第43話 人形という枷

「法務省にアクセスした時に、あなたのことも調べました」

「全く。困った時代になったものだ」

 男は苦笑する。

「ずっと疑問でした。あなたの言葉は、どう考えても実体験に基づいているように思えたので」

「なるほど」

 相沢は男を真っ直ぐ見つめる。

「あなたも殺人人形だった。いや、今なおそうなんですね。米田を使って自分の存在を上手く隠していましたが、あなたが教えたことはどれも、普通に生きている人間には無理な感覚です」

 その言葉に、前川は改めて男を見た。なんと、この男は相沢にとって先輩にあたるということだ。そして、普通の感覚を持たなければ生き抜けないと教えた男。そんな彼もまた、普通の感覚を持ちつつ人形として生き続けている。

「認めよう。私も殺人人形だ。一時はプロを雇い、どうなるか確認したのも私、そして、人形を改めて作るべきだと進言したのもね。随分と前に第一線を退いていたが、昨今は何かと面倒ごとが多い。それであれこれ手を貸すことになったんだ。私の居場所は権力者の影にしかない。求められれば、自分と同じ存在を作り出すことも厭わないさ」

 男は声を立てずに笑った。そこに、自嘲の色は全くない。

「お前もだ。いくら名を得ようとも、追われ続けることになる。権力というものはどこにでも根を張っているものだからな。戸籍を得ようと、多くの人間はお前が人形だと認識し続ける」

 鋭く氷のような眼光が、相沢を射抜く。

「俺は」

「いいか。お前が相沢健一という個人になったところで逃げられないぞ。さすがにすぐに手出しは出来なくなったかもしれない。だが、一人の人間を消すことは簡単だ。お前はそれを知っているだろう」

 男の冷酷な言葉に、相沢は口を閉ざした。それはそうだ。自分が散々やって来たことだ。身分を得たから安泰なんてことはない。社会的地位を失わせ、再び人形に仕立てることも可能だろう。反論の余地はない。

「しっかりしろ」

 前川は相沢を支えている手に力を込めた。男の言葉を正面から受けてはいけない、それを伝えたかった。相沢はその力に、小さく頷く。

「たとえこの先殺し屋という事実が消えなくても、俺はこの名前を捨てません。犯罪者だと断罪されることになったとしても、後悔はしません。俺は、人形ではなく人間でいたい」

 きっぱりとした、涼しい声が告げた。

「ふん。無理だよ。お前には罪を償うことさえ許されない」

 男は笑みを絶やさなかった。相沢が殺し屋として生き続ける羽目になると、男は確信しているのだ。そしてそれは前川にも嫌になるほど解る現実だった。冷たい汗が背中を流れていった。

「あなたを倒せば、多少なりとも変わります」

「ほう。やってみるか」

 男はゆっくり相沢に近づく。一方、相沢は前川から離れると、右足を庇いながらも身構えた。

「私に勝てるかな?」

 男の問いに、相沢は反射的にたじろいた。しかしすぐに動く。左足で地を蹴り、男に向けて躊躇なく殴りかかった。男はそれを易々と受け止める。殺しという第一線から離れていても権力者の影として生きている。それはSPのような、それ以上に違法行為も認められた存在として傍にいるということだ。腕は鈍っていない。

「ショウビはお前の本性を見抜いていたわけだ」

「なにっ」

 相沢が見せた隙に、男は素早く反応する。鳩尾に強烈な拳が入った。

「ぐっ」

 身体を折る相沢に、男はさらに蹴りを食らわせて床に転がす。一切の容赦はない攻撃に、前川は動くことさえできなかった。

「生温いな。そんなことで何かが手に入ると思うなよ」

「ぐっ」

 背中を蹴られ、相沢は呻いた。だが男は攻撃の手を緩めない。

「今がまさにそうだ。お前が生きていくためにすべきことは、この男を見殺しにすることだ」

 男の指が米田に向く。そう、もし相沢健一の身分を守りたいのならば、米田に関わるべき絵ではないのだ。さっさと見捨て、自分の居場所を確保するべきだった。前川は思わず唇を噛んでいた。男の指摘は尤もだった。

 一方、米田は身動ぎすらしなかった。男が言っていることを、実際に佐々木を撃つことで見せただけに、相沢が選ぶ答えが容易に解ってしまった。このままでは相沢は負ける。得た身分を返し、再び人形として、今度は這い上がることさえできないどん底に突き落とされる。

「解るだろう。今のお前は誰かを犠牲にすることで成り立つ。何かを得て、何かを守るとはそういうことだ。殺し屋のように、総ての最悪条件を選ぶことはできない。お前はちゃんと割り切れるか」

 男の指摘が、まさしく相沢と他の犯罪者との違いだ。犯罪は自己犠牲の上には成り立たない。しかし、相沢は自分にとって最悪となる条件を選び自分を押し殺してきた。結果が殺人という犯罪であっても、そこに意思の入る余地がないのだ。誰かの利益のためだけに、生きてきている。

 だが、それは殺し屋という超法規的な立場だからこそ成り立つ選択だ。これから生きていく世界に、最悪の条件だけを選ぶことはできない。まして殺人など、ただの利己主義でしかなくなる。

 今まで捨ててきた以上に、捨てるものが大きくなる。前川は、どうしていいのか解らなかった。


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