第6話 戦闘

「っ!」

「帰ってきたね……」


 玄関のドアが開く音に気付き、リビングで2人を待っていた摩耶と母は俯けた顔を上げた。

 待ちきれなかった摩耶はリビングを飛び出し、夢奏と始のいる玄関まで走った。

 そして、摩耶は涙を浮かべながら2人を強く抱きしめた。


「始……夢奏……無事でよかった……」

「摩耶……ただいま……」


 夢奏は摩耶の身体に手を回し、トイレでの悲劇から無事に生きて帰って来れたことを実感した。


「摩耶、悪いんだけど……先に夢奏風呂に入れてくれる?」

「え……?」


 始に言われて、摩耶はようやく夢奏の下腹部から微かに香る匂いに気付いた。


「そっか……うん、お風呂入ろ……始も一緒に入る?」

「2人で入れ」


 ◇◇◇


 昨日と同じように、摩耶は夢奏の身体を洗う。特に匂いが残らないよう、下半身を重点的に。


「始から聞いたよ、怖かったよね……」

「……始は、みんながいるところで話そうって言ってたけど、これだけ教えてくれる?」

「何?」

「あれは……鏡から出てきたあれは、人なの?」


 始の発言から摩耶が鏡像について知っていると理解した夢奏は、一つだけ摩耶に真相を求めた。

 とは言え摩耶は現場にはいなかった。摩耶は夢奏を満足させる答えを出せる自信が無かったが、夢奏が見たというものが自身の知っているものだと仮定し質問に答えた。


「……結論から言うと、それは人間じゃない。人間に限りなく近い怪物。鏡写しだから、私達は鏡像って呼んでる」

「鏡像……じゃあやっぱり、あれは鏡の中の?」

「そう」


 摩耶は壁面の曇った鏡を手で拭き、鏡に映った自分達を指さした。


「これが私達の鏡像」

「……じゃあ、私達の鏡像も鏡から出てくるの?」

「出てくる人とそうでない人……というか、鏡像が自立してる人と自立してない人がいるんだけど……これ以上はまた後で話すよ。とは言え、私達も全部を知ってる訳じゃないんだけどね。因みに……」


 摩耶は鏡に手をかざし、その後人差し指と中指を残し全ての指を折り、鏡に向かってピースサインをした。


「私達の鏡像は自立してない」


 ピースサイン。普通ならば鏡像の摩耶もピースサインをしていなければおかしい。

 にも関わらず、鏡像の摩耶はピースサインをしておらず、指は開いたままになっている。

 夢奏は今日既に非現実的な瞬間を見ているため、驚きはしたものの声に出るほどではなかった。


 ◇◇◇


 入浴を終えた夢奏と摩耶はリビングへ向かい、始と母を加えた4人で机を囲った。


「まずは……あー、何から話せばいいかな……」

「鏡像のことはさっき少しだけ教えたから、まずは話してない鏡像のことからでいいんじゃない?」

「どこまで話した?」

「鏡像が自立してるのとそうじゃないのがいるってとこまで」


 摩耶の回答に、始は少し考えた。そして無言のまま話す順番を決め、口元にやっていた手を離した。


「じゃあ摩耶から聞いたとこの続きから。鏡像が自立する奴とそうでない奴、その違いは鏡像との親和性が高いか低いかによる」

「私と始は親和性が高いから、鏡像は自立せずに制御できる。けど親和性が低いと鏡像が自立して、実体の制御が効かずに自分勝手に行動する」


 先程風呂場で見せた現象も、親和性が高いからこそできたもの。普段はただの鏡像として抑え込んでいるが、任意のタイミングで鏡像の一部、或いは全体を自立させることもできる。

 とは言え親和性が高いためか、基本的に鏡像は自分勝手に行動しない。故に始や摩耶の鏡像は人を襲うことがない。


「親和性が高いから自立しない……ってことは、上尾さん(生徒B)は親和性が低かったの?」

「そういうこと。親和性が低ければ、実体は鏡像に襲われる」


 生徒Bこと上尾は親和性が低かった。と言うよりも、寧ろそれが普通である。普通の人間は親和性が高くないため、鏡像の制御は効かない。


「……なら、もっと多くの人が死ぬんじゃない? て言うか、なんで鏡像は勝手に動いてるの?」


 ここに来て、夢奏はようやく気付いた。

 始達は当然のように鏡像鏡像と言っているが、そもそも鏡像は鏡に反射した言わば現象。

 鏡に触れられても鏡像には触れられず、そもそも鏡の中に入ることなど出来るはずもない。にも関わらず、始達は常識を軽く飛び越えた会話をしている。


「……根源がいる。鏡像曰く、その根源が悪意を鏡像に植え付けて、自立心を与えて鏡像を怪物にさせた。それが人間なのか鏡像なのかは分からないけど」


 鏡像達は、気付けば悪意を抱いていた。その悪意はいずれ成長し、自制心を破壊して鏡の外に出る。

 そしてある日、始は殺そうとしていた鏡像から聞いた。鏡像に悪意を与えた根源がいると。

 誰かは覚えていないが、鏡の中で女性の鏡像とすれ違った直後、悪意や殺意が芽生えたという。しかし所詮は殺すべき相手の戯言と受け取り、始はその鏡像を殺した。


「……摩耶も戦ってるの?」


 夢奏の質問に無言で頷いた摩耶だが、そのすぐ後に口を開いた。


「誰かが戦わないと、そのうち人間は絶滅するから。何せ鏡像は鏡像の力じゃないと殺せないしね」


 人は鏡の外に出てきた鏡像には触れられる。しかし仮に拳銃で撃とうと、ナイフで斬ろうと、ただの人間に受けた傷はすぐに修復する。

 仮に1人の鏡像に対して大量の核爆弾を投下しても、数分後には何事も無かったかのように復活する。即ち人間を相手にした鏡像は、控えめに言って無敵。

 格闘技を極めた者も、殺人を極めた者も、普通の人間である限り鏡像には勝てない。


「いつになったら、摩耶も始も戦う必要が無くなるの?」

「本当に根源が居るなら、そいつを叩けば戦いは終わる。けど居る確証がないから、そうなるといつ戦いが終わるかは分からない」

「……そう……」


 夢奏は言い知れぬ不安を抱くと共に、始と摩耶の死に対する恐怖を抱いた。

 もしも戦いの中で始と摩耶が死ねば、また自分は家族を失ってしまう。また家族の遺体を見ることになる。

 また親戚達から忌み子だと蔑まれる。


「大丈夫だよ。摩耶も夢奏も俺が守る。夢奏に悲しい思いはさせない」

「……本当に?」

「ああ。俺は強いからな」


 始の笑顔を見て、夢奏が抱いた不安と恐怖は一瞬で消え去った。その時の始はまるで、闇を消し去る光。暗い夜を明るく染める太陽のように見えた。

 これまで何度も励まされてきた始の笑顔。もう見慣れているはずだった。それなのに、また夢奏は励まされた。


「……私、始と出会って良かった」

「突然どした? さすがの俺も面と向かってそんなこと言われたら……恥ずかしいじゃん」


 頬を染めて顔を逸らす始を見て、夢奏と摩耶は同時に「かわいい」と思ってしまった。

 あの顔を胸に埋めたい。キスしたい。抱かれたいというよりいっそ抱きたい。

 一瞬で「かわいい」という感情から飛躍した2人だが、まだ目の前に始がいると言い聞かせ暴走を止めた。


「じゃあこれからは始に守って貰うために、普段から一緒に行動しないとね。いっそ部屋も一緒にして、お風呂も一緒に入る?」

「ずるい! 私だって始と一緒に寝たいしお風呂も入りたい!」


 本人を前にして始を取り合う2人に、始は呆れたようなため息を吐いた。


「摩耶だって戦えるんだし、寝る時と風呂入るときは摩耶で代用してくれ」

「「え~!」」


 つい数分前まで重たい空気に包まれていたリビングも、今ではいつもの雰囲気に戻っている。

 どんなに冷たく暗い闇でも、始や摩耶と一緒なら乗り越えられる気がする。夢奏はそう思った。


(本当、始達に出会って良かった……)


 夢奏はこの家に来てから、幾度となく幸せを感じてきた。その中でも今感じた幸せは、間違いなく上位に食い込む程の幸せだった。


「なんかお腹空いちゃった……」

「俺も」「私も」

「じゃあ晩御飯にしよっか」


 その日の夕飯は、夢奏の大好物であるジャガイモのコロッケだった。

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