第2話 氷結

(臭いが強くなった……この辺に居るな)


 夜道を走っていた始は、焼け焦げたような臭いが濃くなったことに気付き、走る速度を遅くした。

 臭いの原因を特定するため周囲を見回す始。しかし臭いがするだけで場所の特定がなかなかできない。


(どこにいる……)


 時間が経つにつれて、始は徐々に苛つく。しかし焦りは油断に繋がると自信にいい聞かせ、始は暑くなりかけた頭を冷ました。

 そんな時、唾の混じった咀嚼音のような耳障りな音が聞こえ、始は足を止めた。そして息を整え、斜め前にある街灯へと走る。

 始はポケットから折りたたみの手鏡を取り出し、街灯の下でそれを開く。光が当たったことで鏡には始が映り、始は鏡に映った自分に手をかざす。

 直後、鏡は僅かに青い光を帯び、鏡像の始は青い光と融合、実体の始の手元に移動した。

 鏡像が鏡から出たことで、鏡には始が映っていない。しかし実体の始は存在し、実体の始は鏡像の始が融合した青い光を掴んでいる。

 青い光は形を変え、最終的に銃に似たフォルムになった。そして光は突如弾け、始の手には紺色の拳銃が握られていた。

 深く息を吸い、吸った分だけ息を吐く。それを3回繰り返し、始は音の聞こえる方を見た。

 音のする場所は空き地。夜中であり、加えて空き地には街灯がないため、空き地に何がいるのかは確認できない。しかし見ずとも音の正体を理解している始は、躊躇うことなく銃口を空き地に向けた。

 周りには誰もいないにも関わらず、「何体いる?」と呟いた始。誰も返事をするものはいない、そう見えるが、誰かが確かに「3体だ」と言った。その声は始の声に似ているが、始は口を開いていない。


「3体か……まとめて凍らせてやる……!」


 始は何も見えない空き地に銃口を向けたまま、硬く冷たい引き金を引いた。銃口から放たれた1発の銃弾は青く、闇に包まれた空き地に真っ直ぐ向かっていく。

 そして銃弾を放った直後、始は闇に向かって走った。闇を切り裂きながら突き進む銃弾を追うように。

 弾けろ。始が脳内でそう叫んだ瞬間、先に放たれた銃弾は闇の中で弾け、直後に始は足を止めた。

 弾けた銃弾は氷の礫になり、発砲の勢いを残したまま闇の中に突き刺さる。

 闇からは奇声が聞こえ、その声を聞いた近隣の犬が吠え始めた。


「本性曝け出せよ、怪物が」


 始の声に呼応するかのように、闇の中に存在している3つの影のうち1つが炎を纏った。

 闇を照らす炎は激しく、発火元の姿を表すと同時に近くにいた2つの影も照らした。

 発火元。"それ"は見るからに人である。しかし始は、それが人ではないことを知っている。


「火属性か……まあ、勝てないことは無いな」


 発火する影を始は火属性だと明言し、両隣に立ち尽くす2つの影を見る。

 2つの影は発火していない。それ以外にも目立った変化はない。

 ただ不気味にも、廃人のような目で始を見つめる。その瞳は火属性の個体の炎に当てられ、闇の中で僅かに光っている。


「まずはあいつから殺るか……あーいや、やっぱり有言実行、だよな」


 始は息を吸いながら銃口を火属性の個体に向ける。武器を向けられたと気付いた3体の怪物は僅かに後退るが、逃げても無駄だと判断したのか再度足を前に出した。

 火属性の個体は身体から放つ炎の威力を高めた。そして始に向かって勢いよく右手を突き出し、個体の右手からバスケットボールくらいの大きさの火の玉が放たれた。

 攻撃性のある火の玉を前にして、始は顔色一つ変えずに引き金を引く。

 紺色の銃から放たれた銃弾は真っ直ぐ火の玉へ向かい、接触すると同時に火の玉を一瞬で凍らせた。

 人並みの知能を持つ怪物達は、目の前で起こった現象を理解できなかった。氷は熱で溶けるにも関わらず、寧ろ熱源である炎を凍らせた。

 そして自然の法則を完全に無視した現象に怪物達は困惑し、不覚にも始から目を逸らしてしまった……のだが、気付いた時にはもう遅い。


「言ったろ……3体まとめて凍らせてやるって!」


 気付けば3体の怪物の周りには氷塊がいくつか出現しており、始は怪物ではなく氷塊に銃口を向けていた。


「包囲氷結!!」


 始は引き金を引き、放たれた銃弾は氷塊の1本に当たる。

 撃たれた氷塊からは横向きの氷柱つららが延長し、火属性の怪物の腹を貫く。

 さらに共鳴するかのように、別の氷塊からも氷柱が延長。残り2体の怪物の身体も貫く。

 そして氷柱が刺さった箇所から徐々に怪物の身体は凍結し、怪物達は凍結の痛みに喉が潰れる程叫んだ。しかし叫びは徐々に掠れ、侵食した氷が喉に達した。


「身体から炎出してたら熱いだろ? 冷やしてやるよ」


 喉まで達した氷はすぐに頭部を侵食し、3体の怪物はまるで氷で作った像のように動かなくなった。



 先程の怪物が火属性出会ったことに対し、始は氷属性。一見氷の方が分が悪く見えるが、始の氷には常識が通用しない。

 始に凍らせないものはない。仮にあったとすれば、それは夢奏を含めた家族と僅かな親友だけである。



 始は凍った怪物に歩み寄り、先程まで聞こえていた音の正体を目撃した。

 怪物達の後ろには女子高生が横たわっている。しかし右手と両脚は既に無くなっており、胴には部分的にかじられたような傷がある。齧られたであろう箇所からは内臓が覗いており、血で赤く染った腸が少しだけ露出している。

 痛みに悶えたのだろうか、顔は涙と鼻水、唾液で濡れている。今にも叫びだしそうな顔をしているが、既に瞳孔は固定されており呼吸もしていない。

 見た時にはもう気付いていたが、女子高生は死んでいる。

 そしてこの女子高生は、今日の夕方に夢奏を囲っていた女子生徒。暗い中で顔を見た瞬間、「可愛そうだ」と思いかけていた始の気持ちは一変。

 始は女子生徒の遺体に一言「ざまぁみろ」と言い放ち、踵を返して自宅に向かう道を歩いた。


 ◇◇◇


 なるべく音を立てないように玄関のドアを開けた始。それを出迎えるかのように、玄関付近の壁に凭れて眠る摩耶が居た。

 始は靴を脱いで家に上がり、眠る摩耶の頬を指でつついた。

 冷たい指で頬を突かれた摩耶は浅い眠りから目を覚まし、霞む司会で始を見る。


「あれ……寝てた……?」

「寝てた。なんでこんなとこで?」

「始が心配だったから……」


 少しだけ顔を赤くした摩耶は顔を背け、照れつつも呆れた始は右手を摩耶の頭に置いた。


「心配しなくたって俺は帰ってくるよ。今日だってほら、ちゃんと帰ってきた」

「そうだけど……お姉ちゃん、やっぱ心配しちゃう。始はもしお姉ちゃんが1人で戦いに行った時、心配してくれないの?」

「……するに決まってんだろ。だからいつも1人で行かせないようにしてるんだよ」


 目を背けながら言った始を見て、摩耶は先程よりも顔を赤く染めた。

 一応言っておくが、2人は実の姉弟である。ただ摩耶が若干ブラコンというだけであり、姉弟という枠を超えた感情を抱いている訳では無い。


「もう遅いし、早く寝ろよ」


 始は立ち上がり、摩耶の両脇を掴んで無理矢理立ち上がらせた。

 豊満な胸と脇の柔らかさ、温かさが始の手に伝わるが、相手が摩耶であるため始は特にドキドキや興奮は味わえなかった。


「……お姉ちゃんと一緒に寝る?」

「1人で寝ろ」


 摩耶の発言に食い気味で答えた始。しかし摩耶はもう少しだけ始といたかった。


「じゃあせめて……部屋までおんぶして」

「……たまにどっちが歳上なのか分かんなくなるな。まあ別にいいけど」


 始は振り返り、摩耶に背中を向けて姿勢を低くする。

 摩耶は始の背中に胸と腹を密着させ、首に手を回す。

 そして始は両手で摩耶の足を持ち、重そうな素振りも見せずに無言で持ち上げた。


「そういや夢奏の前では甘えてこないけど、どうして?」

「夢奏の前では、甘えさせてくれるしっかり者のお姉ちゃんでいたいから……」

「……そうだな。夢奏には甘える相手が必要だもんな」


 摩耶の意見に納得した始は、摩耶の部屋に向かうため階段を上り始めた。


「甘えさせてあげたいって気持ちが全面に押し出されて、甘えたいって気持ちがいつも抑えられる。だからこうして始に甘えて発散してるの」


 因みにこれは始でさえも気付いていないことだが、摩耶の普段の一人称は「私」であるが、現在のように始の2人きりの時の一人称は「お姉ちゃん」に変わる。

 妹のように始に甘えても、実際は自分が姉であることを忘れないためである。


「ほんとは始が一緒に寝てくれたらお姉ちゃんすっごく嬉しいんだけど……なんならお風呂とかでもいいよ?」

「夢奏で我慢してくれ」

「ちぇー」


 階段を上り終えた始は、摩耶の部屋のドアを開けて中に入った。

 その後摩耶をベッドに下ろし、「おやすみ」と交わした後に部屋を出た。


 途端に眠気に襲われた始は自室へと向かい、寝巻きへと着替えてすぐにベッドに横になった。


(夢奏も、摩耶も、母さんも……もう誰も傷付けさせたくない……誰も死なせたくない……)


 眠る直前、始の脳内にかつての友人の姿が浮かんだ。

 黒い髪と鋭い瞳が特徴の、とても仲が良かった友人の姿が。

 そして同時に、その友人の死んだ姿も浮かんだ。


(恭矢きょうや……こんな俺でも、見守ってくれれば嬉しい。見守ってくれてるだけで、俺は強くなれるから……)


 亡き友人を想いながら、始は深い眠りについた。

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