第24話 恭矢

「ぁ……」


 鏡像を殺したことで緊張が解けてしまった摩耶は、まるで糸を切られた操り人形のようにその場に崩れた。肘と肩をアスファルトの地面に強打したが、奇跡的に頭部はノーダメージだった。


「摩耶!」

「大丈夫!?」


 慌てて駆け寄る霞姉妹は摩耶の身体を持ち上げ摩耶の顔を覗き込む。戦闘中に比べ顔は青白く変色しており、唇の色も悪くなっている。


「情けない……鏡像3人殺しただけなのに、こんな疲れちゃうなんて……」

「3人……私達が来る前に2人も殺ったの?」


 霞姉妹は「摩耶は体調不良が故に戦闘で苦戦していた」と脳内で決めつけていたが、実際は複数体の鏡像を相手にしたことによる疲労が主な原因である。


「ごめん……私達がもう少し早く来れれば……」

「気にしないで。来てくれただけでも嬉しいから。とりあえず、どこかで休みたいな……」


 摩耶の要望を聞き受けた霞姉妹は、両隣から2人で摩耶の身体を持ち上げた。その後霞姉妹は最寄りの休憩所として、鏡像出現前に摩耶が休んでいた公園に向かった。

 公園に充満していた異臭は既に消えている。そして出現前から変わらず、公園内には誰もいない。

 霞姉妹は公園内のベンチに摩耶を1度座らせ、隣に座った藍蘭の太ももを枕として摩耶をベンチに寝かせた。過去数回、始に膝枕をしてもらった摩耶だが、女性に膝枕をさせるのは初。男性とは違う太ももの柔らかさに、摩耶は太ももを愛する人々の気持ちを理解した。

 脚の空いている藍楼は近くの自動販売機まで走り、摩耶に飲ませる飲み物を買いに行った。その間、摩耶と藍蘭は改めて自己紹介をしていた。


「私は霞藍蘭。んで、私と一緒に居たのは妹の藍楼。お察しの通り双子だよ」

「双子か……私は双子じゃないけど、弟ならいるよ」


 弟。その言葉を聞いた瞬間、藍蘭の顔が若干緩んだ気がした。


「お、私達にも弟いるよ。李亜って名前で、もう可愛くて可愛くて仕方ないんだよね……」

「お待たせー! 飲み物買ってきたよ!」


 自動販売機から戻ってきた藍楼が乱入し、会話は一旦途切れた。藍楼は「何の話してたの?」と問いながら摩耶に缶入りのアイスココアを手渡し、摩耶は重い身体を無理矢理起こす。身体を起こした際に若干目眩がしたため、摩耶は咄嗟にアイスココアを眉間に当てた。

 藍蘭は少し位置をずらし、摩耶は藍蘭の隣でベンチの背もたれに体重を乗せる。その後摩耶の隣に藍楼が座り、摩耶は霞姉妹に挟まれてしまった。


「李亜が可愛いって話。摩耶にも弟が居るらしくて、ちょっとウチの姉弟愛を自慢したくなったの」

「弟……どんな子? 可愛い系? カッコイイ系?」


 なぜか弟がいると知った途端にグイグイ来る藍楼に多少戸惑いつつも、摩耶は始の紹介を開始した。


「始って名前なんだけど、始は可愛いと言うよりカッコイイ系かな。長女の私を甘えさせてくれて、昔から頼りない私を大事にしてくれる、すごくいい子なの……」


 頬と耳を赤くして話す摩耶を見て、最早弟ではなく意中の相手として見ているのではないかと考えた。

 しかし摩耶はちゃんと線引きをしている。我々は姉弟であり、それ以上でもそれ以下でもない。多少過剰な愛を抱いているのかもしれないが、それはあくまでも姉弟愛。一人っ子でない限り、本来であれば誰もが持つものである。


「私達、弟を愛するブラコンだし、仲良くやってけそうだね」

「だね。今度さ、私達の姉弟全員で集まってどこか遊びに行かない? たまには戦いを忘れることも大事だし」


 藍楼のブラコンという発言を否定することも、そもそも気にすることもなく、摩耶は各姉弟全員でどこかへ行こうと提案した。

 摩耶の誘いに霞姉妹は同時に「行きたい!」と答え、3人の間に笑顔が生まれた。


「そうだ、連絡先交換しようよ! 今度遊びに行くんだし、それまでにもっと距離縮めておきたいし!」


 藍蘭の提案を受け、摩耶は一言「いいよ」と返答した後にポケットからスマートフォンを取り出した。


「あ……」


 今になって気付いた。摩耶の帰りが遅く少し心配になった始が、「生きてる?」とメッセージを送ってきていたことに。


「ごめん、連絡先交換の前に電話していい?」

「いいよ。始君?」

「そう。ちょっと迎えに来てもらう」


 摩耶が始に電話をかけると、2コールで繋がった。電話越しの始の声は多少焦っているようにも聞こえたが、会話を進めるにつれ徐々に安定していった。


「もしもし始? うん、生きてるよ。いやー、ちょっと鏡像と戦ってた。あ、いや大丈夫だよ。ただランニングと連戦のコンボで今グロッキーだから迎えに来てくれる? えっとね……三島公園。うん、じゃあお願いね」


 通話が終わり、摩耶は安心したかのように1度息を吐いた。


「後で始が来るから、良かったら見ていく?」

「見たい!」

「私も見たい! じゃあいっそ、摩耶だけじゃなくて始君とも連絡先交換しよっかな~」

「え、始のこと狙ってるの? なら残念、始にはもう恋人、もとい結婚相手がいるから、藍楼の入る隙はないよ」


 その瞬間、霞姉妹は硬直した。

 摩耶の弟である始に恋人がいる。にも関わらず平然としている摩耶に、霞姉妹は同時に疑問を抱いた。


「私、李亜に彼女できたらその子殺そうと思ってるんだけど……摩耶は平気なの?」

「うん。勿論相手によっては平気じゃないけど、始の恋人……夢奏って言うんだけど、夢奏なら始を任せられる。そう信じてるから。それに夢奏は私にとって妹みたいなものだし、今更嫌悪感抱くのも無理なんだよね」


 霞姉妹は夢奏と始達の関係性については知らない。しかし知らないが故に、弟の幸せを考えられる摩耶と、弟の幸せを壊そうとする自分達を比較し、自分達の愚かさを理解した。

 姉弟愛なら誰にも負けない。そう自負していたが、摩耶が抱く姉弟愛には勝てないと察した。


「……摩耶はすごいね。始君を弟としてだけじゃなく1人の人間として見てる。当たり前のことだけど、私達はそれができてなかった」

「私達は李亜が弟でいてくれればそれで良かった。李亜の将来の家族のことなんて、李亜の本当の幸せなんて考えたこと無かった」

「……それでいいんじゃない? それくらい李亜君のことが好きだってことだし。姉弟愛なんて人それぞれだよ」


 霞姉妹は衝撃を受けた。

 摩耶は自らの姉弟愛が最も強いとは考えず、霞姉妹の姉弟愛を否定することなく個性として肯定した。そう、そもそも愛の大きさを比べること自体が愚かなのだ。


「……摩耶! 今日から師匠って呼ばせて!」

「名前でいいよ!?」


 その後も3人の談笑は続いたが、途中で始が介入し談笑は終了した。

 始は自転車の荷台に折り畳んだ布を置き、摩耶が尻を痛めないよう配慮した。


「すみません、うちの姉がご迷惑を……」

「いいのいいの。困った時はお互い様でしょ」


 摩耶は自転車の荷台に乗り、始はペダルに足を置いた。


「じゃあまたどこかで」

「うん、またね」

「じゃね」





「話に聞いてた通り、いい子みたいだね」

「だね。あんないい子が戦ってるなんて……何だか悲しくなってくる」


 始と実際に会い、少しだが会話をしたことで、霞姉妹は始が悪人ではないことを見抜いた。


「根源さえ潰せば終わる話でしょ。さっさと根源見つけ出して、私達でこの戦いを終わらせようよ」

「うん。終わらせる。終わらせて、李亜に安心して眠って欲しい」


 戦いを終わらせる。霞姉妹は改めて決意した。





 ――本当に終わらせられると思うか?


「「っ!?」」


 ――君達が思っている程、根源は弱くない。どう足掻いても君達では勝てない。


「勝てないって……そんなことやってみないと分からないじゃない!」

「あなた一体誰!? どこから話しかけてきてるの!?」


 ――俺はつかさ恭矢きょうや。君達の鏡像を通して話している。その証拠に、俺の声は君達の鼓膜を通さず直接脳内に響いてるはずだ。


「鏡像を通して……!?」

「一体……まさか、人間じゃないの?」


 ――そう。俺は鏡の世界に生きる者。君達で言うところの鏡像だ。しかし他の鏡像とは違う。


「姿を現しなさいよ!」

「面と向かって話しなよ!」


 ――俺が目の前に現れれば、きっと君達は俺に武器を向ける。そうなれば君達と俺は敵になる……即ち、君達はこの場で殺される。


「まるでアンタが勝つことがもう決まってるみたいな言い方だけど」


 ――決まってるさ。誰であろうと俺に勝つことはできない。ただ可能性があるとすればただ1人、▒▒▒▒。


「っ? 今、何て言った?」


 ――……どうやら俺を殺せるかもしれない奴の名は、俺自身の口からは発せないみたいだな。


「名前は分からないけど……もしその子を見つければ、アンタを殺せるの?」


 ――可能性があるだけで確実に殺せるとは言っていない。けど殺せるものなら殺してみなよ。悪意の根源である以前に俺は鏡像……俺自身の力では死ねないからさ。


「「っ!!」」


 ――また会おう。次に会う時は、俺か君達が死ぬ時だ。


「っ! 待って!」

「根源って、本当なの!?」




 霞姉妹が幾ら叫んでも、恭矢が言葉を返すことはなかった。


 この日、戦士である霞姉妹は根源が実在することと、根源の正体を知った。

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