第25話 人間になりたい

 翌日、すっかり小綺麗になった相沢は、いつものラフな格好で車の外で電話していた。携帯電話は前川の物で、相手は佐々木瞭である。簡単に無事を伝えるとのことだったが、少し長い。

 車の中にいた前川は、悪いかなと思いつつも窓を少し開けた。よく通る相沢の涼しい声が聴こえてくる。

「そうですか。美咲が」

 その言葉で、電話が長い理由が解った。相沢を好きだった少女、佐々木美咲。彼女がいなければ、佐々木瞭が相沢を救おうと動くことはなかっただろう。それだけでない。前川だって相沢を勘違いしたままだったのではないだろうか。

 人間の心を持ったままの人形だった相沢を、ちゃんと人間のままにしていてくれた子。

 今度、ちゃんと礼を言わないとな。

 もう死んでしまった美咲の顔を思い出し、前川は寂しくなった。

「終わりましたよ」

 いつの間に車の中に戻ったのか、相沢は前川に携帯電話を差し出していた。

「あ、ああ。それで、どこに行くんだ?」

 携帯を受け取ると同時にさりげなく窓を閉めながら訊く。

「そうですね。一か所に留まるのは危険なので、取り敢えず車を走らせてください」

「了解」

 前川は素直に車を発進させた。誰かに追われるなどという非日常的な経験のない前川は、相沢の指示に従うのが賢明だと判断している。一応は警察官に復職しているが、どこで何が起こるか解ったものではない。

「前川さん」

「ん?」

「あいつを倒したとしても、もう戻れないところまで来ていますよ」

 窓の外を見ながら、相沢が呟いた。その声は涼しくも、哀しみがあった。自分のせいで前川の人生が台無しになった。それを気にしているらしい。

「ふん。どうせ俺が生き残ったことを知られればアウトだったんだろ?」

 そんな心配していたのかよと前川は鼻で笑った。まったく、どこまで優しいんだ、こいつは。

「ちゃんと手は打つつもりでした」

 拗ねたように相沢が口を尖らせる。そんな顔をするところを見るのは初めてで、ますますちゃんと人間らしくなったじゃないかと嬉しくなる。

「お前の犠牲の上でのうのうと生きていけるほど、俺の神経図太くないぞ」

 前川は豪快に笑ったが、相沢は憮然としていた。そして諦めて、ようやく前川を見た。

「二度と、普通の生活には戻れないですよ」

「望むところだ」

「――解りました。俺も、覚悟を決めます。ちゃんと人間になる覚悟を」

 その言葉に、驚くと同時に嬉しくなった。相沢を見ると、複雑だと顔に書いてある。まあ、そうだろう。自分が殺し屋であることに負い目を感じて生きてきた男だ。今更どうして普通に生きていけるんだと、内心では不満もあることだろう。

「それで、今後はどうする?」

 そんな相沢の気持ちを少しでも和らげようと、前川は訊いた。

「ともかく、次の段階へと動くにも、あいつは邪魔になります。今まで国外の依頼を担当していたのに、前川さんの件を聞きつけて勝手に帰国しています」

「国外で」

 前川は昨日の殺気を思い出し、寒気がした。あれは国外で日本以上にヤバい経験をしてきたからこそ生み出されるものだったのか。

「あれほど危険な奴を国内で利用するほど、俺たちの操り主も依頼人も馬鹿ではありませんよ。ただ、忠誠心は本物でしょうね」

「忠誠心?」

「僕や彼女を生み出した人間たちへのですよ。彼女は殺人人形であることに誇りを持っている。そいつらが――本命の敵です」

 相沢が初めて育ててきた連中をきっぱりと敵と言い切った。今まで裏切りを考えたことのない相沢にすれば、それは非常に重い言葉だ。

「それで――あの女の名前は何だ?」

 まずは第一段階突破。ならば次に倒さなければならないのは、ゴスロリファッションの彼女だ。

「ありません。僕の相沢健一だって仮のものです。これほど長く同じ名前で呼ばれるのは初めてですからね」

「でもなあ」

 渋い顔をする前川に、相沢は考え込む。確かに名前がないままだと不便だ。

「そういえば、あいつが気に入っていた名前ならば憶えています」

 知らず知らずのうちに、相沢の眉間にしわが寄る。嫌なものを思い出した。そんな顔だ。しかし、名前があると助かる。

「何だ?」

「ショウビ」

「へっ」

 聴き慣れない言葉に、前川は目が点になる。

「漢字で薔薇と書いて、ショウビと読むんです」

「ふうん」

 言われて前川は納得した。触れれば棘がありそうな美しい少女の様は、まさに薔薇だ。

「取り敢えず、食事にしますか。よく考えれば、ここ一週間まともな食事をしてないんで」

 またとんでもない事を平然と言った相沢に、前川は驚くと同時に頭痛を覚えていた。

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