第12話 俺は人形なんです

 金は持っているはずなので、おそらく高層マンションに住んでいるのだろうと前川は予想しながら車を走らせていた。しかし、相沢の言った住所にあったのは小さな学生向けマンションだった。最近建てられたもののようだが、家賃は平均的なものだろう。

「まさか高層マンションに住んでるとか思ってました?」

「うっ」

 ストレートに突っ込まれて、前川は言葉に窮した。まさに図星だ。

「何なら、部屋に入って確認しますか?」

「お……おう」

 言ってしまって、前川はちょっと気後れした。別に女性の部屋を訪れるわけではない。それなのに、踏み込んではいけない気がした。相沢のプライベートに触れてしまっていいのだろうか。そんな躊躇いだ。

「別に取って食やしませんよ」

 相沢はそんな前川の反応が面白かったのか、笑いながら車を降りた。機嫌はもう完璧に治ったらしい。前川も渋々と続く。

 オートロックもない玄関を抜ける。どうやら考えている以上に家賃の安い物件らしい。さらに、相沢の部屋は三階建てマンションの三階だった。当然、階段である。

「中年にはきつい」

 三階に着いて、前川ははあと息を吐き出した。さっきまで猛ダッシュしていたせいか、膝が笑っている。

「さっきまで元気に走ってたじゃないですか」

「うるせえ!」

 走ったから疲れているんだよ!見た目が若かろうが体力があろうが、中身は四十二歳だ。前川は思わず怒鳴る。が、相沢は廊下では静かにしてくださいと冷たかった。

「ちっ」

 廊下を進み、一番奥の突当りが相沢の部屋だった。中はベッドと小さな冷蔵庫があるだけの1Kだ。テーブルすら置かれてなかった。ベッドが少し乱れているのが、唯一生活感を出していた。

「どうぞ」

 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本取り出した相沢は、一本を前川に渡した。

「お前さ、必要最低限すぎるだろ。テーブルもなしか」

「ないですね」

 何だか座るに座れない部屋で、しかも水。一体これは何の罰ゲームだ。そんな気がしてくる。だが、ここは間違いなく相沢の部屋だ。証拠に相沢の顔は警視庁で見るよりも幾分リラックスしている。

「食事はちゃんと取っているのか?」

 壁に凭れながら、前川は思わず心配になって訊いた。あまりに生活感がない。この部屋は寝るためだけにあるらしい。そう察したからだ。

「一回は取ってますよ」

 相沢はベッドに腰掛けて言った。

 やっぱりな。その一回も、前川と一緒に取る昼食のことだ。相沢は自発的に飯を食うことをしないらしい。

 それにしても――

 依頼料と生活がまったく見合ってない。前川は素直にそう思った。

 部屋を見るまで確信はなかったが、生活に金をかけていないのは気づいていた。服装や持ち物は拘りがないし、大体が量販品だ。見た目が高校生だと感じるのも、そういうこだわりのなさが反映しているのだろう。さらに、一緒に食事をしても庶民感覚からずれていなかった。安くて美味いもの。それで十分という感じだ。

 前川も具体的に依頼料を聞いたことがある。一般人がぽんっと出せる金額ではなかった。それだけの金を一体何に使っているのか。部屋を見渡してもヒントになるようなものはなかった。

「前川さん」

「何だ?」

「異動願いを出して下さい」

「はあ?」

 何の冗談だと相沢を睨んだ。しかし、相沢の目は真剣で、そしていつになく哀しげだった。

「前川さんは僕を警戒しながらも、信用している。そして、僕も信用しています」

「ならば」

「だから、離れる必要があります」

 まるで恋人との別れ話みたいだ。前川は笑い飛ばそうとしたが、相沢の真剣な表情を前にできなかった。

「どうしたんだよ」

「俺は警戒されているんです。恩知らずだと思われているでしょう。この部屋を見て解るとおり、俺はあくまで依頼を統括している人間の物です。他に――何かを求めちゃダメなんです」

「……」

 それは初めて明かされた、相沢を取り巻く環境の話だ。しかし、警戒されているのは警視庁に預けられた段階で解っていたことではないのか。

「操り人形は、人形そのものが感情を持ってはダメなんです」

「お前は人間だろ」

「いいえ、俺は人形なんです」

 きっぱり言い切る相沢に、前川はなおも言い聞かせようとするが、それは相沢が手で制した。

「殺し屋という人形。それが俺に与えられた役割です。それを越えようとしたから、今回の警視庁を巻き込んでの事態になりました。しかし、それさえも、俺の感情を揺さぶる結果になったと、操っている人たちは感じています。いつか、前川さんに危害を加えようとするに違いない。お願いします。そうなる前に、前川さんから見限ってください」

 それは、相沢の願いだ。人形だと言い切りながら、彼が人間として下した判断だ。前川は切なくなる。そして何もできない自分が嫌になる。

「――今日のところは、取り敢えず帰る」

 前川は現実の冷たさを前に、それだけしか言えなかった。

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