第6話 殺し屋にしか出来ない事
「すぐに終わる」
「うん」
「目を閉じて」
「うん」
そのまま、美咲の声は聴こえなくなった。その瞬間に相沢が唇を強く噛むのを、前川は見逃さなかった。しかし、それも一瞬のことだった。すぐに相沢がどこかに電話を掛ける。
「終わりました」
いつもより哀しげな涼しい声が告げた。どこにいたのか、すぐに数人の男がぐったりとした美咲を運んで行った。傍にいた何人かが好奇の目でその様子を見ていたが、混乱はなかった。それを相沢は見送ると、立ち上がることなく視線を海へと向ける。
「おい」
しばらくして前川が声を掛けても、相沢はぼんやりと海を眺めていた。いつもならば嫌味の一つでも飛んでくるというのに、何だか調子が狂う。先ほどまでの優しい顔を見ているから尚更だった。
仕方なく、前川は先ほどまで美咲が座っていた場所に腰掛ける。気持ちの整理を付けているらしいので、それが終わるくらいは待つべきだろう。
「これも暗殺か」
小さな相沢の呟きが、前川の耳にいやに残った。けれども、掛けるべき言葉が見つからない。やはり殺し屋稼業が嫌になって警視庁に預けられることになったのか。
「明日、説明します」
しかし確認する暇もなく相沢は前川を見ることなく言うと、雑踏の中に消えてしまった。
翌朝。前川は新聞の片隅に佐々木代議士の娘が死去した旨を伝える記事を見つけ、大慌てで警視庁に出勤した。一目散に元物置部屋のドアを開ける。すると中にはデスクに足を載せてだらしなく寝ている相沢がいた。
「おい」
「何です?」
さっきまで寝ていたとは思えない、はっきりした返事がした。ひょっとして寝たふりだったのだろうか。しかし、それよりも今はこっちだ。
「あの娘のことだよ」
ぶっきらぼうに言いながら、前川は自分の席に座って新聞を放り投げる。他に質問したいことなどない。
「佐々木美咲ですか?」
「そうだ。昨日心不全で亡くなったと、新聞に載っていたぞ」
「ええ」
「どういうことだ?」
別に責めているわけでもないのに、詰問するような形になってしまった。昨日の様子を見ているだけに、強く問い質したいわけではない。前川が口をへの字にしていると、相沢がくすりと笑って居住まいを正した。
「彼女は先天的に心臓が弱かったんですよ。移植など、いろいろ手段は考えられていたようですが」
「何でそれを知っているんだ?」
前川はやはり口調がきつくなるのを抑えられなかった。見せられたあのパソコン画面に、そこまでの情報はなかったはずだ。
「以前、ほんの少しですが彼女と過ごしたことがあるんです」
「えっ?」
親しげな様子で会ったことがあるのかと疑ってはいたが、まさか本当に知り合いだったとは。前川はぽかんと口を開けてしまう。それにしても殺し屋と心臓の病に苦しむ女子高生。この二人に何が起これば接点が生まれるのか。
「俺も一応は人間なんです。少し仕事でドジを踏んで入院したことがあって、たまたま会ったんです。彼女もその時、心臓の具合が良くなくて入院していました。政治家も御用達の病院ならではの出会いですよね」
皮肉っぽく笑う口元に反して、相沢の目に淋しげな色が滲む。それに前川は何とも言えない気持ちになった。相沢は彼女を殺したくはなかったのではないか。そう気づいてしまった。
「依頼人は父親の佐々木代議士です」
「へっ?」
しかし、気持ちに関して触れることなく、そんなことを言い出すので、前川はまたしても口をぽかんと開ける。一体何がどうなっているのか。
「気づきませんでしたか。僕はあの時、御息女と言ったんです」
そう言われれば、言っていた。なるほど、ただのターゲットならば丁寧な表現は必要ない。
「移植の可能性は消えたので安楽死させてやってくれ。それが依頼の内容でした。彼女にも俺が普通の仕事をしていないことはばれていましたからね。頼まれたんです」
「それは」
何とも悲しい理由だ。美咲は相沢に好意を持っていたのではないか。そして、相沢も。そんな二人だというのに、死を与えることしか出来なかったというのか。
「あの日佐々木議員本人がいたので、予想は着きました。もう手遅れだと。日本では安楽死は認められていません。だったら、殺し屋に頼んで暗殺してもらうしかない、そういうことだったんですよ」
「そんな……」
日本に政治家相手の殺し屋が相沢しかいないのだろう。しかし、互いに友人以上に思っている二人の間でやっていいことではなかったのではないか。前川は言い知れぬ憤りを感じてしまう。
「いいんですよ。俺に出来る唯一のことを彼女にしてあげられた。それだけで満足です。でも、人の死を軽んじている俺が、哀しむわけにはいきません」
はっとなる前川に、相沢はくるりと椅子を回転させて背を向けてしまった。哀しむわけにはいかない。そう言いつつ、相沢は彼女を殺したことを後悔している。泣きたいと思っているはずだ。
「コーヒー買いに行ってくる」
ここは一人にしてやるべきだ。前川はそう思い、そっと二人だけの部屋を後にしていたのだった。
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