第16話 追憶
――董雅くーん!
誰かが俺を呼んでいる。
けど、俺はこの声を知っている。
――董雅君! 呼んでるんだからこっち見てよ!
見たくない。1度でもそっちを見れば、俺は一生立ち直れなくなる。
――もう……けど良かった。董雅君、生きようとしてるんだね。
ああ。俺は生きなければならない。アイツを殺すまで、絶対に死ねない。
――私なんかの為に、ありがとうね。
別に、お前の為なんかじゃない。お前を殺したアイツが憎いだけだ。アイツを殺したいだけだ。
――ふふ……やっぱり董雅君は董雅君だね。あの頃と全然変わってない。素直になれないところとか特に。
ああそうだ。俺は素直になれない。だからこうして、未練がましくお前の夢を見ている。
俺がもっと正直に、もっと素直に生きていれば、こうして夢の中じゃなく現実で会えた。
――私は嫌じゃないよ。滅多に会うことができない織姫と彦星みたいで。それに、董雅君が"こっち"に来るのを待つのも、私的にはそんなに嫌じゃないよ。
俺が"そっち"にか……いつになるか分からないけどな。
――いつでもいいよ。けど、できればゆっくり来て欲しいな。できる限り、董雅君には生きて欲しいから。
アイツを殺すまでは待ってくれ。待ってくれたら、俺はすぐにそっちへ行く。
――……だから、ゆっくりでいいんだって。
いや、行く。俺は一刻も早くお前に会いたいんだ。
会って……話せなかったこと、言えなかったこと、できなかったこと……全部そっちで叶える。
◇◇◇
眠りから覚めた時、空は既に明るくなっていた。半裸の董雅はベッドから起き上がり、ズキンと痛む頭を押さえる。
たまに見る夢であった。しかしその夢を見る度に、董雅は酷い頭痛に悩まされる。
嫌な夢ではない。寧ろもう会えない相手に会えることは、夢の中であっても幸せである。にも関わらず、今日も頭は痛む。
「
そう呟きながら、董雅は部屋に置いている写真立ての方を見た。
写真には学生服姿の董雅と、董雅の幼なじみである
「あと何回この頭痛を味わえば、俺は小夜に会える?」
問いかけても写真は答えてくれない。虚しさを抱きながら、董雅はベッドから下りた。
◇◇◇
頭痛薬を飲んだ董雅はいつも通り車で出勤し、自らが所属する部署に向かった。
鏡像特別捜査班。鏡像が主犯と思われる事件に携わり、鏡像を発見、駆除することを目的とした捜査班である。董雅や山路はこの班に属しており、主犯が鏡像か否か判別できない変死体が見つかった際も駆り出される。
「おはようございます、山路さん」
自分の机に荷物を置いた董雅は、いつものように喫煙所へ向かった。ガラス張りの喫煙所は外から丸見えであり、中で山路がタバコを吸っているのが見える。
董雅は半年程前からタバコを吸い始めており、今では朝のルーティンと化している。半年前は綺麗だった肺も、恐らくもう黒くなっているのだろう。
「おう。今日はやけに早いな」
この時間、いつも山路は喫煙所にいる。山路は董雅以上のヘビースモーカーであり、比較的安価のタバコを購入することで値段あたりの吸える本数を増やしている。
「ええ……小夜に起こされまして」
「……そうか、またあの夢を……」
山路は小夜を知っており、董雅との関係も知っている。そして、董雅が時折見る夢についても知っている。
「ダメですね……もう1年経つのに未練タラタラなんて」
その夢の中で、董雅はいつも真っ白な空間にいる。壁も床も天井も無ければ天も地も無い。何も無い。故に今自分は浮いているのか立っているのかさえ分からない。
そんな空間に留まる董雅に、背後から小夜が声をかけてくる。その都度小夜は振り向くよう促すが、董雅は決して振り向かない。
なぜなら小夜はもう死んでいる。もう天国にいる。
董雅が居る白い空間は現世と天国の境にある場所なのだろう。もしも振り向けば、董雅は天国の小夜と会うことになる。即ち、それは董雅の死を意味する。
初めてこの夢を見た時に董雅はもうきめている。夢の中で振り向き、天国で暮らす小夜と会うのは、やるべきことをやり終えた後だと。
「……俺に言わせれば、未練がましい奴の方が信用できる。寧ろ信用すべきだ」
「……そうですかね……」
「そうだよ。俺みたいなすぐ別の女に目を奪われる浮気性のクズ野郎より、お前みたいな純情一途野郎の方が、案外幸せな未来を得られるかもしれない。信じてみろよ」
実際、山路は浮気性であると同時に女好き。キャバクラや風俗の常連でもある。もしも国民に風俗通いの事実が知られれば、山路は信用を失った挙句、警察全体がバッシングを受けるだろう。
そんな山路は、自身の幸せな未来を思い描いていない。否、思い描けない。警察官でありながら様々な女性と肉体関係を持つ自分には、幸せになる資格など無いと考えているのだ。
対して、1人の女性にとことん一途になれる董雅は、幸せになる資格を持っていると山路は考えている。恐らく董雅は1度愛した相手を永遠に愛し続ける。相手の性格次第だが、董雅は相手を幸せにできるのだろう。
「……けど、俺にはもう幸せになる選択肢は無いんです」
しかし董雅は、山路の意見を否定した。自分は幸せにはならないと。
「幸せにする筈だった小夜は、もういませんから……」
◇◇◇
1年前。
「董雅君、映画面白かった?」
「アニメ映画にしてはまあまあの出来だったんじゃないかな」
「またまたぁ……素直に面白かったって言えばいいのに」
小夜はアニメが好きだった。この日、小夜はアニメ映画を干渉するために非番の董雅を映画館に連れて来ていた。
短編にしては映画の出来は非常に良く、董雅も小夜も何の疑問点も残すことなく無事に鑑賞し終えた。
「この後どうする?」
小夜の質問に、董雅は少し考えた。
「……小夜も仕事で疲れてるだろうし、大人しく帰るか?」
本当はもっと一緒に居たい。もっと近くで小夜を見ていたい。
しかし小夜はただの幼なじみ。恋人でもない自分が小夜の時間を奪うのは良くないと考えた。
「……董雅君も非番ってだけで、事件あるかもだし……そうだね。今日はこのまま帰ろっか」
小夜も董雅と同じように、まだ一緒に居たいと考えたいた。しかし董雅への気遣いを建前として、董雅はただの幼なじみだと自分に言い聞かせた。
何せ董雅が小夜に片想いをしているように、小夜も董雅に片思いをしている。互いの本音はすれ違い、互いにただの幼なじみだと思い込んでいる。思い込んでいるが故の、互いへの気遣いである。
(私は私で素直になれないとこ、あるんだよな……)
小夜は自分に呆れてため息をついた。自分がもっと素直に生きていれば、今頃董雅と恋人になっていたかもしれない。しかし恋人となることで、董雅への重荷になるのではないかと危惧している。故に小夜は本心を打ち明けられない。
董雅も同様であり、常日頃から事件に駆り出される身である董雅が小夜の恋人になっても、小夜を満足させることも常に一緒にいることもできない。故に董雅も本心を打ち明けられない。
「じゃあ帰るか……小夜?」
「あ、う、うん……帰ろ……」
2人は気まずい沈黙を味わいながら、駐車場にまで向かう。
車に乗り、走り始めて暫くしてから、ようやく2人は会話を再開した。
2人でいると楽しい。2人でいるだけで、何でもない会話が特別に聞こえる。2人は同時に同じことを思い、自分がどれだけ相手のことが好きなのかを理解した。
しかし自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、相手の気持ちに気付いていない。
車に乗ること約15分。董雅の車は自宅近くのショッピングモールに差し掛かった。
「あ、董雅君、買いたいものあるからそこで下ろして」
「え? わ、分かった」
董雅はショッピングモールに入り車を停め、小夜はカバンを持って下車しかけた。
「付き合おうか?」
「ううん。董雅君と一緒だと買いにくいものもあるから……」
董雅は買い物内容をある程度察し、大人しく1人で帰ることに決めた。
「じゃあまたね。今度は来週くらいにまたどこか遊びに行こうよ」
「いいぞ。じゃあまた来週だな」
「うん! それじゃ!」
露骨に機嫌を良くした小夜を見送った後、董雅は駐車場を出て帰路についた。
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