第320話 どうぞわたくしの胸の中へ

 魔境の山脈は、幾つもの山々が連なった一帯なのだけれど、その中心を横断するように、ひと際巨大な尾根が走っている。


 その標高は恐らく三千メートルを軽く超えている。

 もう夏だというのに雪が積もっているし、たぶん一年中、溶けることはないだろう。


 壁のように聳え立つ尾根を越えるため、どんどん公園の高度を上げていく。


「さすがにこの高さだと寒いわね」


 白い息を吐きながら、二の腕をさするセレン。


「ルーク様、もし寒ければ、どうぞわたくしの胸の中へ」

「ええと、それは遠慮しておくよ、ミリア。そもそもこの身体、影武者だし」


 影武者には痛覚がない。

 もちろん、熱さや寒さもまったく感じないので、仮に氷の中に埋もれたとしても平気である。


 やがて中心部の尾根を超えると、再び高度を落としていった。

 山脈の向こう側に広がる大地が見えてくる。


 懐かしいふるさとを見下ろしながら、ガイさんが手を合わせた。


「船で港を発ったとき、もう二度と、帰ることはないと思っていたが……まさか、再び故郷の地を踏むことになろうとは……これもまた、仏の導きか……」


 カッコよく言ってるけど、故郷から旅立った理由は性欲だよね?







 最初に僕たちが向かったのは、サムライの国として知られるエドウだった。

 アカネさんの故郷でもあるこの国は、サムライと呼ばれる人々が支配者階級を形成しているという。


 サムライというのは、兵士とか騎士、あるいは軍人に近い存在だ。

 つまりエドウは、軍によって統治される軍事政権のようなものらしい。


 そのため正確にはエドウ国ではなく、エドウ幕府と呼ぶのだという。

 統治者も国王ではなく、将軍と呼ばれているそうだ。


 うーん、何となく、どこかで聞いたことあるようなないような……?


「好戦的な印象を受けるかもしれぬが、現在は至って平和的な国である」

「本当ですか? よく切腹するって聞きますけど……」

「切腹は古い文化である。ゆえに最近はあまり聞かぬな」


 どうやらアカネさんが特殊らしい。


「なんかさっきから、あちこち緑色の絨毯みたいなのが広がってるわね?」

「あれは田んぼである」

「田んぼ?」


 聞き慣れない言葉に、セレンが首を傾げる。


「この辺りの主食、米を育てているのだ。西側ではライスと呼ぶが」

「へえ、ライスって、こんなふうに育てているのね」


 一応、村にもお米は商人たちを通じて入ってくる。

 ただ西側の国々ではあまり一般的な食材ではないようで、それほど量は多くない。


 もし安定してお米を輸入できるようになれば、もっと色んな料理が作れるようになるだろう。


 やがてエドウの中心都市が近づいてきた。

 さすがにこの空飛ぶ公園を街中に着陸させるわけにはいかないので、公園は空に浮かべたままにして、瞬間移動で街中に飛ぶことに。


「ここがエドウ……」

「不思議な雰囲気の家が並んでいますね」


 ミリアが言う通り、僕らの国ではあまり見かけない木造の家屋だった。

 でも、なぜだか懐かしさを覚えるのは、前世の記憶のせいかもしれない。


 もしかしたら僕の前世は、こんな感じの国だったのかも。


「あの屋根の上に乗ってるのは何かしら?」


 ハゼナさんが聞くと、ガイさんが答える。


「あれは瓦であるな。粘土を焼いて固めたもので、長い年月、雨漏りから家を護ってくれる。火事の時にもらい火を防ぐ効果もある」

「へえ、じゃああの端っこに乗ってるお面みたいなのは?」

「厄除け用の装飾であるな。鬼瓦と呼ばれている」


 と、そのときだった。


「怪しい奴らでござる! 成敗してくれよう!」


 そんな怒号が聞こえてきて振り返ると、そこには剣、いや、刀を構えた青年がいた。


「あ、いや、僕たちは決して怪しい者なんかじゃなくて……」

「嘘を吐くな! 拙者はこの目で見たでござる! 貴様らが不思議な妖術を使い、忽然と姿を現したのを!」


 どうやら瞬間移動で現れるところを見られてしまっていたらしい。

 人がいない場所を選んだつもりだったんだけど……。

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