第31話 夢奏

「鏡よ鏡、この世で1番不幸なのは誰? それは夢奏、あなたよ」


 幼き日の夢奏は、鏡に向かって自問自答を繰り返していた。

 鏡が答えている訳では無い。答えているのは鏡の前に座る夢奏自身。故に自分次第で、質問に対する自分なりの答えを、自分が納得できる答えを出せる。


「鏡よ鏡、私に幸せは訪れますか? はい、訪れますよ。鏡よ鏡、その幸せはいつ訪れますか? いつか必ず訪れますよ。鏡よ鏡、私に友達はできますか? いつかかならず、何人もの友達ができますよ。鏡よ、かが、み…………ひっく、えぐ……」


 自問自答を繰り返した末、夢奏は虚しさに耐えきれず涙を流す。誰も自分の質問には答えてくれない。誰も自分の悩みを聞いてくれない。答えてくれるのは、鏡に映った自分だけ。

 こんなことを続けていても、幸せを手にする訳では無い。友達ができる訳では無い。家族が優しくなる訳では無い。分かっていても、夢奏は鏡の中の自分と話すことでしか自分を保てない。


「鏡よ、鏡……私は、あと何回あなたとお話すればいいですか? どうしたら幸せになれますか? どうすれば痛みに耐えられますか? なんで私ばっかり、こんな辛い思いをしなきゃいけないんですか……」


 自分が何をすればいいのか。どうすればいいのか。自分で決めるべきことを全て鏡に問う。

 それは最早、鏡への依存。

 もしも鏡が無ければ、もしも鏡の中の自分がいなければ、夢奏は1人で決められるはずのことすら決められず、苦悩した挙句精神を病む。最悪の場合、死ぬという極論に至る。

 答えが欲しい。教えて欲しい。自分は生きるべきなのか死ぬべきなのか。何をするべきなのか。全て、鏡の中の自分は知っているはずだから。


『死んだらそこで終わり。死にたくても生きてれば、必ず幸せな未来へと続く分岐点が現れる』


 自分の声だった。しかし夢奏は声を発していない。考えられる可能性はただひとつ、鏡の中の夢奏が答えてくれた。


「か、鏡よ、鏡……あなたは、誰?」

『私は夢奏。鏡に映った夢奏。ねぇ夢奏……私、いつかあなたを助ける。こんな苦しい日々から救ってあげる。だからそれまでは、あなた自身で質問の答えを出して』


 鏡の中の自分は、確かに自分の意志に反して話していた。

 しかし「これは幻覚か」と考えた夢奏が目を擦ると、目の前の自分はただの鏡に映った自分に戻っていた。

 それ以降、鏡の中の自分が再び現れることは無く、夢奏はあの日に体験した不思議な出来事を忘れていった。


 ◇◇◇


「……鏡よ鏡。鏡の中の私が生まれた時、鏡像は他にもいた?」


 俯いて呟く夢奏。その問いに対して答えたのは、銃として夢奏の手に収まった鏡像の夢奏だった。


『いなかった。私が自己意識を抱いた後、私以外の鏡像が生まれ始めた。務君の鏡像も、私よりも後に生まれた』


 鏡像の夢奏は、この世界で1番最初に生まれた自立した鏡像。

 鏡に依存し、実体である夢奏が鏡の世界との親和性を持っていたが故に生まれた存在である。

 鏡像の夢奏が生まれた瞬間、鏡の世界に自己意識を持った特別な1体が生まれてしまった。特別な1体が生まれれば、その近辺に存在する鏡像はその個体を知り、無意識にその個体へと近付こうとする。結果、別の鏡像にも自己意識が芽生え、実体の自分自身とは違う思考を持つようになる。

 しかし百匹目の猿現象とは違い、自己意識を持つようになるのは、あくまでも最初の個体である鏡像の夢奏に近付いた個体のみ。即ち、夢奏の周辺人物、或いは何かしらの要因により一時的に近い場所に居合わせた人物の鏡像が自己意識を持った。即ち、これまで出現した鏡像は、全員どこかで夢奏と接触、或いは同じ場所に居合わせている。

 しかし自己意識を持ったとは言え、元は実体の自分と同じ存在。鏡の外に出て実体や別の人間を殺そうとは考えない。ただそこへ恭矢の悪意が加われば、鏡像は自制心を失い人間へと襲いかかる。


「……自覚、あったの? 自分が根源だって」

『あったよ』

「なんで教えてくれなかったの?」

『言う必要が無かった。だって自己意識を持っただけの鏡像に害はない。悪意を充満させて戦いを引き起こしたのは務君だし』


 鏡像の夢奏が言っていることは全て正しい。仮に恭矢が悪意を充満させなければ、今頃戦いは起きていない。そもそも鏡像という存在が認知されることもなかった。


「……いつか、全人類が私のことを嫌うって、最初に言ってたよね……漸く分かったよ。私が戦いの根源だから、でしょ」

『そう。鏡像が生まれたが故に死んだ命がある。今は亡きその命からも、残された生ける人からも、当然恨みを買うことになる。悪意を与えたのは私じゃないんだけどね』


 夢奏はこの町から出ていない。故に町の外に、悪意を持った鏡像は存在しない。しかし鏡像が生まれたせいで、死ぬ必要のなかった人々が犠牲になった。加えて誰かと接触するだけで鏡像を生み、また人を殺す可能性もある。それだけで夢奏に浴びせられる怒りは、常人では受け入れ難い程に強く悍ましいものになる。


「……結局、私は嫌われ者なのか……」




「まさか、本当に根源だったとはね」


 散らばった鏡の破片の1枚から、戦いを見ていた恭矢が姿を現した。その表情はいつになく真剣であるが、自らの嘘が現実であったことに驚いていることが伝わってくる。


「私は根源を殺せる可能性を持った存在、だけど同時に根源でもある。そう、私を殺せるのは私だけ……まさか知ってたとか?」

「……俺は何も知らなかった。知ってたらそもそも、姫川に敵対なんてしてない。何せ俺は根源の味方だから」

「~っ! 勝手、に……話を進めんな!」


 床に落とした薙刀を拾った璃乃は、淡々と会話をする夢奏と恭矢に向けて薙刀を投げた。


「悪いけど、君はもういらない」


 投げられた薙刀は突如現れた氷の壁に阻まれ、直後に璃乃の胴体を巨大な氷柱が貫いた。一瞬の出来事であったため璃乃は反応しきれず、自らの腸から全身に伝わる冷気に気を失いかけた。

 しかし璃乃の意識が途切れる寸前、璃乃の全身に電気が流れ、脂身の多い肉が焼け焦げたような悪臭を発しながら璃乃は死亡した。

 実体の璃乃が死んだことで薙刀は消滅し、鏡の中へと戻り鏡に映るだけのただの鏡像へと戻った。


「こ、殺したの……?」

「元々、姫川に勝ったとしても殺す気だった。何せ彼女は仮面の処刑人である前に1人の戦士……人間の削減を目論む俺にとっては害悪そのもの。生かしておく必要が無い。そもそも彼女じゃあ姫川を殺せるはずが無かったんだけど」

「……なら、始はどうするの……戦士として戦う始は、務君にとって害悪なの?」

「無論、害悪さ。故に殺す」

「~っ!!」


 夢奏は恭矢に銃口を向け、2度発砲する。対する鏡像は目の前に氷の壁を2枚生成。1発目の銃弾は1枚目の氷の壁を消滅させ、続く2発目は2枚目の壁を消滅させた。

 その瞬間、夢奏は悟った。属性能力を使う恭矢に対して、属性能力を消滅させる無属性の力は有効。しかし悪意の根源でありほぼ全ての戦いを見学してきた恭矢の戦い方は、他の鏡像とは一線を画す。

 言わば、能力に関しては夢奏の方が上だが、戦い方に関しては恭矢の方が上である。


「言っておくけど、俺は姫川に攻撃はしない。姫川は俺にとって、人の削減を望む俺にとっての希望だ。姫川が鏡像を増やして、俺が鏡像に悪意を植える。そうすれば人間を襲う鏡像が、鏡の世界に溢れる」


 恭矢はゆっくりと夢奏に手を差し出す。


「始を捨てて、俺と一緒に来てくれないか?」


 捉え方によっては、恭矢が夢奏を寝取っているようにも見える。しかしあくまでも夢奏は鏡像を生むための言わば道具に過ぎない。故に恭矢にとって夢奏は愛するべき存在ではなく、自らの野望を果たすための要因。扱いだけで言えば、最早人として見られていない。


「嫌……始を見捨てるなんて、私にはできない」

「見捨てようが見捨てまいが、姫川はもうただの人間じゃない。ここで俺の手をとらなければ、姫川は迫害され挙句の果てに全人類の敵になる。耐えられるか?」


 無論、耐えられる筈がない。

 嫌われることにはもう慣れた。しかし辛くない訳では無い。

 慣れたとは言っても、嫌われる度に傷付き、悲しくなる。

 もう嫌だ。もう嫌われたくない。なんで自分はこんなにも嫌われなければならない。始の前では涼しい顔をしていても、いつも心の中の夢奏は涙を流していた。


「何も悪いことはしてないのに、周りの奴等は姫川を嫌う。憎くはないか? 殺したくはないか? 俺と手を組めば、姫川を嫌う奴等全員を殺せるぞ……だから、俺と来い」




「夢奏!」

「「っ!!」」


 突如工場内に響いたのは、始の声だった。


「始……邪魔しやがって……!」


 始は夢奏の姿を確認した直後に、夢奏と対面する恭矢、そして氷柱が刺さった焦げ臭い璃乃の死体を確認した。


「恭矢……これは一体どういう状況だ?」

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