そして少女は鏡を砕く

智依四羽

第1話 家族

 鏡よ鏡。この世で1番美しいのは誰?


 それは、あなた以外の誰かです。


 鏡よ鏡。この世で1番嫌われているのは誰?


 それは、あなたです。


 鏡よ鏡。なぜ私は嫌われているのですか?


 それは、あなたがあなたでいるからです。


 あなたが、生きているからです。






 鏡に問いかければ、鏡の中の自分は答えてくれる。

 しかし結局相手は鏡像。自分で答えなければ、鏡像の自分も答えてくれない。

 自分の質問に対して、どんな答えを得るかは自分次第。良い答えも悪い答えも自分次第で好きなだけ得られる。


 故に、所詮は自問自答の茶番劇である。




 鏡像に命が与えられない限りは。







 ◇◇◇


 パチン、という頬を叩く音が、夕日が差す放課後の教室内に響く。ヒリヒリとした痛みに耐えるように夢奏ゆかなは拳を強く握った。


「あんたさぁ、東海林しょうじに何した? 他の誰にも落とせなかった東海林が……何であんたなんかと一緒にいるの?」


 16歳の姫川ひめかわ夢奏ゆかなは、クラスメイトの東海林しょうじはじめと交際している。しかしクラスの女子は夢奏と始の交際をよく思っていない。

 始はクラス内だけでなく、他の学科の生徒からも人気がある。勉強もできて、運動もできて、尚且つイケメン。文武両道と容姿端麗を体現したような人物である。

 対して夢奏は口数が少なく、クラスの影のような存在であるため、そもそもクラス内の人気は無い。

 しかしそんな2人が交際していると露見してから、女子生徒は夢奏に対して怒りを抱くようになった。


「私らの方があんたより全然可愛いのに……なんであんたなのよ!」


 女子生徒Aは怒りを込めた右手で、再度夢奏の頬を叩く。力は先程よりも強く、叩かれた際に夢奏は口の中を切った。


「色仕掛けでもしたんじゃない? こいつ声も態度も小さいのに胸だけはデカいからさ」

「そうそう。ほんっとムカつくよ……ね!」


 女子生徒Bは勝手な予想を立て、女子生徒Cは夢奏の肩を強く押した。

 バランスを崩した夢奏は背中からロッカーにぶつかり、ロッカーの取っ手部分が背中に痛みを感じさせた。ぶつかった際の衝撃で夢奏はさらに口の中を噛み、口の中で血の味が充満した。


「色仕掛けが得意なんだったら服脱がして体育倉庫に放置しようよ。もう少ししたらバスケ部が練習終わるから、いい肉便器になるんじゃない?」

「お、いいじゃん。どうせなら油性ペンでこいつの身体に落書きしてさぁ、写真撮ってSNSに流してやろうよ」


 男達に性玩具として扱われた夢奏の姿を思い浮かべ、高らかに声を上げて笑う女子生徒達。もし仮にそうなれば、夢奏はもう学校には来れず、恐らく自殺する。

 しかし夢奏は怖くなかった。なぜなら、夢奏は孤独ではない。


「何やってんの? 俺も混ぜろよ……」

「っ!!」


 教室のドアを勢いよく開け、夢奏の彼氏である始が室内に入ってきた。ドア越しの声で大体の状況を察しているため、始の顔は既に怒っている。


「東海林……この際聞くけど、何でこんなブスを彼女になんてしたの!? 東海林にはもっと相応しい人間がいるはずでしょ!?」

「あぁ? 今お前、夢奏のことブスって言ったか?」

「本当のことでしょ……」

「少なくとも、お前より夢奏の方が可愛い。無論顔と性格両方な」


 始は夢奏を引き寄せた後、夢奏の頬が赤くなっていることに気付いた。その瞬間、始の中にあるリミッターが解除された。


「……おい! お前ら夢奏こいつが俺の彼女だって知って手ぇ出したんだよな……なあ!?」


 普段の始は冷静沈着で、余程のことがない限り怒らない。しかし今、女子生徒達は始を激怒させてしまった。その迫力に怯んだ女子生徒は逃げようとしたが、脚が竦んで動けない。


「夢奏、こいつら殺して欲しいか?」


 殺す。老若男女問わずに使う言葉であるが、たった今始が発した"殺す"からは冗談であるという気が一切伝わらなかった。

 夢奏が殺して欲しいと言えば、間違いなく始は女子生徒達を殺しているだろう。


「やめて……私は大丈夫だから。3人のこと怒らないで……」

「……おい、今回は夢奏に免じて殴らないでおいてやる。けどな……次お前らが夢奏に手ぇ出したら、性格に似合うようにその顔もっとブスにしてやる」


 始は左手で夢奏のバッグを持ち、右手で夢奏の手を掴んだ。

 2人は教室を出ていき、教室に残されて女子生徒達は一斉に膝を崩した。


「図書室行くから先に行ってろって言われたけど、嫌な予感して来てみれば……やっぱりこれからは常に2人でいないとな」

「でもやっぱり始は来てくれた」

「行かなかったかもしれないんだぞ」

「ううん。始は絶対に来てくれた。どこにいても、私達は繋がってるから」


 夢奏は握る手を強め、少しだけ始に身体を寄せた。


「……早く帰ろう。摩耶まやも待ってる」


 2人は手を握ったまま、2人の暮らす東海林家に向かった。


 ◇◇◇


 玄関のドアを開け、始と夢奏は家に入る。靴を脱ぎ、廊下を進み、リビングのドアを開ける。


「おかえりー」


 リビングに入ってきた2人に、キッチンから声をかける東海林家母。母は2児の母とは思えない程の幼児体型であり、加えて童顔。実年齢よりもかなり若くみられるため、街を歩けば老若問わずに男性の視線を感じる。


「ただいま。あれ、摩耶は?」

「お風呂入ってるよ。入ったばっかだし、夢奏ちゃんも一緒に入りなよ」

「はーい」


 夢奏はリビングを出て脱衣所へと向かう。そしてリビングに母と始の2人しか居なくなった時、母は抱いていた疑問を始に尋ねた。


「夢奏ちゃん、ちょっと顔赤くなかった?」

「クラスメイトに平手打ちされた。俺と一緒にいることは、クラスの女子達にとっては気に入らないらしい」


 キッチンで鮭を捌いていた母だが、始の発言を聞いた途端に手を止めた。

 包丁を握る手は僅かに震え、柄を握る潰すのではないかと思う程の力が加わり始める。


「……夢奏ちゃんのこと何も知らないくせに、始と一緒にいることが不愉快で平手打ち? 許せない! そいつらの名前は!?」

「いいよ。もう夢奏に手出しできないようにしたから」

「いいや甘い! 精神的に痛めつけるだけじゃ足りない! 社会的にも地に落としてやる!」


 包丁をまな板の上に叩きつけ、母は激怒する。それ程母は義理の娘である夢奏のことを愛しており、夢奏の直面した現実を重く受け止めている。


「いっそ、始の"鏡像"がどうにかしてくれないの?」

「……ただの人間に能力使う程、俺は落ちぶれちゃいない。あと一応言っとくけど、夢奏の前でうっかり漏らすなよ」

「分かってる。お母さんそんなに馬鹿じゃないから」


 始の言葉で我に返った母は、叩きつけた包丁を再び握った。


 ◇◇◇


「あ! おかえり夢奏!」


 コンディショナーの最中に乱入してきた夢奏に気付き、摩耶は振り向いて挨拶をする。


「一緒に入っていい?」


 摩耶は始の2歳上の姉である。始とは違う高校に通っているため、学校のある日は基本的に家以外で会うことは無い。


「いいよ。お背中流しますよシャチョサーン」

「なんでそんな外国人みたいな言い方……まあいいけど。じゃあお願いします」


 摩耶はシャワーでコンディショナーをすぐに洗い流し、夢奏と位置を変更した。

 夢奏は床に敷かれたマットに座り、摩耶はボディソープをかけたボディタオルで夢奏の背中を洗い始めた。


「お痒いところはございませんか?」

「ございません」


 夢奏と摩耶は姉妹ではない。しかし実の姉妹であるかのように仲が良く、互いに友人という概念を超えた家族の様な信頼を抱いている。


「そういや夢奏、今朝撮影した始の写真あるんだけど、欲しい?」

「喉から手が出る程。後で送ってくれる?」

「いいよ~」


 夢奏は幸せを感じている。

 家族がいなくなった夢奏を引き取り、家族として接してくれている始達一家には感謝している。

 身体の所々にある痛々しい傷痕を、始達家族は誰も指摘しない。詮索もしない。夢奏が辛い時間を歩んできた証として受け入れているためである。

 夢奏はこの家で暮らすようになってから、本物の家族というものを知った。

 意味も無く殴らない。意味も無く物を投げつけてこない。ちゃんとした服を着させてくれる。話を聞いてくれる。食事を与えてくれる。人として扱ってくれる。そして何よりも、温かい。

 これまで本物の家族を知らなかった夢奏には、始達と暮らす日常は非日常的に感じられ、幸せという字を体現したようなものに見えた。


(この家に来てもう3年……いや、もう少しで4年か……)


 夢奏は今の幸せを感じながら、シャワーで身体の泡を落とした。


「一緒に湯船入っていい?」

「いいよー」


 浴室で和気藹々としている2人の声を聞きながら、始は優しげに微笑んだ。


 ◇◇◇


 夕食を食べ終えた夢奏達は、リビングでテレビを見ていた。

 毎週放送している人気のクイズ番組。いつものように夢奏達は答えを考え、分かっても答えは口に出さず黙っている。

 しかし番組の最中、画面上部にニュース速報が流れた。

 夢奏達が住んでいる街で、女子高生の死体で見つかったらしい。死体の損傷が激しいことに加え、身分証となるものを所持していないことから、死んだ女子高生の身元は分かっていない。


「……なんか最近多いね、人が死んだってニュース」

「だね。連続殺人犯でも潜んでるのかな?」

「怖いこと言わないでよ摩耶!」


 夢奏の反応を見て楽しむ摩耶と、2人のやり取りを見て和む始と母。しかし一瞬だけ始の表情が険しくなったが、夢奏は気付かなかった。


(どこかにいるな……後で探しに行くか)


 ◇◇◇


 深夜2時。

 真っ暗な玄関で靴を履く始と、その後ろには心配そうな顔を見せる摩耶がいる。


「俺1人でも余裕だよ。それより摩耶は家に残って、いつもみたいに緊急時に備えておいて」

「うん……気をつけてね」

「……心配しなくても、俺は死なない」


 始はそう言い残し、街灯のない暗い夜道を走った。

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