第26話 心配されるのは慣れていない

 適度に賑わっていた定食屋で和食定食を食べ終えた相沢は、すぐに車に戻った。前川もしっかり唐揚げ定食を食べ、今は運転席で仮眠中だ。集中するには丁度いい。

「監視がいない」

 車の中から人通りをみて、相沢は顔を顰めた。

 いつもなら、最低一人はいる。しかし、気配は一向に感じられない。だが、考えられる理由が一つある。ショウビが絡んでいるからだ。

 そう思うと憂鬱だった。おそらく、相沢にショウビを始末させるつもりだ。面倒な奴は面倒な奴に始末させればいい。そう判断したのだろう。

 今までショウビが始末されなかったのは、何も忠誠心だけではない。誰も始末出来なかったからだ。何度か差し向けられた暗殺者をショウビは返り討ちにしただけではなく、自分の始末を命じた人間の前で暗殺者を惨殺したほどだ。それだけ彼女は、自分は生粋の殺し屋であることに誇りを持っている。

「ふう」

 集中を解いたが、相沢は仮眠するつもりはなかった。

 ショウビは何故自分に固執するのか、相沢には見当もつかなかった。依頼人たちが自分に固執する理由は解る。他に聞き分けのいい殺し屋がいなかったからだ。何人も人形を育ててきた彼らだが、使い勝手のいいものばかりではなかった。そんな中、相沢は常に平常心を保つことが出来、妙な言動を取らない。分別もある。だから手放さなかった。その固執がなければ、相沢は前川を選んだ時点で生きていなかっただろう。しかし、同じ立場のショウビにとって、自分はどう映るのか。

「ん」

 前川が起きた。思い切り伸びをして目を開ける。そして腕を組んで考え込んでいた相沢と目が合った。何だか呆れられている気がして、前川は口をへの字に曲げる。

「何だ?」

「いえ、この状況下でよく眠れますね」

 前川に追及される前に、相沢は話題を変えた。なぜか、ショウビのことを考えていたとは知られたくない。そんな奇妙な感情に苛まれた。

「そういうお前は寝ないのか?」

 倒していたシートを戻し、前川は首をこきこきと鳴らした。車で寝ると肩が凝る。

「普段からあまり寝ませんし、さすがに傷が疼くので」

 相沢は苦笑した。それは本心だ。なんせショウビによって直接皮膚に付けられていた機械を力技で剥したのだ。完治するまでに時間が掛かるし、その痛みはなかなかのものだ。唯一の救いと言えば、前川の力加減が上手かったおかげで、それほど深い傷にはならなかったことだ。これで病院の世話になるほどの傷だったら、反撃することさえ出来なかった。

「そうか」

 前川は自分が剥しただけに責任を感じていた。自然と眉が曇る。

「そんな顔は止めて下さい」

「そう言われてもな」

 前川は頬を撫でた。心配するのは当然だし、寝ないのは健康に良くない。いくら若いからって無理をし過ぎるのはよろしくない。そう思ったのだ。

「心配されても反応に困るんですよ」

相沢にしてみれば、同情されるのには慣れていない。自分を利用する者たちは要求が通るのが当たり前で、相沢のことなど考えもしない。そして、相沢の中でもそれが当たり前になっていた。だから、自分を顧みられるとどうも居心地が悪い。

「慣れろよ、それは」

 前川は普通を教えるのが大変そうだと苦笑する。それに相沢はさらに顔を顰めたものの

「移動しましょう。ショウビを待ち伏せします」

 そう早口に言った。少し照れ隠しもあった。こうやって普通に接してくれることが嬉しいと、前川に出会って何度思ったことだろう。しかも今、最悪なくらいにピンチだというのに、前川は相沢を責めることはない。それが、どれほど幸せなことか、前川は想像したこともないのだろう。

「あ、ああ」

 そんな心情を察しない前川は寝ぼけ眼を擦り、車のアクセルを踏んだ。ゆっくりと景色が流れていく。

 しばらく沈黙が車内を支配した。

「ショウビは、その、本当に」

 先に前川が沈黙を破った。運転しながらちらりと相沢の顔を盗み見ると、その表情は硬い。

「あの機械が何よりの証拠です。自分の気に食わない者に対して容赦がないんです。そんな奴がいつ襲ってくるか解らない状況では、次の作戦に支障が出る。始末します」

 しかし、相沢はきっぱりと言い切った。初めて自分のために人を殺す。それは意外なほど相沢の心を暗くした。慣れたつもりでいたのに、やはり自分のためとなると感覚がまるで違うものであるらしい。

「あの子は何でお前に固執するんだ?兄なんて呼んで」

「さあ」

 相沢は首を傾げた。こればかりは本当に解らない。先ほども考えてみたが、手掛かりになるようなことさえ思い出せなかった。

「同じ立場ってことは、小さい頃とかはどうだったんだ?」

「まあ、何度か会ってますよ。でも、兄と呼ばれたことはなかったと思います」

 遠くを見つめながら、相沢はさらりと言った。殺人人形同士が一緒にいることはまずない。結託して反逆されては困るからだ。だから、こういう奴が同業者だと教えられる程度である。

「その頃の彼女の様子はどうだった?」

「そうですね。すでに殺しへの執念が凄かったですね」

「ふうん。じゃあ、相沢は?」

 ちょっと遠慮しつつも、前川は訊ねた。これはある意味で相沢の過去を知る絶好のチャンスだ。ショウビを通すことで話しやすくなるだろう。そう思ってのことだ。

「俺は、その頃はまだ、殺すことに抵抗がありましたね」

 相沢は恥ずかしそうに言う。この感情は、殺し屋としては失格だ。そう何度も罵られた。それが思い出されて悔しくなる。

「その頃から、お前はずっと普通なんだな」

 前川は少し嬉しくなった。しかし、根が真面目なら辛いことが多かっただろう。優しくて殺しには向かない少年が、生きる術として身に付けなければならなかったこと。そんな残酷な現実が苦しくなる。

「普通でいることが、生き残る術だったんです。この世界では感覚を壊しやすい。殺すことが当たり前になった瞬間、そいつはもう人形ですらない。ただのケダモノなんです」

 涼しい声が、感情なく呟く。

「――」

 意外な返答に前川は言葉が出なかった。

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