第9話 楔

 クロンの現在の細胞崩壊率は10パーセント前後といったところだ。また、それが今のクロンの限界値でもあった。しかも10分も活動したらこの状態が切れ、死を待つのみとなる。


 なぜそうなるのかはわからないが、細胞崩壊によるエネルギーの抽出とそれの副次効果である肉体のリミッター解除は強烈なデメリットを引き起こす。肉体が使用後数時間——その日のコンディションにもよるが——【自己再生】で再生しなくなる上、首から下が、肉体が、動かなくなった受付ロボットのように動作を拒否する。


 つまり、時間切れ後ならば心臓と頭を狙われずともいともたやすく殺されるため、クロンは信頼できない人前での使用、そして確実に勝てる状態でなければこの力を解放することを躊躇ってきた。今この場で使ったのは、短い時間でありながらもラビの覚悟に触れ、自分への信頼を感じ、それに応じるようにラビを信頼したからに他ならない。


 クロンは覚悟を決め、ラビとアイコンタクトをとるとともに獅子王狼キングレオウルフへ飛びかかる。通常時でさえラビと変わらぬ速度であったが、今のクロンはすべての能力が総合的に底上げされておりその速度はラビの全力をも凌駕する。


『グルルルルル……』


 獅子王狼キングレオウルフはどうやらこちらの意図を理解しているかのように、最後に攻撃された首元を気にしながら、攻撃されまいと庇うように動く。


「ラビ! まずは相手の右前足を集中して狙って欲しい。僕はヒットアンドアウェイで敵の注意を引く。少なくとも隙を作らないと首への攻撃は許してくれそうにない」


「わかった」


 ふたりは短くやりとりすると、クロンはラビよりも先に前へ出て獅子王狼キングレオウルフへ向け駆けてゆき、敵の的となる。


 そのまま獅子王狼キングレオウルフが左前足で放った大振りの横薙ぎを、飛び上がって中空で回転しながら避けると、横腹へと掌底を放つ。しかし獅子王狼キングレオウルフそれを想定していたのかそれを踏ん張ることで受けきり、そのままクロンを足払いで吹き飛ばそうとする。


 クロンもまた想定していたのか、その場から消えるほどのスピードで距離を取り、再度正面から接近する。獅子王狼キングレオウルフは先ほどクロンのいた位置に目を向けているため、今のクロンに気づいていない。ラビもまた、地を跳ね相手を翻弄しているため獅子王狼キングレオウルフは狙いを定めることができない。


(いけるか!?)


 クロンはそのまま飛び上がり狼の眼前へと迫る。狙いは目。しかし獅子王狼キングレオウルフもそれはさせまいと正面を向きクロンに噛みつこうと口を大きく開けようとする。そこをクロンは見逃さなかった。クロンは目からターゲットを変え、狼が口を開ける前に鼻先に2発突きを放つ。


『ギャイン!』


 思ったよりも効いたのか獅子王狼キングレオウルフは怯み、その隙をラビは見逃さない。無防備となった右前足の傷へ剣先をねじ込む。


『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 斬りつけたわけではなく剣先を差し込んだからだろうか、想定したよりも深く入り込み、血管や神経を断ち切る。その痛みからか、獅子王狼キングレオウルフは叫び声を上げ右前足をかばうためだろう横に180度回転する。


(まずいっ!)


 クロンは不安定な体制かつ宙で攻撃を放ったため小さくない隙が生じ、翻った狼の尾先ではたき落とされ地面を勢いよく転がる。


「クロン!」


「大丈夫!」


 クロンはすぐさま立ち上がり、狼が無防備に晒している尻を全力で横殴りにした。


 すると、先ほどの横回転で不安定となった重心と暴れまわり崩れたでこぼこの足場のおかげか、クロンの純粋な拳の威力か、はたまた複合的な要因か、ついに獅子王狼キングレオウルフの四肢を地面から引き剥がすことに成功する。短い時間ではあったが宙に浮き無防備になった状態を、ラビは見逃さなかった。


 右足へ向かって駆けていた体の方向を微調整し、首元へと潜り込み、可能な限りの全力で、2度目の斬撃を放つ。


「今ッ!!」


 ガッイィ……イン


 金属と金属を打ち付けあったような、無機質な音があたりへ響き渡る。その後、ピシィという音を立て、獅子王狼キングレオウルフの首元から金属のかけらのようなものが滑り出てくる。


「やったわ!」


「よし!」


 ふたりは首元にテイムする時に使ったであろうくさびがあったことに内心安堵し、しかしここからが正念場かと再度気を引き締め距離を取ろうとするも、


『アグ、グォ、グァ、ガアアアアアアアアアアアアアアア!』


 獅子王狼キングレオウルフががむしゃらに大暴れを始めたことでその動きの対応しきれず、クロンもラビも吹き飛ばされる。


「きゃあっ!」


「うわぁっ!」


 ふたりは予測できない攻撃に対応しきれず、そのままかなりの距離を飛ばされ、地に伏す。幸いであったのは、ふたりが弾き飛ばされた方向が同じで、且つオリエストラ側だったことだ。ふたりは思考する。テイムのくさびは完全に破壊したはずだ。強制的にテイムされたビーストくさびだ。


 それを破壊した場合テイムされたビーストの思考はテイムされている状態と打って変わってクリアになり、意思の疎通が可能となるはずだった。ふたりはそこに賭け、その賭けに勝ったはずであった。しかし、どういうことか。正面に構える狼の相貌は凶悪さを増し、今にもふたりを食い殺さんと食い入るように凝視する。


「なん、で……」


 先ほどの衝撃で吹き飛ばされた時であろうか、それまでは痛めるだけで済んでいたラビの左手首は最早動かすことが困難なほどに痛めつけられ、右手もかろうじて剣を握っていられる程度の握力しか残っていない。これ以上あの狼の懐へと飛び込む勇気は、今のラビには残っていなかった。


 一方でクロンも目に見えて焦り、冷や汗をかき、どうすればいいものかと思案していた。【自己再生】と細胞崩壊により発生したエネルギーにより外傷こそ存在しないものの、タイムリミットは刻一刻と迫る。最早幾ばくもない時間の中、くさびを壊した以上次に打つ手が存在しない。なす術がなかった。


「ラビ」


「ハァ……ハァ……なによ……」


 ラビはもう限界に近い。クロンはそう感じ取ると、ある提案をする。


「駄目元で、オリエストラまで走るって言ったら、どうする? まだ足は動く?」


「はぁっ、はぁっ、ム、ムリ……! あの距離をアイツに追いつかれないように走るのは……ムリ……!」


 クロンはその返答を聞き、天を仰ぎ見た。人の手が及ばない空へ思いを馳せながら、ここまでかと諦めようとしたとき、かすかに、苦しそうな声を聞いた。


『ウ…… ウグア……ハン、ケ……』


 なんだ今の声は。クロンは空へ向けた顔を声の聞こえた方向へ回すと、獅子王狼キングレオウルフが凶悪な顔を宙に浮かべながらも、しかしなにか見えない力に抵抗するかように首を振り唸っていた。


『ウ……ア……タリヌ……ハカイ……ハンブ、ン……』


 なんだ。くさびは破壊した。ならば今こちらを見据える獅子王狼キングレオウルフは正常なはず。なぜそんな苦しむように喋る。ハンブン? 半分……いったいなにが……。そうクロンが考えた時、破壊したくさびへ一足先に視線を送っていたラビが、いきなりなにかに気づいたかのように声を張り上げる。


「テイムに使うくさびって普通円柱型よね!? 見て! 私たちが壊したくさび、ヘンな形してない!?」


 クロンはラビと同じようにそのくさびへと視線を送った。そこに転がっているくさびは明らかに完全な形ではなかった。いわば、くさびの半分……。半分、ハンブン?


「……そうか! まだくさびが半分残ったままなんだ! だからあの狼は正常に戻れない!」


「……ってことは、まだ終わってないわけね」


「うん、終わってない。でもラビはもう、動けないよね」


「……やるわ。左手が使えないからって、攻撃手段がないわけじゃない。ここまできたら意地よ。絶対に全部破壊して、あいつを正気に戻してやるんだから」


 ふたりは軽く笑い合うと、狼へと歩を進める。ふたりとも満身創痍ながら、それ以外に退路がないことは理解していた。

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