第11話 二人の距離感

「おい!」

「何です?」

 イヤホンを片耳だけ外して、相沢が返事をした。その相変わらずの態度が今はイライラしてしまう。

「さっき――本気で殺すつもりだったのか?」

 少し怒気を孕んだ前川の声に、相沢は心底意外そうな顔をした。それは前川にとっても意外で、どうリアクションしていいのか解らない。

「何だよ?」

 おかげでむっとした調子で訊き返していた。相沢のあの目に恐怖を覚えた自分が馬鹿みたいじゃないか。

「依頼もされていないに殺すような、快楽殺人者に見えてるんですか?」

 さらに相沢の、涼しげな声に寂しさが混じっている問いかけ。

「断じて違う。その……」

 前川は相沢の反応に本気で困ってしまった。

 先ほどまでのように、相沢を殺人者として憎めれば楽なのに。今、本気でそう思った。こいつは殺人鬼なんだと、そう思い込んでいる時は意気込んで訊けた問いが、これほど空虚になることはないのに。

 時折相沢が見せる本性が、落差となって前川を戸惑らせる。そして行動を共にする内に相沢が冷酷な殺し屋ではないと解ってしまったのだ。どんな憎まれ口を叩いていても、それが本心ではない。相沢は多分、殺し屋から足を洗いたいのだろう。しかし、それが許されない。

 警察に預けられたのは、お前の存在は警察すら黙認するものだと、それを見せつけるためのものなのだ。前川はもう、今回の監視の目的を見抜いていた。そして前川にこの任務を任せた理由も。

 助けたいと思う人が現れても、助けることが出来ない。それを相沢の前で演じる役割。それが前川だ。どれだけ相沢を知ろうと、彼が依頼を受けて殺すことを止められない。

「悪かった。ちょっと動転してたんだ」

「その反応だけで十分ですよ」

 素直な弁解に相沢がくすりと笑った。ほっと前川も息を吐き出す。

「まあ、前川さんの場合、たとえ殺してほしい相手がいたとしても依頼料が払えないでしょうし」

「てめえ。こっちが下手に出るとすぐそれか――じゃあ、さっきのは何だったんだよ?」

 あの冷たい目。一度だけ目撃した殺人現場で、相沢は確かに同じ目をしていた。鋭利な刃物のようなさっきを宿る目は、相手を十分に委縮させる。

「ただの軽蔑です。彼、自分を好きになってくれた女性を殺してるんですよね?」

「ああ」

 痴情のもつれというか、別れ話がきっかけでの殺人を犯していた。しかし、余罪もある犯人への軽蔑がそれだけというのは妙だ。

 だが、すぐに前川は考えを改めた。相沢は好きになってくれたという言い回しをした。相沢にすれば、それが特殊なことなのだ。だから、印象に残っているのだろう。

 前川は二か月前の、あの切ない出来事を思い出した。相沢の言い回しを借りれば、まさしく好きになってくれた人との別れだった。しかもこれ以上苦しまないように、自分の手で彼女の人生に終止符を打たなければならなかった。それがどれだけ辛かったか。

 それを考えると、自分勝手に振る舞って彼女に怒られたから殺したという、あの犯人に同情の余地はない。と同時に、相沢に軽蔑されて当然だった。

「帰るか」

「そうですね」

 相沢は本当に眠いのか、大きな欠伸をしている。ここ最近、仕事が立て込んでいるから疲れているのだろう。前川が監視の意味に気づくと同時に増やされた仕事。きっと、相沢に同情するなと釘を刺す意味があるのだろう。

 それと同時に、いい加減に足を洗うことを諦めて仕事に専念しろという、相沢を使う奴からの警告でもあるはずだ。相沢は別に反抗的な態度を取ることはないが、何かが気に食わないに違いない。

「家まで送るぞ」

「えっ」

 突然の前川の申し出に、相沢は目を丸くした。

「いや、その」

 単なる親切から言っただけに、前川はどう返事をするべきか悩んでしまった。実は前川は相沢の自宅まで行ったことがない。毎日、相沢は自主的なのか誰かに送られてきているのか、警視庁に朝早くやって来る。だからそこで合流。そして終業時間になると、相沢はさっさと帰ってしまう。

「じゃあ、お願いします」

 プライベートまで知られたくないと嫌がるかと思ったが、意外にも、相沢はあっさりと住所を言った。おかげで拍子抜けする。

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