第18話 心臓
董雅の攻撃は全て、小夜の身体を覆う土に防がれる。しかしそれ以前に、董雅の攻撃はいつもと違い単調。加えて予備動作が露骨であるため、攻撃を読まれている。
攻撃対象は鏡像。しかしどうしても、董雅は鏡像に小夜の姿を重ねてしまう。
攻撃に力が入らない。寧ろ攻撃すること自体が嫌になってきた。それでも相手は鏡像。放っておけば人を殺す。そうならないためにも、ここで小夜を殺さなければならない。
(小夜……俺は今、俺自身の弱さを痛感してるよ。馬鹿だよな。1度殺すと誓ったのに、いざその場に立てば怖くて仕方がない)
董雅は戦士である前に刑事。これまで幾度となく事件に関わってきた。しかしその度に、董雅は恐怖していた。刑事としてのプライドはプレッシャーと同等に重く、建前と本音に何度も押しつぶされそうになった。
今もそうである。小夜を殺さなければならないにも関わらず、心の中では殺すことを躊躇っている。
(鏡写しなのに……怪物なのに……どうしても
刃を振る度に、董雅の脳内に小夜との記憶が蘇る。
よく「楽しい思い出だけではなかった」という言葉を聞くが、董雅はそうではない。小夜とは、楽しい思い出しかなかった。しかしその思い出も、小夜の死で穢されてしまった。
(小夜……お前が死んだせいで、俺は随分歪んだみたいだな……)
以前、こんな言葉を聞いたことがある。
死んでも仕方のない人間なんてのは1人だっていない。実在しない、アニメの中の男が言ったセリフである。
しかし小夜が死んでから、董雅はその言葉が詭弁であると気付いた。
死ぬべき人間は腐る程居る。寧ろ死ぬことで世界はより良くなる。董雅は鏡像と似た思考を抱くようになった。
それでも、小夜は死ぬべきではなかった。小夜が死んだことで何かが良くなった訳でもなく、寧ろ董雅という1人の人間の心を穢した。そしてその穢れは未だに拭えていない。
(今まで、危険だからってだけで鏡像を殺してきた。けど、鏡像を殺すことがこんなにも怖くなるなんて、思いもしなかった。だって……こいつは鏡に映った小夜なんだから……)
これまでの攻撃は、貫通こそしなかったが小夜の土を僅かに削れていた。
しかしこの時の一撃は、土を削ることすらもできない程弱く、防御に徹していた小夜は攻撃に転換した。
「殺さないなら……私が殺しちゃうよ?」
小夜は右腕に高密度の土を纏わせ、董雅の腹部に向けて拳を加速させる。
董雅は咄嗟に斜め後方へ動くが、小夜の拳は董雅の胴体に直撃。
「ぅぐあっ!!」
鏡像のパワーは普通の人間よりも強い。加えて小夜の拳は高密度の土という凶器を纏っている。そんな状態で殴れば、人間の骨などは簡単に折れる。
董雅は肋骨を骨折。幸い肺などは傷付けていないため、何とか大事には至っていない。
「どう? 私の愛……董雅君のハートに届いたかな?」
「肋骨砕いて
しかし、その一撃が董雅の心を動かした。
「1袋の米も持ち上げられなかったのに……随分、強くなったな……」
董雅の知っている小夜は、並の成人女性よりも非力。加えて運動神経も最悪。仮に人を本気で殴ろうものなら、肩は脱臼する挙句、踏み込んだ脚は肉離れを起こす。そもそも人を殴るような度胸なんてない。
もうこの小夜は董雅の知っている小夜ではない。小夜の皮を被った性格ブスの剛腕怪力ゴリラ女だと、董雅は自分自身に言い聞かせた。
「けどお前のおかげで……ようやく決心した」
董雅は痛みを堪えながら、両手で匕首を構える。董雅から感じていた生半可な闘志が、この一瞬で劇的に変化したことを小夜は察した。
「ようやくやる気になったみたいだね」
小夜は自身の周囲に土の塊を出現させ、塊をそれぞれ棘のような形へと変化させる。
対する董雅も自身の周囲に土の棘を出現させ、胴体から全身に伝わる痛みを堪えながら刀を強く握る。
「いくぞ小夜モドキ……!」
董雅の周りに浮いていた土の棘は、さながら小夜という名の惑星の重力に引かれる隕石のように猛スピードで動く。
対する小夜が生成した土の棘も動き、襲い掛かる董雅の棘を全て防御。棘と棘は正面衝突し、衝突直後に乾いた泥団子のように崩れ落ちる。
床に落ちる土は砂埃を巻き上げ、蔓延する砂埃を切り裂くように董雅は刀を振る。
灰色の刃は小夜の首を捉えるが、小夜は首に高密度の土を纏わせることで斬撃を防御。しかし先程よりも重みを増した刃は土の表面を僅かに抉り、あと数ミリ土が薄ければ皮膚を切っていた。
多少焦りを見せつつも、小夜は高密度の土を駆使して攻防を両立させる。可能な限り董雅の斬撃を防ぎ、攻撃と攻撃の間にある僅かな隙を伺う。
(さっきと全然違う……これが董雅君の本気……!)
刀による攻撃と攻撃の間の隙は、小夜同様に高密度の土を纏わせた拳で埋める。先程までは隙だらけだった董雅だが、小夜の思考を読んでいるかのように隙を見せなくなった。
隙あり!
今まで何度も、小夜は「隙あり」と言って董雅の脇腹を指で突いた。その度に董雅は、ビクンと情けなく動いてしまう。その反応が好きで、小夜はよく董雅の隙を伺っていた。
恐らくは実体の小夜の名残だろう。鏡像の小夜も、董雅の隙を伺う。
董雅は覚えていた。何度も小夜に隙を突かれたことを。故に、鏡像であっても小夜に自身の隙を見せる訳にはいかないと考えた。
(小夜、今まで何度もお前に腹つつかれたよな……そのおかげで、俺は今隙を見せることなく戦えている。なあ小夜……お前はこうなることを知ってて、俺の腹をつついてたのか?)
董雅の攻撃の感覚は徐々に短くなり、小夜は徐々に攻撃ができなくなっていく。そのうち小夜は防御に徹し、董雅への反撃を諦めるようになる。
(小夜……小夜……! 待っててくれ……小夜の鏡像も、俺も、すぐにそっちへ行くから!)
小夜を模した鏡像への怒り。小夜と瓜二つの鏡像を攻撃する悲しみ。亡き小夜の追憶。3つの単純な要因は、董雅の目から約1年ぶりの涙を流させた。
董雅の刃は土の鎧を壊し、皮膚を切り、右腕を切断した。腕の断面からは血液が噴出し、署内の床と壁を赤く染める。
(痛いよな、苦しいよな、辛いよな……けど! 小夜が味わった苦痛はこの程度じゃない!)
右腕に続き、董雅は小夜の左腕を切断する。
防御策として小夜は土の壁を形成するが、急場凌ぎであり作りが甘かったため、董雅は壁を簡単に砕く。壁が砕けた衝撃で小夜は転倒。両腕が無いため、力を使わない限りもう立ち上がれない。
(これで……決める!!)
董雅は鋒を小夜に向け、心臓をひと突きすべく足を強く踏み込んだ。
「やめて董雅君!」
もう隙は見せない。そう誓ったはずなのに、鏡像の小夜の一言で董雅は一瞬力を緩めた。
なぜなら、やめてと言った目の前の敵は、その一瞬だけ本物の小夜に見えたからである。
「隙あり♡」
生前、小夜はそう言いながら董雅の横腹を指で突いた。しかし小夜の鏡像の場合は、そもそも指ではない。
小夜は足で床を叩き、床から高密度の土で作られた巨大な棘を生成。そのまま棘を延長させ、董雅の横腹を突き刺す。
「ぅぶぉあ……!」
棘は皮膚と筋肉を貫通し、砕けていた肋骨を奥へと押し込む。後に棘と肋骨は肺を貫き、食道に穴を開ける。
「変わらないなぁ……董雅君♡」
嗜虐的な笑みを浮かべる小夜は、土の棘に身体を貫かれた董雅を見つめる。
董雅は口と鼻から吐血し、既に虫の息。ダメージにより身体から力が抜け、刀を床に落とす。
刀を手放し、足も床から浮き、最早これ以上の戦闘は不可能。そう判断した小夜は土の土台を床から出現させ、両腕を失った状態で立ち上がった。
「勝ったのは私……残念だったね」
董雅に歩み寄る小夜。董雅の意識は既に朦朧としている。朦朧としているからこそ、目の前に立つ鏡像は本物の小夜に見えた。
(負けた、のか……俺……)
――まだ負けてない。
(いや、そもそも俺に小夜を殺すことなんてできないんだよ)
――あれは私じゃない。だから董雅君にも殺せるはずだよ。
(もう、戦いたくない……)
――董雅君が戦わないと、私だけじゃない……もっと大勢の人が死ぬ。人の死を黙って見過ごせられる程、董雅君の心は壊れてるの?
(見過ごせられる訳ない。腐っても俺は刑事だ。けど、もう戦う力なんて残ってない)
――そんな弱音吐いてたら……私、董雅君のこと嫌いになるよ?
「ふ、ざけん、な……」
朦朧とした意識の中で、董雅は小夜と会話していた気がした。しかし小夜との再会は董雅に「生きよう」という意志を与え、死にかけていた目に再び命の火を灯した。
「嫌いになるんだったら……俺の本当の気持ち聞いてからにしろ!!」
董雅の意志に呼応し、床に落ちた刀は宙に浮いた後に再び董雅の手に収まる。
鏡像の小夜は全く予想していなかった。董雅が息を吹き返すことも、再び刀を握ることも。故に、今度は小夜が隙を見せた。
「ぅぅおあああああああ!!」
文字通り、最後の力だった。出せる限りの力を使い、董雅は刀を小夜の胸に突き刺した。
「
その時、董雅の心臓から筋肉を通し、筋肉から皮膚を通し、皮膚から刃へと轟音が伝わった。轟音は刃を経由して小夜の体内で響き、1度響いただけで内臓全てに振動を与える。
「これが俺の……
董雅の使う力、鬼神之土轟。自らの心音を増幅させ刃へと伝えることで、振動へと変化した心音を触れた対象に流し込む。
一回一回の振動に致死性はない。しかし心臓が動き、尚且つ刃が対象に触れている限り、致死性ではない強い振動が体内に伝わり続ける。
今現在、致命傷を受けた董雅の心臓は弱っている。それでも動いている。確実に鼓動を刻み、小夜の身体を振動させている。
「やめ、ぶふぇ、ぅぐぇ、がはぁ、ぅ、うぇ、ぅげ!」
花火や太鼓の音が響けば、その音の轟きは人の身体に伝わる。今、小夜の体内に伝わっている轟きは、花火や太鼓の音などでは比較にならない程に大きく強い。
泡を吹き、涙が溢れ、鼓膜は破れ、失禁し、身体の様々な穴から血が噴き出す。
「このまま、死ぬの、は、辛いだろう、から……お前は……斬って殺す」
小夜はまだ生きている。しかし体内から響く董雅の心音は小夜の身体と精神を壊していき、董雅を貫いていた土の棘を維持することもできなくなった。
土の棘が抜けた董雅。しかし患部からは血液や内臓の断片が流れ落ち、董雅はちゃんと立てていない。それでも董雅は床に膝をつくことなく、両手で刀を掴んだ。
「この時を……待ち侘びた!」
灰色の刃は、小夜の胸から腰にかけて斬り裂いた。斬撃は致命傷となり、小夜はそのまま床に崩れ落ちる。
直後、遂に限界を迎えた董雅も床に崩れ落ちた。
「克巳!!」
何もできず、遠くからただ見つめていた山路は、倒れる克巳に駆け寄る。
「山路、さん……俺……小夜の、仇、討てましたよ……」
「ああ……よくやった……!」
鏡像の小夜は乾いてしまった泥人形のように身体が崩れ、鏡にも映らずただ虚しく消えていく。同時に、維持ができなくなった刀は鏡の役割を果たしていたガラスに吸い込まれ、董雅の鏡像へと戻った。
「克巳……おい、聞いてるのかよ、克巳……」
山路がいくら声をかけても、董雅が声を返すことは無かった。
――全く……ゆっくりでいいって言ったのに。
(状況的に仕方なかった。"
――なに?
(小夜、今まで黙ってたけど……俺、小夜のことがずっと好きだった。最後に会った日だって、本当は小夜を帰らせたくなかった。けど俺弱虫だから……言えないまま小夜を死なせた)
――……ねえ董雅君、覚えてる? 私達が初めて出会った時のこと。
(ああ、覚えてるよ。小3の頃、雪の降った日に転校してきたんだよな)
――そう。委員長だった董雅君が学校を案内してくれて……その途中、初めての学校で不安だらけだった私を何度も励ましてくれた。あの日からずっと……私は董雅君が好きだった。けど私も弱虫だから言えなかった。
(……お互い、すっげえ馬鹿なんだな。素直になってればもっと早くに幸せを掴んでたかもしれないのに……)
――……でも幸せならまだ掴める。だって、これからはずっと一緒だから。
(……なあ小夜、俺達……これからどこに行くんだ?)
――天国か……地獄。でも私、董雅君と一緒ならどこでもいい。どこに行っても、全然怖くない。
(そうだな……2人なら、どこへでも行ける……)
――……そろそろ行こう、董雅君。
(ああ……行こう。天国でも地獄でもどこでもいい……2人で生きられる場所に)
やっと……幸せを掴める……。
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