第22話 殺人人形の少女

 夜の闇に紛れて、前川は廃工場の中に足を踏み入れた。放置されてから随分と時間が経っているのか、あちこち錆びていて危ない。

「死体が転がってても不思議ではないってか」

 不安になって思わず呟いた言葉が、より恐怖を煽った。しかも防刃チョッキを隠すためにきっちり着たスーツが場違いな感じがする。

 季節はまだ三月。夜風は冷たい。そんな張り詰めた外の空気と違い、工場の中は埃っぽかった。油の饐えた臭いもする。やはり放置されてから長い時間が経過しているらしい。

「ん?」

 暗い工場の中、奥の部屋から灯りが漏れている。誰かがいる証拠だ。

「あそこか」

 右手に持った警棒に、自然と力が入った。呼び出した犯人がいるはずだ。一緒に相沢がいるかどうか、それは解らない。しかし、何か情報は得られるはずだ。

 元々は事務室として使われていたのだろうか。ドアの横に大きな窓があった。そこまでさっと移動すると、身体を屈めて窓からそっと中を覗いた。

「っつ!」

 思わず声が出そうになったが、何とか堪えた。

 何もない部屋の中央、パイプ椅子に座らさせられた相沢がいた。上半身は鎖でぐるぐる巻きにされている。一か月前もかなりの傷を負っていたのに、今日もまたぼろぼろだった。髪も乱れ、無事な部分がないのではと疑ってしまう。

 踏み込もうと前川が足に力を入れた時、じゃりと音が鳴った。同時に項垂れていた相沢が、はっと顔を上げる。

 突入するしかない。相沢が気づくくらいだ。どこかで待ち構えている犯人もまた、気づいただろう。前川は覚悟を決めて事務室のドアに体当たりした。

 ドアが勢いよく開く。

「危ない!」

 掠れていたが、いつもの涼しい声で相沢が叫ぶ。

「ちっ」

 反射的に、前川は身体を捻っていた。ガンッと、鉄パイプが前川のいた場所に振り下ろされていた。

「何で教えるの?」

 鉄パイプを振り下ろしたのは、華奢な少女だった。フリフリとした服装で、いわゆるゴスロリと言われるファッションだ。長い髪は腰まであり、結われていなかった。それが楽しげにさらさらと動く。

「お前は?」

「お兄様は、渡さない」

「えっ」

 少女の言葉が理解できず、前川の緊張が途切れる。それが油断になった。

「前川さん!」

 すかさず相沢が叫ぶ。同時に少女が鉄パイプを振り下ろしてきた。

「くっ」

 少し掠った。スーツが裂ける。華奢な見た目からは考えられない力だ。

「そいつもプロの殺し屋です!」

 相沢が身体を捩りながら叫んだ。しかし、ガチャガチャと鎖が鳴るだけで、びくともしない。

「くっ」

 見た目に騙されては駄目だ。前川は嫌な汗が滴った。こんな奇妙な奴、警察官をやっていても相手にしたことがない。

「そいつなんて酷いわ。それに」

 相沢には甘い声だった少女は、前川を見た途端に変わる。

「やっとお兄様は、私を見てくれるはずだったのに」

 ぞくりと身の毛のよだつ殺気だった。

 こいつは相沢と根本的に違う。前川は直感的にそう思った。この子はまさしく殺人人形だ。殺すことを当たり前と考え、命令があるなしに拘らない。

「前川さん、そいつの相手をしては駄目です」

 悲痛な相沢の叫びに、前川は大胆にも警棒を少女に投げつけた。

「ちっ」

 予想外の動きに、少女は避けられなかった。手にしていた鉄パイプが地面に転がる。その隙に、前川は相沢の元に駆け寄った。

「何で来たんですか?」

「うるせえよ」

 前川は言いつつ鎖に手を掛けた。どれだけ身体を揺すっても外れないわけだ。背後に南京錠があり、緩まないようにしてあった。

「避けろ!」

 相沢の鋭い声が飛ぶ。前川は相沢と一緒に横に転がった。

「ナイスです」

 相沢はそう言うと、椅子を反転させる。少女の振り下ろした鉄パイプが、上手い具合に南京錠に当たった。相沢は上半身が解放されると同時に、床に転がったまま少女の足を払う。

「くっ」

 床に倒されたが、少女はすぐに立ち上がる。まさに殺すことだけが目的。自分が傷つくことなんて気にしていない。

「お兄様は最高のお人形なのよ?なんでそいつを選ぶの?」

「お前には関係ない」

 鎖を解いた相沢は、少女を冷たく見下ろした。それは、殺しを行う時にも見せる、冷たい目だ。

 一方の少女の目には、怒りがあった。

 相沢は手に持った鎖を構える。前川もすぐに対応できるよう態勢を低く保ったまま身構えた。

「ふん」

 さすがに二人相手は辛いと思ったのか、少女はくるりと背を向けた。

「前川哲、必ずその命貰う」

 少女は低く呻くと、闇の中に消えて行った。

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