第9話 夢から覚める時間

 今回の暗殺対象はテーマパークのシンボルである城の前で、若い女とイチャイチャする中年の男だった。

「ねえ、いつ奥さんと別れてくれるの?」

 彼女と思しき女性がそんなことを言うので、不倫中だと解る。中年男は

「選挙が終わってからだ。今は拙い。だから、これで我慢してくれよ」

 と言い訳し、彼女の肩を抱いて何かを囁いた。すると女はにこにこと笑う。

「今日だってこうして一緒に花火を見ているじゃないか」

「そうね。あなたの誕生日を独占してる」

「ああ」

 不倫に夢中の二人には、こっそりと近づく相沢に気づかない。どちらも見える位置にいる前川としては複雑だ。不倫は悪いと思う。しかし、殺していいわけではない。そんなのは当たり前だ。だが、選挙ということは、あの男は政治家か何かか。となると、選挙活動中に不倫なんて言語道断と思う誰かがいても不思議ではない。

「世の中、黒いもんだよな」

 別に前川は人一倍正義感が強いわけではない。刑事になったのだってたまたまだ。だから、世の中に汚い部分があったとしても、潔癖に反応することはない。ないけれども、犯罪の少ない世の中の方がいいと思う。ましてや、殺し屋を雇って暗殺が黙認されている世の中なんて、間違っていると思う。

 しかし、現に相沢という男が存在し、今、ターゲットに近づいていく。相沢が付けていた丸い耳から、何か細長いものを取り出すのが、花火の明かりで見える。そして男にそっと近づくと突き刺した。

「ん?」

 男は何かが触れたとその場所を触るが、すぐに倒れるようなことはなかった。相変わらず、彼女とイチャイチャしている。相沢が何かしたことは間違いないのに、男に変わった様子はなかった。

「なんだ?」

 前川は解らずに首を捻る。あれ、今ので終わりなのか。そう首を捻っていると、相沢が傍に戻ってくる。

「さ、帰りましょう。夢から覚める時間です」

 まるで何かの暗示のように相沢はそう言い、寂しそうに笑うのだった。




 翌日。またしても前川は新聞を見てぎょっと驚くことになった。昨日の夜、あのテーマパークで相沢が接触した男が死亡したとの記事を見つけたからだ。

 あの男の名前は大西雄一というそうで、なんとP医科大学の教授だった。その次期学長と目されていた人物であるらしい。

「選挙って、学長選か」

 政治家ではなかったのかという驚きと、どうしてこの男が死んだのか。それが気になった。新聞記事を読んでいると、運悪くフグの毒に当たったと書かれていた。どうやら料亭で出されたフグの毒処理が不十分であり、可食部であったにも関わらず毒に汚染されていたという。

 もちろん、これは嘘のはずだ。相沢を雇った誰かが料亭に口裏を合わせるように言っていたのだろう。料亭としてはしばらく営業が出来なくなる不名誉なことだが、それに目を瞑ってもいいほど金を積まれたに違いない。

「ったく」

 終わってしまったことを知っても仕方がないのかもしれない。これは殺人事件だが捜査できない事件だ。しかし、一体何がどうなっているのか。あやふやなまま放置するのも気持ち悪い。

 ということで、前川はまた新聞を持って登庁した。そして、今日も朝早くからやって来ていた相沢の前に新聞を投げる。相沢はその新聞を手に取ることなく一瞥しただけだった。

「昨日の男のことが載ってるぞ」

「ああ。無事に死にましたか」

「……お前、近づいてフグ毒を注入したのか」

「ええ」

 あっさり認める相沢に、前川はイライラとしてしまう。普通に振る舞う一面と殺し屋としての一面。そこに境界線がないことが、これほど不安にさせられるとは思わなかった。

「なぜ、殺せと命じられたんだ?」

 しかし、相沢本人を詰っても仕方がないのだ。何とか気持ちを落ち着けると、相沢も前川に向き合う。

「命じられた理由は一つ。大西が手を出していたあの女性、ライバル教授の娘さんだったんです」

「なっ」

 それは予想さえしていなかったことだった。前川は目を剥いてしまう。

「ええ。大西は学長の座を射止めるだけでなく、ライバルの娘も手に入れようとしていたんですね。そこで、そのライバルと奥さんが結託。まあ、解らなくもない展開ですね。敵の敵は味方というのは、どの時代でも同じです。保険金が手に入る形で殺してほしいということでしたので、今回は回りくどく食中毒ということになりました。彼女、つまりライバルの娘さんはあの食事に毒がと卒倒し、今は病院です。これも一つの荒療治ってことでしょう」

「……」

 ライバルを殺すだけでなく、娘の方まできつい灸を据えたのか。依頼人二人の感情の恐ろしさを感じてぞっとしてしまう。しかし、ライバル、つまり父親としては娘の行動が信じられなかったことだろう。よりによって選挙の敵と懇ろになり、しかも年の差がある上に不倫。もう親としては卒倒してしまう事態だ。

「ええ。依頼人はだから、娘にも痛手をと思ったようですね。とはいえ、さすがに実害を加えるわけにはいかないので、医者に駆け込むくらいの措置で終わりというわけです。後は父親が毒は検出されなかったと言ってやればいい。そして娘から自白と懺悔が聞ければいいというわけです」

「ははあ」

 何ともコメントしがたい状況だ。そしてそのライバル氏も、娘のことが絡んでいなければ暗殺依頼までするほどでもなかっただろう。そう思うと、もやもやした気持ちになってしまう。

「人間の感情の怖さですよね。大事なものを奪われた時、人は簡単に誰かを殺したいと願う。それも、夢から覚まさせるためにはとっておきのきつい処置を願うんですから」

 相沢はにやりと笑い、彼女、もう二度とあのテーマパークに行かないでしょうねと付け加えたのだった。

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