第27話 完璧なんてない

「僕以外にも、当時はプロとして生きている殺し屋はいました。人形と呼ばれない、その道のプロがね。けれども、僕とショウビを残して消されました」

 相沢の目は冷たかった。そこに同情の余地はないといった感じだ。

「消された理由は様々ですが――一言で言えば普通の感覚からずれたからです」

「そうか」

 冷たく突き放す相沢に、前川は優しく声を掛けた。きっと、割り切るために努力しているだろう。人形として育てられながらも普通の感覚を捨てず、そして人殺しである自分に傷つく日々。相沢にとって、それは様々な制裁を加えられるよりも辛かったのではないか。

「ったく」

 相沢は前川の気遣いにむず痒そうな顔をした。感覚は普通でも、普通に扱われるのにはやはり慣れない。思わず身を捩ってしまう。

「反応も至って普通だな」

「煩いですね。ショウビは初めて会った時から、僕に敵意を向けていました。二回目に会った時には、いきなり刺されそうになりましたし」

 話しながら、相沢は周りに目を配る。ショウビについて語ることはない。知っているのは残忍性くらいなものだ。彼女はまさに理想の殺人人形として仕上がった。しかし、それは使い勝手の悪いものへと変貌してしまった。この平和な国で、手当たり次第に殺すなんて手段が許されるはずがない。それがショウビを使い難くしている。

「それだけじゃないか」

 しかし、相沢はそこで首を横に振った。彼女は確かに殺し屋だが暗殺に向かない。それが一番の理由だ。やはり、暗殺者には普通の感覚が必要となる。いかに相手を出し抜くか。その点を、彼女はこなせない。だからこそ、普通のままの相沢が重宝される。

「普通、か」

 何度も自分が本当の人形になっては駄目だと思わされた。しかし、人間になることは許されなかった。そのことに対して悩んだことはなかったというのに、前川に会って大きく変化させられた。

『お前の頭の良さが心配でな。いつかよからぬことを企むのではと気が気ではないんだよ。しばらく警視庁で社会勉強をして来い』

 警視庁に預けられた理由は、実はこれだけだった。相沢があまりに普通であることが、いずれ反逆に繋がるのではという懸念に繋がった。全く以て勝手な話だ。完璧な操り人形なんて出来るはずがないのに。彼らは相沢に普通であることを強要しながら、それと同時に人間であることを止めさせようとした。

 まあ、今となってはその社会勉強こそ失敗だったわけだ。前川は相沢と交流することで、もっと普通になれと唆す。そして今、裏切り者へと変貌しようとしている。何という皮肉だと、相沢は笑いそうになった。

「そこを曲がってください」

 しかし、目的に合致する場所に近づいたので、感傷に浸るのは止めた。今は第一段階、ショウビと決着をつけるしかない。しかもショウビによって負わされた傷はかなりのものだ。長期戦は難しい。さらに広い範囲を動き回るのも難しい。

「止めて下さい」

 しばらく走ったところで、相沢は車を止めさせた。

「ここは」

 前川が身を乗り出す。建設中のビルの前だった。周りもビルが立ち並んでおり、いわゆるオフィス街だ。人通りもそこそこあった。

「夜になれば人通りが減りますし、空間を限定できます」

 ビルは外観こそ出来上がっていたが、窓ガラスなどは嵌められていなかった。非常に対決するのにお誂え向きだ。

 ショウビが暗殺目的ではなく動いている。相沢健一を意のままに動かしたい。自分と同じ殺人人形でありながら、違うことが許せないと考えている。正面対決は避けられない。

「ショウビは来るのか」

 前川は渋い顔をする。あの少女は本当にぞっとさせられる。出来れば二度と会いたくないほどだ。それに、相沢も一歩間違っていたらああなっていたのかと、それを考えると切なくなる。

「今から呼び出します」

 そう言うと、相沢はポケットから携帯電話を取り出した。いわゆるガラケーだ。今は電源がオフにされている。

「それは」

 いつの間にと前川はびっくりする。相沢は時にびっくりする素早さを見せることがあるが、携帯なんていつ用意したのやら。

「通話は総て盗聴されます。覚悟を決めて下さい」

 前川の言葉を遮り、相沢はいつもの涼しい声で言った。しかし、その目はいつもと違い怜悧に光っている。前川は思わず息を呑んでいた。




 あの人からの連絡。それが例の凡人絡みでなければどれほど嬉しいか。

 しかし、これはチャンスだ。

「絶対に、屈服させる」

 いつも見下ろしてくる冷たい目を思い出す。今は相沢健一と名乗るもう一人のお人形。そこに感情はなかった。

 その目が依頼人や暗殺対象に向けられるものだとショウビは知っている。それを自分に向けてくるなんて、なんて愚かな人形なのか。

 人形が人形を蔑んでどうするの?

 能力に差がないにもかかわらず、彼だけが重宝されている。そのことに嫉妬はなかった。

 ただ、時折見せる素顔が自分にも向いてくれれば――そこでショウビははっとして戦慄したものだ。これは人形が持つべき感情ではない。

 こうして想いが屈折していく。

 どうしてあの人だけ人形になり切っていないのか。いつも不思議だった。人形と人間の間を上手く行き来する彼が、羨ましく妬ましいものになるまで、そう時間は掛からなかった。

 ショウビはテーブルに刺していたジャックナイフを抜いた。これは、相沢と名乗った彼があいつを助けるために使ったものだ。

「あの男の命を奪い、今度こそあの人を人形にしてみせる。そう、私の理想のお人形に」

 ねっとりとした笑いをショウビは浮かべた。

 きっとそうすれば、人間らしい心なんて壊れてしまう。きっと、私に跪くしかなくなる。彼はとびきり綺麗だから、自分のものになったらうんと着飾ってもらおう。

 そして、愚かな奴らを殺すのだ。

「とてもいいと思うの。人形らしい格好のあなたって」

 ショウビは陶然と笑った。

 さあ、行こう。

 今度こそ手に入れるために。

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