第10話 傷痕

 喫茶店を出た夢奏と始は帰宅し、母に説明をした後に各々自室に篭った。


 カバンを床に投げ、夢奏は制服のままベッドに横になる。自分のことを虐めていたとはいえ、クラスメイトが死んだことは辛く悲しい。

 夢奏な優しい性格をしている。だからこそ始が3人の女子生徒を殴ろうとしていた時、夢奏は始を止めた。だからこそ、今こうして3人の死を悲しんでいる。


「着替えなきゃ……」


 夢奏は身体を起こし、制服を脱ぐため1度ベッドから下りた。

 しかし着替えようと制服のボタンに手を向けた時、夢奏は違和感に気付き動きを止めた。そして違和感の正体に気付き、夢奏は部屋に置かれていた鏡を見た。


「あ……!」


 鏡に映った自分自身は、映るはずの姿ではない。

 夢奏の身体は今、鏡に対して横向き。故に鏡には横向きの夢奏が映る。しかし鏡に映る夢奏は正面を向いており、横向きの実体を真っ直ぐ見つめている。

 もしこの夢奏が鏡像を知らない数日前の夢奏であれば、驚きのあまり腰を抜かしていたのだろう。しかし鏡像の存在を知った今、多少驚きはしたものの落ち着いていた。


「私を殺すの?」


 夢奏は、自分が始や董雅のような適合者であるとは考えなかった。故に鏡像は自立し、自分を殺そうとしている。そう考えた。


「殺さない。だって私はあなたで、あなたは私。あなたを殺す必要なんてない」


 生徒Bの鏡像は、話し合う余地なく実体を殺した。しかし夢奏の鏡像は戦う意思を全く見せず、寧ろ必要が無いと否定した。


(もしかして、私って親和性が高いのかな? だったら私も、始みたいに……)




「戦えるかもしれない、そう思ってるんでしょ」

「っ!?」


 思考を読み、鏡像の夢奏は不遜な笑みを浮かべて鏡の外に出た。波打つ鏡から出てきた自身の鏡像を見た瞬間、夢奏は鏡像それが自分自身であると理解させられた。

 喋り方や動きの癖、鏡写しであることを除けば、鏡像の全てが自分と一致している。もしも鏡像が代わりに学校に行ったとしても、誰もそれが夢奏だとは疑わない。


「戦い方、教えてあげようか?」


 鏡像は実体の夢奏に歩み寄り、膨らんだ胸と胸が当たる距離まで距離を詰めた。


「あなたが戦えば、始の手助けになる。手助けになれば、始と一緒に生き残れるかもしれない」

「……そう、だよね……このままだと私はお荷物……戦える力を得たら、始の役に立てるかも」

「そう……私を受け入れたら、あなたに戦えるだけの力をあげる」


 戦いへと誘う鏡像の顔は嗜虐的で、夢奏は催眠にでもかかったかのように戦意を引き立てていく。


「夢奏、入っていいか?」


 ドア越しに始の声が聞こえ、漠然としていた夢奏の意識は鮮明になった。


「……今すぐ決める必要は無いから、ゆっくり考えてね」


 小声で呟いた鏡像は波打つ鏡に吸い込まれ、波が止まれば本来の鏡像へと戻った。夢奏は鏡像の自分自身を見つめ、まるで白昼夢のように感じられた数十秒間を思い出して再び意識が漠然としかけた。


「……夢奏?」

「あ、うん。いいよ」


 しかし再度始の声で我に返り、今度はちゃんと返事をした。


「どうしたの?」

「いや、大丈夫かなって思って……あんな奴等でも、夢奏にとっては大事なクラスメイトだったから」


 3人の生徒が死んでから、始自身は少しだけスッキリしていた。何せ夢奏の害悪となる存在が消えたのだから、始的には喜ばしい。

 しかし始は夢奏を愛してる。愛しているからこそ、夢奏の気持ちを理解できている。そして3人の生徒が死んで、夢奏が心の底から悲しんでいることも知っていた。


「始……」


 夢奏は少しだけ黙り、開けられたままのドアを閉めた。

 そして誰にも見られない状況を作れたことで夢奏の緊張の糸は切れ、何も言わずに始に抱きついた。


「いい……始が居てくれれば、私はそれでいいよ」

「夢奏……辛かったら泣いてもいいぞ?」

「泣かないよ。けど……」


 涙は出ない。しかし夢奏には、悲しみを凌駕する程の強い願望があった。


「……お母さん、確かさっき買い物行くって言ってたよね?」

「うん。暫くは帰ってこないらしい。どうかした?」


 始の発言に夢奏は頬を膨らませ、始の胸に埋めていた顔を僅かに上へ向けた。


「始って、変なところで鈍いよね」


 上目遣いで話してくる夢奏に、始は顔を僅かに赤くした。始心音が速くなったことに気付いた夢奏は、両手を始の後頭部に回して顔を胸から離した。

 夢奏の要望を察した始は心を落ち着かせ、左手を夢奏の腹部へ、右手を夢奏の後頭部へと回す。


「したいなら言ってくれればいいのに……」

「女の子にそんなこと言わせようとしないの」


 夢奏は踵を浮かせ、始は姿勢を低くする。

 そのまま2人は目を瞑り、互いの唇を重ねた。

 暫くぶりのキスはコーヒーとチョコレートの味。2人は手と身体を通してを体温を感じ合い、唇を通して愛を感じ合う。

 数秒間の至高。後に2人は唇を離し、互いに目を見る。2人は既に蕩けたような表情をしており、耐えきれず夢奏はベッドに始を押し倒す。


「始がいるだけでいい……けど、やっぱりクラスメイトが死んだのは悲しい。だから……私の事、慰めてくれる?」

「……好きなだけ慰めてやるよ。だって夢奏は……」


 始は夢奏の太ももに手を当て、キス寸前まで再び顔を寄せる。


「俺の、恋人なんだから……」


 2人は再びキスをした。

 今度は寝転がった状態で、夢奏は太ももを撫でられている。

 脚を通して感じる夢奏の性欲。始はその欲に答え、徐々に手を脚から上半身への移す。

 服の上から腹と背中を指で撫で、夢奏の身体が僅かに痙攣を始めた頃に、制服の裾から手を入れる。


「ん……んっ……」


 制服の中で夢奏の胸に触れ、ブラをずらして直接触れる。常人より冷たい始の手は夢奏の性欲を駆り立てる。

 ビクビクと肩を震わせる夢奏の反応を楽しむ始は、鏡像の夢奏に負けず劣らずの嗜虐的な笑みを浮かべる。

 しかし時折見え隠れする傷痕や痣は始の性欲を抑え、期せずして平常心を与える。そんな始を見て、夢奏は自身の身体に刻まれた傷痕を恨んだ。


「……ごめん、こんな汚い身体で……」


 我に帰った夢奏は始の手を払い除け、乱れた服を直しながら身体を起こした。


「こんな身体で、始が満足してくれるはずない、よね……」


 悲しげな笑みを浮かべる夢奏は背を向け、始も身体を起こす。


「夢奏は汚くなんてない」

「傷だらけなんだよ? 普通の女の子とは違う……」

「夢奏は夢奏だよ」


 始は背後から夢奏を抱き、耳元で囁く。


「普通の女の子だとか、そうじゃないだとかは関係ない。俺が好きなのは夢奏なんだ。仮に腕が無くても、脚が無くても、俺は夢奏を好きになってたと思う」


 始が夢奏に対して抱いている愛は真実。仮に顔が醜怪であろうと、始は夢奏を愛するのだろう。

 始と出会い、始と交流し、始に救われ、始の愛を知った。一体始はいつから夢奏を愛していたのかは知らない。


「……ごめんね。折角の"初めて"なのに、私の身体のせいで……」

「夢奏は悪くないよ。俺が夢奏の傷痕にビビったのがいけないんだ。触れれば痛むんじゃないかって……昔のこと思い出して怖いんじゃないかって……」


 始は、夢奏が過去にどれ程の苦行を味わってきたかを知っている。故に夢奏に触れる度に、夢奏のトラウマを引き出してしまうのではないかと恐れる。

 今日も始は、交わる寸前に恐れた。愛しているからこそ、夢奏の過去に気を遣った。

 しかしその気遣いが逆に夢奏を悲しませてしまった。そう気付いた始は自身の恐れを恨み、自分自身を恨んだ。


「……私、始だったら何されても嫌じゃない。だから、もっと触れて。もっと……私に愛を教えて……」


 夢奏は振り向くことなく始の腕に触れ、始にも気付かれる程に耳を赤くさせた。

 夢奏の気持ちに気持ちに気付き、始は改めて覚悟を決めた。今度は恐れない。今度は本気で愛の証明をする。


「夢奏……後から止めてって言ってもダメだからな」

「言わない。寧ろ、もっと欲しがるかもよ」


 2人の愛に再び火が灯り、


「好きだよ……始」

「俺もだよ、夢奏」


 小一時間程、2人は互いの愛を濃厚に証明した。

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