第32話 決戦

「始……どうしてここに?」

「……俺達はどこにいても繋がってる。そう言ったのは夢奏だろ。璃乃って子の様子がおかしかったから、もしかしてと思って……」


 始は璃乃と対面した時から、形容できない違和感を抱いていた。その違和感の正体は分からない。しかし夢奏を見た瞬間、璃乃の表情が一瞬だけ険しくなったことに気付いた始は、璃乃は敵かもしれないという可能性を考えた。

 夢奏と璃乃が家を出てから少しして、始は2人を追うように家を出た。しかし既に2人の姿は見えず、後を追うにも手掛かりすらない状況だった。にも関わらず、始は夢奏の居場所に辿り着けた。


 以前、夢奏が女子生徒に絡まれていた際、始はただの直感で教室に向かった。直感に身を任せたが故、夢奏を救えた。そしてその時、夢奏は始が来ることを知っているかのような思考を抱いていた。

 根拠は無い。しかし夢奏は「私達はどこにいても繋がってる」と感じていた。そして今日、再び始は直感に身を任せ、任せたが故に夢奏と会えた。あながち、夢奏の戯言もただの戯言ではないのかもしれない。


「恭矢、その子(璃乃)を殺したのはお前か?」

「ああ。もう邪魔になったから、言わば廃棄処分だよ」

「廃棄、か……まるで人は生物じゃなくてただのモノだとでも思ってるみたいな言い方だな」

「思ってるさ」

「……お前、なかなかイカれてるみたいだな。今まで会ってきた鏡像の中でもトップクラスでイカれてる」


 見つめ合う始と恭矢の間には、かつて紡いでいた絆を凍りつかせる程の冷たい空気が流れている。夢奏はそう感じた。


「ねえ、始……根源の正体、分かったよ」


 一触即発。しかし夢奏が見る限り、始では恭矢に勝てない。故に夢奏は、始の死を回避し、且つ安全に事を終わらせる方法を考えた。


「私、だった……」


 それは、自らが根源であるというカミングアウト。そしてカミングアウトから繋げる、戦いの終焉。


「……は? ゆ、夢奏が、根源? いきなり何言い始めるんだよ、夢奏は俺達よりも後に鏡像と出会っ」

「出会ってたの。私が始と暮らすよりも前に……」

「……違う……夢奏は、根源じゃない……」


 受け入れ難い現実を目の当たりにした始は、珍しく取り乱している。そんな始を見ていられなかったのか、恭矢は溜息をついた。


「現実逃避しても無駄だ。俺も姫川の力を見て、且つ自分で根源であることに気付いたとこを見てた」

「そ、んな……」


 呼吸が荒くなる。心音が早くなる。手足が震える。どうすればいいのか分からない。何を言えばいいのか分からない。

 信じたくない。信じられない。小学校の頃から家族として一緒に暮らしていた夢奏が、多くの人を殺した根源という現実。

 始は恐らく、16年の人生の中で1番の衝撃を受けている。


「……務君、もし私が、根源の私が死ねば、鏡像は居なくなるの?」

「鏡像の根源である姫川と、悪意の根源である俺は、自己意識を抱いた鏡の世界にとっての核と言える。その核が消えれば、当然鏡像は消える。無論俺も消えるし、今現在鏡の世界に存在してる鏡像達も、多分一斉に消えるだろう」


 その瞬間、夢奏の答えは決まった。


「なら……こうすれば良いよね……?」


 夢奏は銃口を自らの頭に当て、引き金に指を掛けた。


「夢奏待て! 銃を下ろせ!」

「こうしないと! この戦いは終わらない……」

「俺には夢奏が必要なんだ……夢奏が居ないと、俺は生きる意味を失う!」

「始には、私よりも相応しい人がきっといる。だから……」

「俺には夢奏しかいない! だから銃を下ろせ! 夢奏!!」

「さよなら、始……」








「なんで……引き金が動かないの……」


 引き金を引けるだけの力は指に入れたはずだった。しかし引き金は1ミリも動いておらず、発砲もしていない。


「言ったろ、俺達は鏡の世界の核。核が自分の意思で死ぬことは、鏡の世界が許してくれない」

「……そんな……」


 自殺できない。自らの意思で自らの命を終わらせ、戦いを終わらせることができない。漸く誰かの為に自らの命を使えると思ったのに、自らの意思で誰かの役に立つこともできない。

 引き金を引けなかった瞬間、始は夢奏が死ななかったことに安心、膝から崩れ落ちた。しかし同時に、夢奏が自害できなかったことを悲しんでいると察し、再び苦い顔を見せた。


「俺はもう人間じゃない。だから人間とは違って鏡の中で永遠に生き続ける。それが嫌で、俺は自殺を試みた。けどダメだった……世界は俺の死を許してくれなかった。だから姫川も、決して自分の意思では死ねず、誰かに殺されない限り永遠に鏡の中で生き続ける」


 本来、鏡との親和性を持つ戦士達が死ねば、鏡像も同時に死ぬ。しかし鏡の世界において核となる夢奏の鏡像は、実体の夢奏が死んだとしても永遠に鏡の世界で生き続ける。とは言え、普通の戦士も夢奏も、共通して鏡像が死ねば実体も死ぬ。

 そして鏡像の夢奏が生きている限り、鏡像は生まれ続ける。戦いは続く。この戦いを終わらせるためには、鏡の世界から夢奏が消える必要がある。

 戦いを終わらせるためには、鏡像の夢奏を殺さなければならない。しかし鏡像の夢奏が死ねば、実体の夢奏が死ぬ。逆に実体の夢奏を殺しても、鏡像の夢奏は生きる。

 やるべき事は1つ。夢奏の鏡像を殺さなければならない。


「始、私の鏡像を殺して」

「嫌だ」

「殺して……殺してくれないと、私のせいでまた人が死ん」

「嫌だって言ってんだろ!!」


 食い気味に夢奏の願いを拒む始に、夢奏は若干怯んだ。何故なら始はこれまでに、夢奏の本気の願いを拒んだことが1度もない。


 夢奏が望むなら、始はどんなことでも引き受けてきた。

 飲み物を買って来いと言われれば、深夜であっても嫌な顔一つせず買いに行った。

 疲れたからおんぶして、と頼まれれば、重いなどとは全く思わず黙って背負った。

 アレを買ってと言われれば、多少値が張っても文句も言わず買った。

 夢奏は始の全て。夢奏は始の生きる意味。故に多少過酷なお願いであっても、それが夢奏の本心であれば答えてきた。

 しかし今回は違う。夢奏の願いを聞けば、始は生きる理由を失う。そもそも夢奏を自らの手で殺すなど、始にできるはずがなかった。


「刑事さんが言ってた。鏡像はこの町にしか居ないって。だから、もしかしたら夢奏に接触した奴の鏡像だけが自己意識を抱くのかもしれない」


 董雅の発言だけで、驚くことに始は鏡像増殖の真実に辿り着いた。


「だったら2人でこの町から消えて、人が殆ど住んでないような田舎町にでも移住すればいい。逃げるが勝ちって言うだろ? 夢奏を家の中に閉じ込めることになるけど、死ぬよりはずっと良いはずだ……そうだろ?」


 始の発想は正しく、夢奏が人と接触しなければこれ以上鏡像は増えない。

 しかし、仮に田舎に移住して人と接触しなくなったとしても、夢奏自体はいつか死ぬ。夢奏が死ねば、鏡像の夢奏は自由を手にする。最悪の場合、自らの意思で鏡像を増やすかもしれない。

 実体の夢奏が死に、鏡像の夢奏が自由になれば、結局は鏡像の夢奏を殺さなければ永遠に話は終わらない。遅かれ早かれ、誰かが夢奏を殺さなければならない。

 始自身、そのことに気付いていない訳では無い。しかし今この時を夢奏と共に生きられるなら、未来さきのことは未来さきになってから解決すればいいとさえ考えている。それ程までに始にとって夢奏は大切な存在であり、無くてはならない存在であると言える。


「……そう、だね……それもいいかもしれない……」

「ああ……だから、もうそんな悲しそうな顔しないでくれ……」


 夢奏に歩み寄る始は、優しく夢奏を抱き寄せた。始に接触した瞬間、夢奏の目から涙が溢れ、生まれて初めて「生きたい」と願った。


「それは俺が許さない。例え姫川の四肢を引きちぎってでも、実体を殺してでも……俺の傍に居させる! 俺の野望を実現させるために!!」


 


「……鏡像の根源が死ねば、鏡像は消滅する。だったら、悪意の根源が死ねば、鏡の世界から悪意が消える。そう考えていいんだよな? いや、仮にそうでなくとも……俺はお前を殺す。夢奏を、お前の野望の道具にはさせたくないからな」


 鏡の世界の核である恭矢が死ねば、始の予想通り鏡の世界から悪意が一斉に消える。しかし消えるのは蔓延する悪意のみであり、既に悪意を宿した鏡像達は消えない。故に恭矢を殺したとしても、戦いはまだ暫く続く。

 とは言え悪意が蔓延しなければ、夢奏が鏡像を生み続けても、鏡像が悪意の影響で自己意識を抱くことはなくなる。鏡像は増えても、戦いも起きなくなる。

 即ち恭矢さえ殺せば、始と夢奏はこの町で生きることが可能となる。人から疎遠した生活を送らなくて済む。


「……確かに、俺を殺せば悪意は消えるだろうな。けど俺は強いぞ。何せ俺は世界の核である悪意の根源……その辺の鏡像とは違う」

「そうか……夢奏は待っててくれ、俺がアイツを殺す」


 始は床に散らばる鏡の破片に手をかざし、自らの鏡像を銃へと変化させそれを握る。戦意を顕にした始に対し、恭矢は怒りの形相で始を睨む。直後、始の隣に夢奏が並び立ち、始同様に戦意を顕にした。


「私も戦う」

「傷だらけのクセして何言ってんだよ」

「傷だらけでも戦う……私が居ないと、始だけじゃ勝てないから」


 普通、男性が「私がいないと敵に勝てない」と女性に言われれば、自らの力量はその女性に劣ると知り酷く悲しむ。しかし始は無属性の力を使う夢奏を単純に強いと思っているため、今更そんなことを言われても特に悲しさや悔しさは湧き上がらない。


「そんなに強いのか?」

「さっき、氷属性と雷属性を同時に使ってた。もしかしたら無属性の私とは違って、全部の属性が使えるのかも」


 夢奏の予想は見事に的中しており、恭矢は全属性が使える。属性を持たない夢奏と、全ての属性を持つ恭矢。鏡の世界の核として存在する2人の力は真逆だった。


「チートかよ……けど、俺達は勝つ」


 勝てる確証はない。そもそも全属性の相手に、氷属性しか持たない始が勝てるわけがない。そこへ無属性の夢奏が加わっても、力の差は未だ歴然としている。

 しかし2人は敗北を恐れていない。寧ろ、勝利した後の、2人で生きる未来を思い描いている。


「前、言ってたよな。次会った時は俺達のどちらかが死ぬって。恭矢……死ぬのはお前だ」


 夢奏と始は恭矢に対し、一瞬の誤差も無く同時に銃口を向けた。


「勝って、この戦いを終わらせる……私達2人で生きる!」

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