第8話 クロンの覚悟

「ごめん。戻ってきちゃった」


 クロンは少しはにかむと、ラビを助け出す際に勢いがありすぎたのだろう、崩れた体制の体を起こす。片膝を地面へ接地させつつも獅子王狼キングレオウルフへも注意を向け警戒を怠らない。そんな彼を見てラビは安堵感や多幸感を感じつつも、クロンの腕の中から抜け出て頑なな態度をとる。


「なんで戻ってきたの! 助けてもらったことはお礼を言うけど、こんなの共倒れじゃない……」


 クロンはそんなラビを見て、少しだけ悲しそうな顔をする。



「なんて言ったらいいのかな、ラビを、失いたくなかったんだ。それにさっき背中が裂かれた時、ラビじゃ助からない、そう感じたんだ。たまたま心臓には届かなかったけど、あそこまで肉が抉れたのは本当に初めてだった。すっごく痛くて。ラビにそんな痛みを感じて欲しくなかったし、自分なら抉れるだけであー痛かったで済んでもラビじゃそうはいかない。その、とにかく死んで欲しくなかった、それだけじゃだめかな?」


「バカ、クロンはバカだよ……。そんなの怒れないじゃない……。だからって、ここからどうするのよ……。ひとりがふたりに増えたところでどうしようもない。私の斬撃でも薄皮1枚2枚切る程度。クロンじゃあの硬い外皮に邪魔されて攻撃が通らない……」


「だから、時間稼ぎを僕にやらせて欲しいんだ。大丈夫、ちゃんと致命傷は避けるから。だからラビがオリエストラへ戻って助けを呼んできて欲しい。どれだけズタボロになっても、僕の方が最終的に生きている確率は高いと思う」


「そんなのダメ! ダメなの!」


「なんでさ! ラビだってバカじゃないんだからそれくらいわかるだろ!?」


 ふたりの言い争いはヒートアップしてゆくが、獅子王狼キングレオウルフへの警戒は解かない。だがそれは杞憂で獅子王狼キングレオウルフは少し苦しそうに唸り声を上げるだけに留まり、行動を起こさずこちらを睨んでいる。何度も自身の攻撃を躱され、獅子王狼キングレオウルフもふたりをかなり警戒しているようだ。


「さっき一緒に英雄平原へ向ってた時、あんたが話してくれたこと……覚えてる?」


「えっ?」


「好きなことは読書、それで、嫌いなことは痛いこと……。嫌なんでしょ? 痛いの。ならっ……クロンひとり残してなんて行けないわよ……」


 ラビは絞り出すようにクロンへ思いをぶつける。クロンはぽかんとし、しかし語気を強めラビへと言い放つ。


「でも、それくらいでなんで! 昨日までほとんど他人だったのに!」


「嬉しかったの!」


 ラビは続ける。


「いままで、私と同じ夢を持ってる人がいなかったの……。もちろんお父さんとかの世代は別よ? でも、私と同じくらいの歳でそんな人なんていなくて。皆、お金お金お金って。お金じゃ知ることができないことを知ることができるのがこの職業のいいところなのに。皆お金って。だから嬉しかった。嬉しかったのよ。うちのパパの前で、あんな大見得切って。ふふっ、呪い持ちなのにね。できることなんてそんなないのに。できることだって私が今奪っちゃってるし、でもごめんね。これが私の信念なの。それに監督官でもある。だから、最後まで意地を通すって決めたの。ワガママでごめんね? ワガママな女の子って、嫌い?」


 クロンはラビの独白に黙って耳を傾ける。相変わらず獅子王狼キングレオウルフは警戒し近づいてこない。まるで辺り一帯は静かな凪の中だ。自然の風が肌を、草を、そして獅子王狼キングレオウルフの外皮を撫でる。


「……わがままなだけの女の子は嫌いだな。でも、そういう類のわがままは、好きだよ。だから、僕も一つ、わがままを言ってもいいかな。ラビの覚悟は見せてもらった。自分の命を捨ててまで、僕を逃がしてくれた。僕も嬉しかったんだ。だから、今度は僕が覚悟を見せる番」


 クロンは沈ませていた体を起こし、ゆっくりと、しかし力強く立ち上がり、一歩、一歩踏み出した。長く伸びた影が彼の後を追い、ついてゆく。


「なに、なにを……、ダメ! 囮になろうなんて考えちゃダメ! あれは冗談だから……! だから、行かないで、お願いよ……」


「ラビ、一つ約束して欲しいんだ。今から見るものは他の人には秘密にして欲しいんだ。してくれるね?」


「なに、を……」

 

 クロンの周囲の空気が揺れる。クロンの力は【自己再生】のはずだ。自己再生は肉体を再生するにとどまり、外部への影響は何もない。それなのに、クロンを中心になにか表現のできない圧のようなものが発生し、外部へと放出され、広がってゆく。


「——これが、僕で、これが、僕が、外に出る理由なんだ」


 空気が変化する。風もなく静かだったはずの草原が、クロンを中心に発生した圧力に影響され荒れ狂う。


 ラビはクロンの変化に理解が及ばない。暗い色だったクロンの髪は彼女よりも明るい、白に近いオレンジへと変化し。


 クロンの腕が、足が、ひび割れていく。まるで指の先から発生した一筋の雷が、クロンの腕や足を伝播し這い上がっていくように。


「武器も、籠手も、必要ないって言ったよね。それは、この状態になった時邪魔だから」


 ひび割れが広がってゆく。ラビは息を飲む。【自己再生】は体の傷を治し再生させるだけの能力なはず。あのような状態になれることは得てして聞いたことがない。亀裂は明滅し、その奥からはオレンジ色の光が漏れ出し、髪と共に太陽のように輝き出す。


「これはきっと僕だけにしかできない。皆、僕は肉体超過になってないからおかしいって言うけど、それは間違いなんだ。ずっと細胞はゆるやかに分裂して再生し続けている」


 獅子王狼キングレオウルフでさえも、その圧力に圧倒されその場に固まっている。


「僕はなぜか自分の体の形から逸脱しない。でも、体の中は違う。その器が許容できる範囲を超えると、超過せず崩壊し始める。そしてその細胞が崩壊する時、なんらかのエネルギーが発生している。ある時思ったんだ。その時に発生するはずのエネルギーはどこへいくんだろうって。その答えを見つけるのに何年もかけた。エネルギーは周囲の細胞がゆっくりと吸収していた。今のこの状態はその崩壊を意図的に引き起こしてる。崩壊した細胞のエネルギーを周囲の細胞で吸収し、そのエネルギーを軸に身体能力を大幅にブーストさせる」


 突如、クロンの体がそれまでにいた場所から消える。それと同時に獅子王狼キングレオウルフの左腹部から硬い皮同士を打ち付けたような轟音が響き渡り、獅子王狼キングレオウルフが目に見えてよろめく。クロンは気づけばラビの横へと戻ってきている。そこそこ効いたのだろうか、なんとか倒れ込まず体制を立て直すと獅子王狼キングレオウルフはクロンへの警戒度を引き上げさらなる距離を取り、いつでも飛びかかれるぞと言わんばかりの体制でふたりを睨みつける。


「やっぱりまだカテゴリー4は無理か。ラビ、逃げて。時間を稼ぐから、その間にオリエストラへ走って」


「嫌! そんな状態、長くは持たないんでしょ!? 持つなら秘密にしてなんて頼まないし、最初から使ってる!」


「あはは、よく気づいたね。そうだよ。細胞崩壊率で時間制限もあるし、その後のデメリットも変わってくる」


「それならもっと、クロンを置いて帰れないわよ……」


「でも、」


 クロンはラビに生きて欲しいと思った。隠していた力を使えばカテゴリー4へ追いすがることができるかもしれないと甘い考えでこの力を使ったことを後悔しつつも、ラビが助かればいいとさえ思うほど、すでに彼女を信頼しきっていた。


 クロンはラビが自分の言うことを受け入れオリエストラへ逃げ戻ることを期待したが、ラビはそんなクロンの願いから背き、クロンへと向きなおる。


「イ・ヤ! 私、わがままなの。逃さないわよ。ふたりで戦えば、なにか見いだせるかも」


 クロンは呆れた。とんだワガママ娘だと。しかし、ここはこの案を飲んでもらわなければならない。でなければ、クロンは今の状態になった意味がない。


「じゃあ、なにかあるの?」


 ラビは目に見えてまごつくも、打開策を土壇場で思いついたのか、クロンへと捲し立てる。


「ウッ、えっと、その……。そうだ! アイツ、さっきのゼータってやつが言ってたわよね! 試運転がどうとかって! ってことは操ってるってことじゃないの!? どこかに操るために使用してる媒介があるはず。テイム系の祝福ギフトは首輪とか使うからきっと。それを壊せばもしかしたら!」


 クロンはハッとした。倒すか、逃げるか。その二択の袋小路へ追い込まれ、テイムされているビーストだということを失念していた。


「そうか、壊せばいいんだ。カテゴリー4以上のビーストは言葉での意思疎通ができる種も多い。喋れなくてもこちらの意図や言葉を理解できるらしいから、やってみる価値はある」


「そう、カテゴリー4以上は遭遇してもすぐ戦闘になることは少ない。うまくやれば見逃してもらえる人間だっているし、人間と交友関係を築いている種もいるわ。今この場を切り抜けるには、それしかない」


「そうか。それならふたりでその道具にのみ重点的に攻撃を加えれば、もしかしたら。でも、あの狼にそんな道具見当たらないよ。体内に埋め込まれてたりでもしたら、さすがにお手上げだよ。どうすることもできない」


 ラビは、クロンの言うことはもっともとだと思う。どうすればいい……。どうすればいいのか、ラビは必死に思考する。


(どうするのよ、どうする。テイマーが使う道具は頑丈なものが多い、じゃないとビーストの動きに道具側が耐えられず支配から抜け出てしまう。友好的な関係を築いたテイムじゃないならそれだけで致命的よ。だから昔からテイマーの道具は頑丈に作られ…...頑丈?)


 一筋の光明が見えた気がした。なにかが引っかかる、しかしなにがラビを引っかからせているのかまでは出てこない。戦闘中なため短い時間ではあったが、唸りながら思考を巡らすと、ラビははたとひとつの可能性に気づく。


「……そうだ!! さっき首元に全力の一撃を入れた時、一切攻撃が入らず弾かれたわ。いくらカテゴリー4でも硬すぎると思ったの。きっと首元に、首輪かくさびのようなものがあるはず!」


 ラビは仮説ではあるが、最適解へとたどり着いた。クロンは満足そうに獅子王狼キングレオウルフを見据えると、ラビへと問いかけた。


「じゃあ、反撃開始だね」


「ええ、やるわよ!」

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