第9話 楔
クロンの現在の細胞崩壊率は10パーセント前後といったところだ。また、それが今のクロンの限界値でもあった。しかも10分も活動したらこの状態が切れ、死を待つのみとなる。
なぜそうなるのかはわからないが、細胞崩壊によるエネルギーの抽出とそれの副次効果である肉体のリミッター解除は強烈なデメリットを引き起こす。肉体が使用後数時間——その日のコンディションにもよるが——【自己再生】で再生しなくなる上、首から下が、肉体が、動かなくなった受付ロボットのように動作を拒否する。
つまり、時間切れ後ならば心臓と頭を狙われずともいともたやすく殺されるため、クロンは信頼できない人前での使用、そして確実に勝てる状態でなければこの力を解放することを躊躇ってきた。今この場で使ったのは、短い時間でありながらもラビの覚悟に触れ、自分への信頼を感じ、それに応じるようにラビを信頼したからに他ならない。
クロンは覚悟を決め、ラビとアイコンタクトをとるとともに
『グルルルルル……』
「ラビ! まずは相手の右前足を集中して狙って欲しい。僕はヒットアンドアウェイで敵の注意を引く。少なくとも隙を作らないと首への攻撃は許してくれそうにない」
「わかった」
ふたりは短くやりとりすると、クロンはラビよりも先に前へ出て
そのまま
クロンもまた想定していたのか、その場から消えるほどのスピードで距離を取り、再度正面から接近する。
(いけるか!?)
クロンはそのまま飛び上がり狼の眼前へと迫る。狙いは目。しかし
『ギャイン!』
思ったよりも効いたのか
『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
斬りつけたわけではなく剣先を差し込んだからだろうか、想定したよりも深く入り込み、血管や神経を断ち切る。その痛みからか、
(まずいっ!)
クロンは不安定な体制かつ宙で攻撃を放ったため小さくない隙が生じ、翻った狼の尾先ではたき落とされ地面を勢いよく転がる。
「クロン!」
「大丈夫!」
クロンはすぐさま立ち上がり、狼が無防備に晒している尻を全力で横殴りにした。
すると、先ほどの横回転で不安定となった重心と暴れまわり崩れたでこぼこの足場のおかげか、クロンの純粋な拳の威力か、はたまた複合的な要因か、ついに
右足へ向かって駆けていた体の方向を微調整し、首元へと潜り込み、可能な限りの全力で、2度目の斬撃を放つ。
「今ッ!!」
ガッイィ……イン
金属と金属を打ち付けあったような、無機質な音があたりへ響き渡る。その後、ピシィという音を立て、
「やったわ!」
「よし!」
ふたりは首元にテイムする時に使ったであろう
『アグ、グォ、グァ、ガアアアアアアアアアアアアアアア!』
「きゃあっ!」
「うわぁっ!」
ふたりは予測できない攻撃に対応しきれず、そのままかなりの距離を飛ばされ、地に伏す。幸いであったのは、ふたりが弾き飛ばされた方向が同じで、且つオリエストラ側だったことだ。ふたりは思考する。テイムの
それを破壊した場合テイムされた
「なん、で……」
先ほどの衝撃で吹き飛ばされた時であろうか、それまでは痛めるだけで済んでいたラビの左手首は最早動かすことが困難なほどに痛めつけられ、右手もかろうじて剣を握っていられる程度の握力しか残っていない。これ以上あの狼の懐へと飛び込む勇気は、今のラビには残っていなかった。
一方でクロンも目に見えて焦り、冷や汗をかき、どうすればいいものかと思案していた。【自己再生】と細胞崩壊により発生したエネルギーにより外傷こそ存在しないものの、タイムリミットは刻一刻と迫る。最早幾ばくもない時間の中、
「ラビ」
「ハァ……ハァ……なによ……」
ラビはもう限界に近い。クロンはそう感じ取ると、ある提案をする。
「駄目元で、オリエストラまで走るって言ったら、どうする? まだ足は動く?」
「はぁっ、はぁっ、ム、ムリ……! あの距離をアイツに追いつかれないように走るのは……ムリ……!」
クロンはその返答を聞き、天を仰ぎ見た。人の手が及ばない空へ思いを馳せながら、ここまでかと諦めようとしたとき、かすかに、苦しそうな声を聞いた。
『ウ…… ウグア……ハン、ケ……』
なんだ今の声は。クロンは空へ向けた顔を声の聞こえた方向へ回すと、
『ウ……ア……タリヌ……ハカイ……ハンブ、ン……』
なんだ。
「テイムに使う
クロンはラビと同じようにその
「……そうか! まだ
「……ってことは、まだ終わってないわけね」
「うん、終わってない。でもラビはもう、動けないよね」
「……やるわ。左手が使えないからって、攻撃手段がないわけじゃない。ここまできたら意地よ。絶対に全部破壊して、あいつを正気に戻してやるんだから」
ふたりは軽く笑い合うと、狼へと歩を進める。ふたりとも満身創痍ながら、それ以外に退路がないことは理解していた。
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