第7話 ラビの覚悟

「紹介するね、獅子王狼キングレオウルフのウルフちゃん! すっごい強いから頑張ってね! じゃあボクは平原にいる他の人間探してくるから。まるっきりいないわけじゃないみたいだしー、任務はこなさないとね。捨てられないように頑張らなくちゃ!」


 そう発するとゼータはその場から消え去ってしまう。なんらかの移動手段であろうが見当がつかない。テイム関係の祝福ギフトを持っているのだとしたらそれを含めふたつ祝福ギフトを持っているのはおかしい、とふたりは考えを巡らすも、今はそれどころではないと余計な思考を切り替え正面の獅子王狼キングレオウルフへと全神経を集中させる。


 獅子王狼キングレオウルフ、カテゴリー4。カテゴリー5の獅子帝王狼エンペラーレオウルフほどではないが今のふたりではどうあがいても勝ち目がないことは明白だ。逃げる以外の選択肢がないものの、その選択肢を取れば一瞬で距離を詰められ背中から狩られる。それがわかるからこそ、視線をその巨体から外すことができない。


「クロン」


 ラビは脂汗を浮かべながらクロンへ指示を出す。


「今すぐ、全速力でオリエストラへ走ってパパに報告して。パパはもしかしたらどこかを適当に散歩してるかもしれないから、最低でも受付をしてるはずのフロウは連れてきて」


 彼女は囮になる気だ。クロンはそう判断する。だからこそ、クロンはラビの提案を拒否する。


「それなら僕が囮になる! やばい時は僕を囮にするって言ってたし、それに滅多なことじゃ死なない。うってつけだよ」


「それはダメ!」


 ラビが間髪入れずにクロンの提案を拒否する。なぜだろう。【自己再生】持ちの自分を残す方が明らかに合理的だ。もちろん不死身ではないが、頭と心臓への攻撃を避ける鍛錬はこれまでも血反吐を吐くほどしてきたし、時間を稼ぐならばうってつけだ。そうクロンは考えていると、ラビが続ける。


「私は、あんたの監督を任されてる。こんなところであんたを見捨てて逃げ帰るなんて、ライセンスを持ってる身として、許されることじゃない。……それに、私はもしかしたら死に場所を探してるのかも。お母様は、生きろって言ってくれたけど。あはは、ずっと逃げて受付やってたのにね」


「......そうか、わかったよ」


 後半の部分は、よくわからなかった。しかしクロンは彼女の言葉に覚悟を見た。内心不服ではあった。短い時間ではあったが一緒に過ごし、彼女の人となりをある程度は理解することはできたと、クロンは思っている。彼女は少し勝気で当たりが強いが、それもかわいく思えるようにはなっていた。そんな彼女をひとりこの場に残すことを選択することはまた覚悟が必要だったが、それが一番彼女を生存させる確率が高いと判断し、クロンは踵を返し走り出す。


「必ず連れてくる! それまで生き残」


 ゾン!


 最後までその言葉が紡がれることはなかった。獅子王狼キングレオウルフが右腕を持ち上げ、クロンに重なるように振り下ろすとクロンの背が縦に切り裂かれ、血を撒き散らしながら独楽のように回転し勢いよく吹き飛ぶ。


「クロン!」

 

 ラビは今自分が見たものを信じられずにいた。獅子王狼キングレオウルフの動作は緩慢だった。ゆっくりと右腕を上げ、ゆっくりとその右腕を下ろした。ただそれだけであったが故、攻撃であると認識できなかったのだ。


 爪から放たれた斬撃は高速で飛び、すでに遠くにいたクロンへさえも届く。その事実に対し苦虫を噛み潰した顔になると、歪んだ顔を獅子王狼キングレオウルフへと向け直す。視線を外せば自分もクロンのようになる。一瞬でも多く時間を稼ぐためにも狼の注意は自分へと引き付けなくてはならない。


 英雄平原は出現するビーストの強さから活動している冒険者がもともと少なく、しかも冒険者になりたてのルーキーや冒険者にはなったものの強くなれずなんとかカテゴリー1や2を倒して生活している『死体拾い』が多い。もしゼータが次に人を見つけた場合、その人たちもまたこの狼の餌にされるだろう。


 それを防ぐために時間を稼ぐ。ダメージは与えなくてもいい。時間を稼ぐことだけを考えろ。クロンは背を狩られ吹き飛んだが、【自己再生】があるからいずれ復活する。そのことを獅子王狼キングレオウルフは知らない。悟られてはならない。ラビは腹を括り、地を蹴り獅子王狼キングレオウルフへと正面から接近する。


(狙うは右前足! 倒すことは不可能でも、せめて機動力は奪う!)


 地を蹴ると同時にラビは祝福ギフトを発動する。【加速加力パワフル・アクセル】、それが彼女の祝福ギフトだ。


 ラビは自分のこの力が嫌いだった。祝福ギフトは遺伝する確率が高く、特に両親のものを足し合わせたような能力になることが多い。そして、親世代よりも強力なものになる確率もまた高かった。


 しかしラビのそれは、父の祝福ギフトよりも力が弱く、母の祝福ギフトよりもスピードが遅かった。祝福ギフトをうまく成長させることができたとしても両親の全力の半分程度、良くて8割程度の力と速度しか出ない、ラビはそう理解していた。


 合わせたとて強くなれない祝福ギフトもある。彼女は自分のことを、どうあがいてもふたりを超えることはできない失敗作だと卑下していた。しかし、そんな力が今はとてもありがたいと、彼女は思う。


(時間稼ぎにしか使えない祝福ギフトか、皮肉なものね。でも、今ならばこれ以上ない)


 ラビは想定通り獅子王狼キングレオウルフの右前足を斬りつける。攻撃は通るもやはり外皮が思ったよりも硬く傷は浅い。しかし何度も同じ場所を攻撃されるのはつらいものがあるのだろう。


 獅子王狼キングレオウルフは避ける動作はしないまでも右前足を攻撃ターゲットから外そうと——切りつけた部分に痛みを感じているからだろうか——先ほどよりもさらに遅い速度でのそりと振り上げる。


 どうにも先ほどから獅子王狼キングレオウルフの動作が重い。おそらくテイムされている状態の副作用だろうとあたりをつける。


(これならいけるかも! 倒せはしなくても時間は稼げ、ッ!)


 ゆっくりとあげた腕を、想定していた速度を超えて振り下ろす獅子王狼キングレオウルフ。ラビは辛うじて剣を爪とほぼ水平に構え剣の腹にすべらせるように受けることでその攻撃を逸らすも、副次的な衝撃で吹き飛んでしまう。


「ック、嘘。ただ腕を振り下ろしただけで、この威力……?」


 ラビは揺れる視界を正常へ戻し獅子王狼キングレオウルフへと向き直る。


『グルルルル……』


 獅子王狼キングレオウルフは唸り声を上げるもそれ以上近づいてこない。警戒しているようだ。


(最初右足を斬りつけたことが効いたわね。全然ダメージは与えられてないけど斬れはした。痛みに慣れてない? 近づかれることに警戒している。でも、私の方もヤバイわね……)


 膠着状態が続く。ラビは気丈に振る舞い、いつでも二撃目を放てるぞと右手の剣で狼を牽制するも、先ほどの一撃で身体中に無数の小さい傷を作っており、攻撃を逸らした時に変な方向へ力が加わったのだろう、左手首の筋がズキズキと痛みだす。


(まずい。アレが攻めてきたらそう何発も耐えられない。ただすばしっこくて、ただちょっと怪力なだけじゃあの攻撃をいなしきれないっ!)


 ......残念ながら膠着状態はそう長くは続かない。


『グオオオオオオオオオオオオ!』


 獅子王狼キングレオウルフがふいに大きく口を開けると、そこに火の球が生成され、ラビ目掛け射出された。


(マズっ、ブレス!)


 ラビは祝福ギフトを使い自身の速度を上げるとウサギのように跳ね回る。しかし、獅子王狼キングレオウルフはその動きに追いすがるように連続して火球を吐き出し続ける。ふたりが戦っている一帯はその平均気温を上昇させ、着弾した部分とその周囲の草を燃やし尽くす。


 戦闘は力比べから、獅子王狼キングレオウルフの一方的な蹂躙へと様相を変える。ラビの体力が尽きるのが先か、獅子王狼キングレオウルフのエネルギーが尽きるのが先か。残念ながらラビは自身の体力が先に尽きることがわかっていた。どうにかしなければならないと、打開策を探る。


(この火球の嵐をいつまでも避け続けることはできない! どうにかしないと…‥)


『グオオオオォォォォォオオオオオアアァァァアアア!』


 その時だった。一向に自身の火球が当たらないことに業を煮やした獅子王狼キングレオウルフは、苛立ちからか火球の即時生成を一旦辞め、エネルギーを溜め始める。


(これは、大きいのがくるわ。ヤバイかも……)


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 唐突に獅子王狼キングレオウルフが上空へと顔を上げ、先ほどまでの火球が子供の遊びであったかと錯覚させるほどに巨大な火球を生成する。それをラビへ向けて放つと、勝ったとばかりに口角を上げ嫌らしく嗤った。しかし、ラビは諦めていなかった。


(覚悟決めるわよ! 今ッ!)


 獅子王狼キングレオウルフは狼狽する。正面で構えていたはずの敵が、自身が放った巨大火球に向かって突っ込んできたのだ。自殺行為だ。獅子王狼キングレオウルフは避けられた場合のプランも考えていた。左右に避けるしかないほどに巨大な火球だ。ならば避けられる場所を想定して両前足を跳ね上げ、それを振り下ろして飛爪を放てば良い。しかしラビの行動は獅子王狼キングレオウルフの想定を超える。


「うああああああああああああああああああっ!」


 ラビは出せる全速力で火球へ突っ込むように疾走する。そして火球がラビに着弾し爆発するかと思えたその時、その速度のまま足を前方へ投げ出し、さながらスライディングの要領で体を火球と地面の間へ割り込ませる。火球はラビの上を通り抜け後方へと着弾。そしてラビは火球が爆発した時に発生する強烈な爆風を追い風にしてさらに速度を上げ、そのまま獅子王狼キングレオウルフへと肉薄する。


 【加速加力パワフル・アクセル】、ラビの祝福が彼女の肉体そのものを一般人よりも頑丈にするために取れた捨て身の特攻である。軽く火傷はしたが、それ以上のダメージはない。そのままラビは自分の体を獅子王狼キングレオウルフの首の下へとねじ込むと、上、獅子王狼キングレオウルフの首へ向け鋭い一撃を放った。


「これが、私の、全力ッ!!」


 今まで放った中で最高の斬撃だった。しかし。


 ガインッ


「……うそ」


 今まで戦ってきたビーストからは聞いたこともない、生物を斬る時には聞いたことのない音だ。それが首元から響き渡る。


 ラビは今の一撃に自身の力のすべてを乗せたつもりだった。右前足は斬れた。いくらたてがみが厚くても、それを超え血管に傷をつけることはできるはず。そう試算しての一か八かの攻撃だったのだ。最低でも獅子王狼キングレオウルフは怯むだろう。そう考えての一撃だった。


 それがどうだ、傷すらもついていない。斬った時の感触もまるで金属をハンマーで殴った時のように硬い。カテゴリー4にもなるとここまで硬いのか。ラビは失敗を感じ取ると同時に、体制の崩れた自分は格好の的となっていると、この後の自分の運命を悟る。


(あぁ……私もここまでか……)


『グォォアアァアアアアアァァアアアアアアアッ!』


 なぜかさっきまでよりも激憤している獅子王狼キングレオウルフは、ラビへとその凶悪な相貌を向ける。ラビは、そのまま宙に浮いたまま、獅子王狼キングレオウルフの双眸に捕らえられる。


 獅子王狼キングレオウルフは、無防備なラビへとトドメを刺そうと、クロンの時のように右前足を振り上げ、そのまま勢いをつけラビ目掛けて振り抜く。


(死にたく、ないなぁ……)


 ラビは、涙を浮かべながら思う。死は、冒険者になった時点で覚悟したはずだった。冒険者は皆そうだと聞いている。でも死ぬ時はこうなんだと、涙が溜まり視界がぼやける。


 そのぼやけた視界の向こうで、獅子王狼キングレオウルフの爪が迫るのを感じる。目を閉じる。浮遊感を感じたと同時に衝撃。


 ——しかし、裂かれるような痛みをラビは感じなかった。代わりに、かすかに感じる抱きとめられるような温もり。恐る恐る目を開けると、自分をはにかみながら見下ろすクロンと目があった。


「ごめん、戻ってきちゃった」


 クロンは、ばつが悪そうに、なにか申し訳なさそうにしながらも、少しだけ笑っていた。

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