第23話 優しい心は辛いはず

 相沢は引っ越しをしていたが、やはり学生向けマンションに住んでいた。今度のマンションは二階建ての小さなもので、相沢の部屋は二階の右端だった。

「相変わらず、何もないな」

「大きなお世話です」

 前川の肩を借りてここまで戻って来た相沢は、ようやく緊張を解いた。しかし、ここに長居は出来ない。あの少女がいつやって来るか解らないからだ。

「せめてテーブルを買えよ」

 部屋はベッドが壁際に置かれているだけで、本当に何もない。これは生活感云々の問題ではなかった。

「この部屋に変わってから、まだ二回しか帰ってませんから」

「あれから一か月以上経つのにか」

 絶句する前川から離れ、相沢はよろよろとベッドに腰掛けた。今はともかく休憩するしかない。

「取り敢えず手当を」

 前川は近くのコンビニで買った消毒液とティッシュを持って、相沢の前に座る。

「それでは足りませんよ」

 相沢が力なく笑った。

「やらないよりマシだろ」

 そう言われると困ってしまうが、ともかく大きな傷だけでも消毒しておくべきだ。

「その、この傷は……」

「あいつにやられたものです。今までと違い、加減がない」

 相沢がごしごしと顔の汚れを服で拭う。

「確かに」

 明らかに今までとは違い、容赦のない傷つけられ方だ。今までは相沢の行動に対する制裁であっても、その後の仕事の支障が出ては困るという考えからか、大きな傷はなかった。だというのに、今は目に見えて身体中に大きな傷跡がある。

「あの女の子はなんだ?」

 前川は服で拭くんじゃないとティッシュを差し出して訊く。

「あいつは、僕と同じ立場の人間です。ただし、あいつは殺すことに躊躇いがない」

 嫌そうに相沢が説明する。

「同じ立場か」

 同じだというのは前川も感じた。いや、相沢以上に操り人形らしいと感じた。

「――そういえば、お前のことを兄と」

前川の指摘に相沢が苦虫を噛み潰したような顔をした。そこには触れられたくないという顔だ。

「兄妹なのか?」

「いいえ。血の繋がりはありませんし、あいつは僕のことを人形くらいにしか思ってませんよ」

「人形?」

 お前の殺人人形と呼ばれているのにと首を捻る前川に、相沢は溜め息を吐いた。

「そのままの意味です。遊ぶためのものですよ」

「なっ」

 さすがに前川は言葉を失う。それは相沢を遊び道具として好き勝手に扱っているということか。だから大きく傷つけても問題ないと考えていると。思えば、兄に対する仕打ちとしては酷いものだ。しかし、相沢の解釈にも僅かだが違和感がある。

「あいつは、生きていくために心を捨てたんです」

 相沢は投げやりに言うと、そっぽを向いた。やはり触れられたくない部分らしい。複雑な気持ちで前川はその横顔を見た。そして考える。相沢と同じ立場に置かれて、彼と同じように人の心を持ったままでいることは可能だろうか。途中で壊れてしまうのではないか。だったら一層のこと、捨ててしまった方が楽だろう。

「まったく。気に食わないと暴力を振るってくるというのは今までありましたが、これほど長期にわたっては初めてですよ。この一か月、あいつは俺が仕事のない時は、さっきのよういにどこかに縛り付けていたぶってくれました。よっぽど前川さんの件が気に入らなかったんでしょうね」

 他人事のように相沢が独白する。しかし、前川にはショックな事実だった。前川を助けたことによって相沢が不利になることは解っていたが、まさかこんな形で傷つけるなんて。

「お前は」

 そして同時に思う。この優しすぎるこの少年は、一体どうやって生きてきたのだろう。傍にいる同じ立場の子がイライラをぶつけてくる。それさえ享受しているのだ。辛いことばかりだっただろう。前川は心が重くなった。

「それにしても、予想以上に早い再会になりましたね」

 前川が色々と考えていることに気づき、相沢は話題を変えた。ともかく今は、現状打開に動くしかないらしい。

「そうだな」

 その指摘は尤もだろう。前川も助けたいと思いながら、二度と会えないのではないかという不安に駆られていた。

「このカードはあの子の仕業か」

 呼び出しに使われたカードを相沢に渡す。相沢は一瞥すると、すぐに破り捨てた。そして大仰に溜め息を吐く。

「本当に一人で来てどうするんですか?警察官なんですから、こんなの律義に守る必要がないって解るでしょ」

「いや、まあそうだけどさ。応援の呼びようがないだろう。上からもこの件には加担できないって言われているし」

「それもそうですね」

 言っておいて、相沢はすぐに引き下がった。そして考えるような仕草をする。一体どうしたというのか。そしてふと、相沢が一度も緊張を解いていないことに気づく。今までは傷が痛むせいかと思っていたが、どうやら何かありそうだ。

「おい。取り敢えず服を脱げ」

「はい?」

 前川の突然の言葉に、相沢は目を丸くした。しかし、すぐに真意が解り渋面を作った。それはこんなにすぐ疑わるとは思わなかったと言わんばかりの顔だ。

「じゃあ、一時間後に戻ってきてください」

「馬鹿か」

「――解りましたよ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る