよね?)


 摩耶は欠けてゆく刀身を喉に突き立て、一瞬の躊躇いも無く刀を押し込んだ。








 ◇◇◇


『久しぶり、摩耶』


 藍蘭はメッセージアプリを使い、摩耶のアカウントにメッセージを送った。送信直後故か、既読は付かない。


『戦いが終わって、もう半年も経つんだね……』


 半年前、町に鏡像が溢れた。未だに霞家の姉弟はあの日のことを鮮明に覚えており、トラウマとして記憶に刻まれている。


『今日は代表して私が連絡したけど、藍楼も李亜も元気だから、心配しないで。私達はまだ摩耶達に会いに行けないけど、それまで、私達家族を見守ってくれたら嬉しいな』


 既読は付かない。そもそも付くはずがない。なぜなら摩耶は、半年前に死亡が確認されている。それも藍蘭達の目で。

 摩耶は夢奏に寄り添う形で死亡しており、藍蘭達はすぐに摩耶の死因は自殺だと察した。後に始の遺体は近くの公園で見つかり、誰かが木に寄り掛からせたことが分かった。

 このメッセージはあの日に死んだ摩耶へと向けたものではなく、天国に居る摩耶へと向けたもの。

 既読は付かない、そんなことは分かっている。しかしどこかで生きているかもしれないという淡すぎる希望を抱き、時折こうしてメッセージを送っている。


(今日も既読は付かない、か……)


 藍蘭がスマートフォンをベッドの上に置いた瞬間、誰かから藍蘭宛にメッセージが届いた。

 発信元は、摩耶だった。

 藍蘭は焦りながらスマートフォンを開け、摩耶からのメッセージに目を通した。


『藍蘭達は、私達家族が守ってあげるから大丈夫』


 既読が付いただけでなくメッセージまで届いた。ついに今日、奇跡が起こったのだ。そう浮かれていた藍蘭だったが、どこからか聞こえてくるアラーム音で視界がぼやけ、直後にそれが睡眠中の夢であったことに気付いた。


「んぁ……んん……」


 霞む視界でスマートフォンを手に取り、アラームを解除する。そのまま藍蘭はメッセージアプリを開き、摩耶とのトーク画面を見る。

 昨夜送ったメッセージには既読が付いていない。それもそのはず、天国からメッセージが届くはずない。


(夢の中じゃあるまいし、既読がつく訳ないか……)


 メッセージの内容を振り返り、戦いが終わり1年が経過したことを改めて理解した。1年前に戦士として戦った者達は殆どが死亡し、今現在生存している元戦士は霞姉妹のみ。即ち、1年前の戦いを経験し記憶しているのはこの世界でたった2人しか居ない。

 県警の鏡像対策班も今では解散し、県警内で鏡像という言葉がでることは無くなった。そして鏡像が大量発生したこの町もすっかり落ち着いたが、鏡像達が残していった傷痕は今でも癒えていない。

 一体何人が犠牲になったのだろうか。知ったところで死人が生き返る訳でもなく、霞姉妹は知りたいとも思わなかった。


 今はただ、可能な限り戦いを忘れ、ただの女子高生として生きている。苦悩の果て、摩耶達の死を乗り越えた霞姉妹だったが、クラスメイト達は霞姉妹の苦悩など知るはずもなく、また知られたいとも思わない。


(けど、今は既読が付かなくても、いつか必ず会いにいく。だから、それまでは私のことを忘れないでね、摩耶、みんな……)


 寝癖を手櫛で直しながら、藍蘭は藍楼と李亜の待つリビングへと向かった。


 こうして、戦いの無い時間を過ごす霞家の1日が始まった。

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そして少女は鏡を砕く 智依四羽 @ZO-KALAR

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