第29話 殺人
「仮面の処刑人、また出たんだってね」
学校から帰宅し、共に風呂に入っていた夢奏と摩耶の会話に仮面の処刑人という話題が浮かんだ。
ほぼ連日のように現れる仮面の処刑人。夢奏も摩耶もその存在は知っている。しかし学校でその話題を聞くというだけであり、他の生徒達同様、実際に会ったことはない。中には「事件の関係者が"仮面の処刑人"という共通した妄想を抱いたがために生まれた集団幻覚」という説もあるが、かなり無理があるためか夢奏も摩耶もその説は信じていない。
ただ実際には会ったことがないとは言え、夢奏と摩耶は疑っていた。このご時世に薙刀を所持し、且つ深夜の町を練り歩くことができるだろうかと。否、それは困難である。その後2人が行き着いた仮説は、仮面の処刑人は戦士、或いは鏡像の力を悪用する人間であるという説。
仮に仮面の処刑人が鏡像との親和性を持ち、鏡像を薙刀に変える力を持っていたとする。鏡像は普段鏡の中にいるため、鏡さえ持っていれば好きなタイミングで薙刀を出せる。即ち薙刀を持ち運ぶ必要がない上、目立つことはない。
(そういや璃乃も薙刀だったな。仮面の処刑人の正体は璃乃だったりして。とは言っても、私も始も銃だし、誰かと武器がダブってても不思議じゃないよね)
戦士の使う武器は唯一無二ではない。故に夢奏と始のように、他人同士の使用する武器が重複することも珍しくない。加えて鏡像がどんな武器に変化するかはランダム。2人が共通して薙刀を使っているという理由から仮面の処刑人が璃乃だと決めつけるのは、名誉毀損に繋がる酷い詭弁である。
「学校の友達は仮面の処刑人を支持してるらしいけど、私はあんまり好きじゃないなぁ……だって悪人だけって言ってても、結局は人殺しじゃない? 人殺し支持するなんて、この世界もだいぶイカれてるね」
仮面の処刑人の支持者は意外にも多く存在している。しかし摩耶は、仮面の処刑人をただの殺人鬼だと認識しているため、支持もしなければする気もない。
「私もそう思いたいけど……私は摩耶ほど優しい人間じゃないから、完全には否定もしないし支持もしない。だって仮面の処刑人が悪人を殺してなければ、今頃その悪人が別の被害者を出してるかもしれない」
否定派の摩耶に対し、夢奏は中立という立場を選んだ。
夢奏の言うことも正しく、仮面の処刑人が悪人Aを殺さなければ、悪人Aは誰かを傷付ける可能性が高い。言わば仮面の処刑人は、悪人という名の芽が血の花を咲かせる前に摘み取っている。摘み取ることで、事件の発生を未然に防いでいる。捉え方次第では、仮面の処刑人の行動は一種のヒーローのようにも見えるかもしれない。
「それに、もし仮に始が仮面の処刑人だったら、私は始の行動を否定なんてしない。だって、始の行動には絶対理由があるから」
「そりゃあ、始が正体だったら私もはっきりと否定なんてしないけど……でも……やっぱり受け入れきれない」
夢奏の背中を洗っていた摩耶は手を止めた。そして摩耶の脳内には、忌まわしい記憶が蘇る。
摩耶は自分の父親のことがそれほど好きではなかった。寧ろ家族よりも仕事を大切にする人間を好きになれというのが困難である。とは言え嫌いにもなれなかった。何せ相手は血の繋がった実の父である。
しかし事は突然起こった。
2年前、摩耶がまだ高校に入学して半年と経たぬ頃、父は殺された。
一流企業に勤める父には幾人もの部下がいた。しかし部下のうち1人は無能と上司や同僚から蔑まれ、挙句の果てに摩耶の父に「この仕事は君には向いていない。仮にこの職場でできることと言ったら、喫煙所の灰皿を掃除することくらいだ」と言い放たれた。
尊敬していた。憧れていた。しかしそんな相手に蔑まれれば、その部下の心は容易く砕ける。そして砕けた心の破片は部下の自制心に裂傷を作り、自制心の奥に隠されてきた怒りが外に溢れ出した。
それからは早かった。部下は摩耶の父の出勤、帰宅ルートを調べ、日頃のストレスをアクセルペダルを踏む力に変え、一般道で高スピードを出した後に歩道へ乗り上げた。そしてそのまま歩道を歩く摩耶の父に突進。建物の壁面と車のバンパーに挟まれ、摩耶の父は死亡。運転していた部下も死亡した。
父の死は事故として扱われた。しかし残された家族からすれば、仮に不慮の事故であったとしても運転手は人殺し。家族を殺した人殺しである。
父の死以降、摩耶は人並み以上に人殺しという存在を憎むようになった。故に摩耶は仮面の処刑人も憎んでいる。
「私はどちらかと言うと、正義を抱く主人公より、正義と敵対する悪役に感情移入するタイプだから、支持とまでは言わないけど仮面の処刑人は嫌いじゃないかな。悪に徹するにはそれなりの理由があると思うし」
人殺しを憎む摩耶に対し、夢奏は人殺しを憎んでいない。なぜなら、全てとは言わないが人殺しにも理由がある。
摩耶の父を殺した部下も、間接的ではあるが父を殺した璃乃も、理由あって人を恨んだ。恨んだが故、衝動を抑えきれず人を殺した。そう、殺される側にも少なからず問題があるのだ。夢奏は殺す側だけが悪いとは考えていないため、期せずして摩耶と対立することとなった。
「別に殺人鬼を受け入れてほしい訳じゃないけど、仮面の処刑人がどんな気持ちで人を殺してるのか、何があって人殺しを始めたのかを知ったら、もしかしたら摩耶の見方も変わるかもしれない。だから……そんなに責めないであげて」
◇◇◇
「……なるほど。珍しく意見が合わなかったから落ち込んでると……」
入浴後の摩耶は元気がな異様に見えた。それに気付いた始は自室に摩耶を呼び、元気が無くなった理由を尋ね、摩耶はそれに答える。とは言え、その理由は始が思っていた以上につまらなかった。
「多分夢奏は気にしてないな。摩耶は昔からそうだ。周りの誰も気にしてないことを、摩耶はいちいち気にして落ち込む。摩耶のハートはガラスどころか鼈甲飴だな」
「鼈甲飴って……私そんなに脆くないよぉ……」
「なら薄氷か」
「……どっちも脆いじゃん……」
摩耶の心を鼈甲飴や薄氷に喩える始。しかしそんなユーモアのある発言のおかげで摩耶は少しだけ笑顔を取り戻した。
他愛も無い会話のように見えるが、実は始の作戦だった。摩耶のツボをよく理解している始はユーモアを気取った発言をして、気を落としていた摩耶の機嫌を良くした。機嫌が良くなれば、物事は解決に向かいやすくなるだめである。
「まあでも、確かに人を恨んでばっかいるのは良くないとは思う。多分だけど、恨み続けた結果生まれたのが、仮面の処刑人なんじゃないかな」
「……じゃあ私も、いつか人を殺すようになるのかな?」
「俺が生きてる限り、摩耶にそんなことはさせない。無論夢奏にだって人は殺させない」
人が
始は、自身が生きている間は夢奏にも摩耶にも人を殺させないと誓っている。故に現時点、夢奏と摩耶が殺人鬼になる可能性は極めて低い。しかし逆に言えば、始が死んでしまえば、夢奏と摩耶の衝動を抑制する存在が居なくなってしまう。よって、夢奏と摩耶が殺人鬼になる可能性も高くなる。
「……でも夢奏は根源を殺せる可能性を持ってる。いつか根源と出会ったら、夢奏はきっと始の思いを振り切ってでも殺しにいくと思うよ」
根源の正体は、戦士同様に鏡像との親和性を持った人間なのか、それとも恭矢のように実体がいない鏡像なのかは分からない。
仮に根源が鏡像であれば、人と同じ見た目をしていても人間ではないため、人を殺したことにはならない。しかし根源が人であれば、夢奏は人を殺すことになる。なぜなら夢奏は根源を殺す可能性を持った存在、始が生きていても死んでいても戦う義務がある。
「なら根源は人じゃないって考えればいい。根源が鏡像だろうと人間だろうと、戦いを起こしてる以上は殺すべき存在だ。この世に居ちゃいけないから、殺すしかない。けど根源が人だったら、トドメを刺すのは俺だ。夢奏にも摩耶にも、人を殺させたくない」
根源が人であった際、夢奏は人を殺すことになる。根源を潰せば、県警が殺人事件を隠蔽し夢奏に殺人の罪は与えない。故に刑務所に行くことはない。とは言え、鏡像ではなく本物の人間を殺したとなれば、今後の夢奏の人生に大きな傷痕を付けることになる。
そこで始は夢奏の今後を考えた上で、直接根源を殺すのは自分だと決めた。始は人を殺すことに一切抵抗を抱いていないため、人生の汚点としてみることも傷痕になることもない。故に、人を殺すことに関しては夢奏よりも始の方が向いている。
「……不運なのは私だけだと思ってた。けど、私達3人とも不運だね。それに、すごく悲しい」
「俺達は父親を失っただけだ。けど、夢奏は家族だけじゃなく家も失って、親戚から迫害されるようになった。背負った悲しみは多分、夢奏の方が上だよ」
夢奏が1番悲しい思いをした。夢奏が1番辛い思いをした。夢奏が1番、夢奏が1番、夢奏が1番。幾度となく聞いたセリフ。幾度となく始が呟いてきた言葉。その言葉を聞く度に、摩耶は夢奏に嫉妬心を抱いてきた。無論、今も。
「……悲しむことに、上とか下とかは関係ないよ。相変わらず始の中では、夢奏は悲劇のヒロインなんだね」
「何が言いたい?」
「言った通り。始にとって夢奏は悲劇のヒロイン……守ってあげたくなる、可哀想な女の子。けど、可哀想な女の子は夢奏だけじゃない……それだけは忘れないで」
摩耶は立ち上がり、それ以上言葉を発することなく部屋から出ていった。
始は、摩耶が機嫌を損ねた理由を察することができなかった。摩耶に対する愛が希薄という訳では無い。ただ始にとっては、摩耶よりも夢奏の方が大切なのだ。
(夢奏……俺なにか変なこと言ったかな?)
口にも出さず、部屋には夢奏本人もいない。始の問いに夢奏が答えるはずもなく、ただ漠然とした虚しさを抱きながら、始は部屋の電気を消してベッドに横になった。
◇◇◇
深夜。
今日も町の害悪となる人間を駆除すべく、黒い衣装を纏った璃乃は夜闇の中を駆ける。
(今夜だけで3人……減らないな……)
仮面の処刑人という都市伝説が広まり、「人を襲えば自分が殺される」と恐怖を抱く人が増えた。
しかし未だ対人の犯罪は減らず、家を出て1時間と数分しか経過していないにも関わらず璃乃は既に3人の男を殺している。その際、強姦されかけていた女性が泣きながら璃乃に感謝していたが、あまり現場に長居したくなかったため女性を振り切りその場から逃走した。
――仮面の処刑人、か……面白い。
「っ!!」
鼓膜を通さず、直接脳内に響く男の声。
璃乃は咄嗟に街灯もない暗い細道へと逃げ込み、突如脳に流れ込んできた謎の声に若干混乱した。
「誰……?」
――俺は恭矢。仮面の処刑人、いや……宮尾璃乃、どうやら君は他の奴等より俺に近い存在らしい。
「……言ってる意味が分からない。あなたは一体何者?」
――鏡像だよ。人間が大嫌いな、鏡の住人。
「鏡像……鏡像が何の用? くだらない話なら今すぐあなたを殺す」
――いいけど、君には俺よりも先に殺してもらわなければならない奴がいる。その名は……姫川夢奏。
「姫川……夢奏!?」
――彼女は既に鏡像と戦っているが、実は戦いの根源は姫川夢奏だ。君と姫川夢奏が初めて会った日、姫川夢奏は敢えて"戦士になったばかり"だとアピールしていただろう。そうすることで、姫川夢奏は自分が根源であるという可能性をゼロにさせた。それに君も見ただろう、鏡像の分厚い氷を消滅させたあの異様な力を。属性の破壊……そんなことできるのは根源だけさ。
「……そっ、か……やっぱり、夢奏は普通じゃなかったんだ……」
――そう、彼女は普通じゃない。なぜなら根源だから。だから君は姫川夢奏を殺さなければならない。なるべく早く、確実に。
「夢奏を……私が……」
――仮面の処刑人。その名に恥じぬ功績、期待してるよ。
「……克巳さん、見ててください……夢奏を、根源を殺して、私が克巳さんやみんなの仇を討ちます……!」
恭矢は考えた。人間を殺し続け、且つ戦いの根源を守り続けるためには、根源を殺せる可能性を持った夢奏を殺さなければならない。
そして恭矢は、「根源を殺せる可能性を持った存在」を「戦いの根源」として偽り、元々夢奏に疑念を抱いていた璃乃に嘘を吹き込んだ。璃乃がその嘘を見抜けるはずもなく、恭矢の思惑通り夢奏への殺意が芽生え始めた。
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