第13話 人形だった過去
翌朝。いつものように元物置部屋に行くと、相沢の姿がなかった。いつ登庁しているかは知らないが、前川より遅くこの部屋に現れたことはない。昨日の話があったせいか、前川は嫌な予感がした。
慌てて相沢のスマホに電話を掛けた。何度かコール音がした後
「何ですか?」
少し不機嫌な相沢の声がした。取り敢えず行方をくらませたわけではなかったらしい。
「お前、今何処にいるんだ?」
「詳しくは言えません。昼までには行きます」
それだけ言って、相沢は一方的に電話を切ってしまった。まさか仕事だろうか。しかし、警視庁に預けられてからというもの、警察の介入なしに仕事をすることはないはずだが。
嫌な予感は先ほどよりも増幅した。しかし、動こうにも情報がない。前川は仕方なく自分の席に着いた。が、落ち着かない。
一人になると、部屋の殺風景さが辛かった。窓はなく、壁際には段ボール箱が積まれている。それがどうにも息苦しい。
「……」
相沢は朝早くにここへ来て、何を考えていたのだろうか。
二人で使うからと明るくしてもらった蛍光灯が、何だか場違いだった。寒々しさを強調していて、暖房が付いているというのに冷たく感じる。
「ちっ」
前川はデスクの引き出しを開け、ファイルを何冊か取り出した。相沢に関するものばかりである。しかし、これはあくまで殺し屋としてのデータであって、相沢が何を考えているかなど解らない。それでも、何もしないよりかはましだ。
「おっと」
積み上げたファイルを、思わず崩してしまった。中の書類は総て綴じてあるので、散らばることはなかったが、大惨事である。
「ん?」
ファイルを拾い上げた時、ひらりと一枚の写真が飛び出てきた。一体何だと確認すると、小学生くらいの年齢の相沢だった。しかし、その手にはナイフ。服にも顔にも盛大に血が付いている。
「うっ」
これは相沢が殺しをした現場の写真だ。それも数年前。まだまだ子どもだった時に仕事をしたものだ。
その目は今の相沢と違ってとても冷たく、何も捉えていないようだった。この頃はまさに操り人形だったのだろう。そしてこの写真が指し示す事実は一つ。
相沢は物心ついた時から殺しを強要されていたのだ。そしてそれが当たり前であり、自分の判断は要らないと教えられていたのだろう。まさに洗脳だ。この目は強い暗示に掛かった状態に見える。
殺すのが当たり前。
自分は人形。
そう思い込まされた少年。考えるだけで、恐ろしい。
「依頼されてもいないのに殺すような、快楽殺人者に見えてるんですか」
昨日相沢が言った言葉が蘇る。
「殺し屋という人形。それが俺に与えられた役割です。」
そのどちらも真実だったのだ。相沢は自ら望んで誰かを殺すことはない。しかし、誰かに命じられれば絶対に殺す。
だが、今の相沢はこの頃と全く違う。それは洗脳が解けた証拠だ。しかし、どれだけ自我を取り戻そうと、相沢が殺し屋として生きていく以外に選択肢はない。だから、こうして警視庁に預けられたのだ。
刑法を司る警察でさえ手出しできない殺し屋。それを実感させ、逃げられないようにするために――
「っつ」
ぎいっとドアがゆっくり開く音がして、前川は咄嗟に身構えた。
しかし、立っていたのは相沢だった。いつもと異なり、スーツを着ている。しかし、よれよれでネクタイも緩んでいる。だらしない高校生そのものだった。
「あ」
口を開こうとしたら、相沢が指を立てて静かにするよう訴えてきた。そして、ついてくるようにと手をひらひらさせる。
向かった先は廊下の端にあるトイレだった。途中、用具入れから大きめのバケツと紙袋を持ってきている。個室にそれらを持って入った相沢は、出てきた時にはいつものラフな格好になっていた。バケツの中には先ほど着ていたスーツ一式と革靴、それにスマホが入っている。相沢は無言のまま、スーツ類が入ったバケツに蛇口から大量の水を注いだ。もちろんすまほも水没してしまう。
「俺がどういう存在か、気づいたんですね」
いつもは涼しげな声が、今はとても無機質に聴こえる。当たり前のように殺しを行っていた過去を恥じているかのようだ。
「ああ」
隠しても仕方がないので頷いた前川だが、その先の言葉が出て来ない。トイレの中では水を注ぐ音だけが、しばらく大きく響いていていた。
「場所を変えましょう」
バケツが満タンになったところで、相沢はそれだけ言った。
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