第44話 進んだ先にあるのは

「お前が今まで死を選ばなかったのも、自分の死が新たな犠牲を作るからだ。そこまで犠牲を厭うお前が、これから生きていくのに必要な犠牲を甘受できるのか?」

 相沢はそこで俯いた。

 言われていることは、嫌なぐらいに解る。しかし、今までもきっと自分にとって都合のいいことを選んでいたはずだ。美咲の死の真実を知ったときに、その心に本当は気づいていた。何となく感じていた、殺すことへの違和感への答えは見つかった。誰かを殺すこともまた、自分が生き残るための犠牲なのだ。まるで潔癖症のように言われているが、自分を美化するつもりはない。

 相沢は意を決して顔を上げた。その目にはもう哀しみはない。

「僕も所詮ただの人間です。自分のために生きている。もう、言い訳するつもりはありません」

 その言葉は、凛とした冷涼な声となって響いた。

 男は無表情なまま拳銃をジャケットから取り出した。銃口は米田に向いている。それは相沢の心を変えさせる、最後の手段だ。目の前で誰かが平然と殺される現実。それを目の当たりにしてなお言い張れるか。

「させるか」

 せっかくの決意を揺るがせない。前川は叫びながら走った。前川の動きに合わせて相沢も動く。

「くっ」

 さすがに二人の動きを同時に封じれない。男の判断に迷いが生じた。

 相沢がその隙に男に体当たりした。前川は咄嗟に米田に覆いかぶさる。

 パンッと、銃声が一発鳴った。

「相沢!」

 自分たちが無事な事を確認し、前川は叫んだ。

「大丈夫です」

 しっかりした相沢の声が返ってきた。

 銃弾は相沢の頬を掠めただけだった。相沢はちゃっかり男を取り押さえていた。

 前川はほっと息を吐くと、米田の猿轡を取った。

「前川、俺はお前に頼むと言ったはずだが」

 開口一番に毒づく米田に、前川は曖昧な表情を浮かべた。予想以上にタフだ。ぼろぼろになってもまだ、そんなことが言えるなんて。

 相沢は持っていた手錠で男を後ろ手で拘束した。

「お前は私を生かしたままにしておくつもりか」

 男の忌々しげな問いに、相沢は笑顔で返した。

「追いたければ追ってください。僕はもう、自分の為に誰かを殺すことはありません」

 自分の為と、相沢ははっきり口にした。しかし、その声は晴れ晴れとしていた。

 どんなに選択の余地がなかったとしても、やはり殺すという答えは間違っている。それしか生き残る余地がなかったとしても、誰かを犠牲にして選び取った未来だったことに変わりはない。これから普通に生きていくというのならば、まずそこを理解すべきだったのだ。

 椅子から解放された米田と前川は、相沢の傍に歩み寄った。

「相沢」

「はい」

 米田の呼びかけに、相沢が応えた。ここに来たことは間違っている。それは痛いほど理解していた。だから怒られるのも仕方がないと俯く。

「これから警察官としてのいろはを叩き込んでやるから、覚悟しておけ」

 しかし、予想外の言葉に相沢は顔を上げるときょとんとしてしまう。だが、米田の表情は一切変わらなかった。

「前川。しっかり見張っておけよ」

「了解です」

 不器用な二人に苦笑していた前川は、ぶっきらぼうな刑事部長の言葉に頷いた。米田は呆然とする相沢を残し、ふらふらとした足取りながらもさっさと部屋を出て行ってしまう。

「米田さん」

 もっと他に言うべきことがあったのでは。戸惑う相沢の肩を前川は叩いた。そして互いの何ともいえない顔を見合い、二人揃って吹き出していた。

「駄目だ。なんだろう、この状況」

「ですね」

 この先、どんな苦難があっても大丈夫だ。

 素直に笑う相沢を見て、前川は確信した。




 本当に、このまま殺し屋に戻らずに済むのだろうか。

 前川の家で傷の療養をすることになった相沢健一は不安な日々を過ごしていた。

 誰からも制限されない日常も、慣れずに不安を煽る。

 いつか、あの本物の殺人人形がが追ってくるのではないか。

 依頼人たちが完全に諦めることもないはずだ。

 もしその時が来たら、自分はちゃんと向き合えるだろうか。

 あの時のように、強い意思があるだろうか。

 布団に横たわりながら、答えのない自問を繰り返していた。

 前川はその不安に気づいているが、何も言ってこなかった。

「おい、飯にするぞ」

 ぼんやりしている相沢の掛けられる言葉は、いつも日常的なものだった。

 普通に誰かと生活したことのない相沢には、新しい刺激だった。それが、少しずつ冷静になるきっかけとなった。もうあの日々はないのだと、自覚させるには十分すぎるほどにのんびりとした日々が続いていく。

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