異界の森


 アイシャの事は、連盟の祓魔師としてで無く、ただの先輩後輩として付き合うのは別に嫌じゃない。


 これまで自分の都合だけを押し付けて来た会長令嬢アイシャが学生時代の先輩・後輩の立場に戻っただけ。それなら数少ない後輩のために手伝いくらいするのは別に構わない。今なら懐にも余裕があるから。


 未明には起きて準備を始める。編み上げのサンダルを履く前に、分厚い布を靴下代わりに巻き付けて、ヌルヌル魔法で布とサンダルを接着してから革紐を縛る。


「久しぶりの学園ダンジョンだな。どうせなら魔法鞄くらい出て欲しいもんだ」


 王都の城壁内に存在するダンジョンは魔法学園の地下にある、大賢者アーバインが管理運営しているダンジョンだけだ。


 地下5層に広がる異空間と言われているが、それが事実かは大賢者しか知らない。


 王都所属の冒険者が木級から鉄級に、見習いから駆け出しに上がるのに必ず攻略しなければならないダンジョン。

 学園の生徒は3回生のうちに攻略しなければ退学になってしまう場所。


 俺は2回生の時にハンセンと2人で攻略した。


 攻略と言っても最下層に置いてある大賢者のお手製の札を持ち帰るだけでいい。ダンジョンボスの存在しないダンジョンなんだ。


 持ち帰った札は、学園の購買部でクジを引く引換券になる。当たりの中には、空間拡張、重量軽減、時間遅延効果の付いた魔法鞄も存在してたはず。


「ハンセンの魔法鞄ってあの時当てた奴だったよな」


 2人で攻略して帰って来た後に引いたクジ。

 一般的な馬車1台分の空間拡張と、重量9割軽減の付いた真っ黒の魔法鞄、めちゃくちゃ羨ましかったのを覚えてる。


 俺は筆記用具セットだった。あれはあれで使えたからいいんだけどな。


 ゴブリン革の軽鎧とホルスターを装着して懐かしい気持ちになった。3階層で出会ったゴブリンの革なんだよなホルスターの革は。


 色んな懐かしい思い出に浸りつつ準備完了。

 森に行くなら持つことは無い、父さんから貰ったエストックと、母さんから貰った短刀を左の腰に付けて、待ち合わせ場所に向かうとする。



 学園の正門の横に建ってるダンジョン入口、ここは様々な人が集まる場所。

住宅地や店舗で密集している王都で唯一広々とした常に晴れてる草原があるから。


 1階層は魔物なんか1匹も居ない、ただの広い空間だったりする。


 本当の入口は2階層に降りる階段の前に造られた受付。そこの前で営業してる屋台村の、ダンジョン受付に1番近い椅子にアイシャは座ってた。


「早いな、先に来てると思わなかったよ。おはよう」


 過去に1度も待ち合わせ時間より早く来た事は無かったんだけどな。会長室は別、本部会館の最上階が会長の自宅だから。


「やっと来た。結構待ちましたよ」


 何時もの制服姿のアイシャ。だけどここでは文句なんか言わない、学生がこのダンジョンに入る時は学生服が指定だから。


「朝飯食べながら今日の目的を聞くよ。俺はパンにするけどアイシャは何がいい?」


 余裕がある時くらい奢ってやってもいいよな……


「リリアがお金を使ってみたいって言って買いに行ってるんで、私の分は大丈夫です」


 最悪だ……今日は本気で最悪な日だ……


 なんでかって言うと……


「あら、愚民が私の親友の傍に立つなんておこがましいと知りなさい。いつまでもゴブリンのように惚けながら頭を上げていないで跪いて欲しものですわ」


 まさかこいつが来てると思わなかった……


 学園時代のアイシャも酷かったけど、アイシャに輪を掛けて酷かった奴。アイシャの親友リリア。


「申し訳御座いませんお嬢様。久々の事で失念しておりました」


 高位貴族の御令嬢で、なまじっか魔力が多く、広範囲に渡って効果のある魔法を得意とするから、退学すらなってくれない。


 そしてタチが悪いのは、ここから。


「あら、流石は愚民ですわね。御家族も纏めて国外追放くらいして差し上げないといけないかしら?」


 コイツはそれを本気でやる奴。同級生を家族ごと僻地へ飛ばしたり、一族ごと没落させたり。

 コイツの親の顔が見てみたいと思った事は数回じゃ効かないくらいだ。


「リリア、今日は先輩の案内で先輩の持ってる魔導書に登録されてる悪魔の力を回収に行くんだから、国外追放とかしないでよね」


 あっ……まずった……俺の腐り魔法が、ここのダンジョンの川の中に居るアメーバーだって昔教えたんだ。


 あの時は嬉しくて、学園のダンジョンにも悪魔憑きが居るって教えちゃったんだよな……


「あら、そうでしたわね。今日の所は無礼を許しましょう、案内しなさい」


 くそう……教えなきゃ良かった……




 受付で手続きをして、入場料の大銅貨を払って、2階層への階段を俺が先頭で降っていく。


「あら金級の冒険者と会ったのですか? それは羨ましい」


 後ろにはワイワイ雑談する2人。


 2階層も、ただ広いだけの草原だから警戒する程の事も無いんだが、ここは野犬や角兎が出る。多少は緊張して欲しいものだ。


「去年まで毎週のように噂になってた【南風】のお2人は凄いオーラだったよ、なんて言うかな……猛者って言えばいいのかな?」


 ダンジョンの不思議、必ず一体は悪魔憑きの魔物がいるんだ。それも必ず同じ種類の。


「ああ、その2人でしたら、2年前の褒賞会で拝見しましたわよ。確かにオーラが凄かったですわね」


 つまり、このダンジョンに必ず出る悪魔憑きはサルモネラー。俺は腐り魔法を習得したけど、アイシャが同じ腐り魔法を習得出来るかは運だからな……


「そろそろ野犬や角兎が出ますから、お2人は警戒を怠らないようにお願いします」


 まあ警戒って言っても、くるぶしまでしかない草の生えた草原だから、野犬も角兎も遠くから認識出来るんだけどな。


「あら。めんどくさいですわね。怒り狂う風と炎の饗宴」


 うわっ……やりやがった……


「ちょっとリリア。こんな所で広範囲殲滅魔法とか止めてよ。私まで暑いじゃない」


 リリアが両手で空中に書いた魔法陣、一瞬で描き上がった魔法陣から、たぶん10km四方はある草原フィールドなのに、俺達の目の前から目視で確認出来ない所まで炎と竜巻が進んで行って……


「3階層への階段まで処理しておきました。行きましょうアイシャ」


 お前達は良いよな……聖女の加護が付いた制服を着てるから……金持ち共め。


 俺なんてゴブリン革の軽鎧だぞ、足元はサンダルの。焼けた土が熱いったらありゃしねえ。


「どうせ1日もすれば元に戻りますわ。さっさと目的を終えて帰りましょう」


 とんでもない奴と一緒に行動しなくちゃなのか……




 アイシャもアイシャで凄かった。


 3階層は森フィールド、虫型の魔物や植物系の魔物がソコソコの数生息してて、ゴブリンの集落もある。


「えへへ、昨日手に入れたんだこれ。ちょっと耳を塞いどいて」


 リリアに向かってそんなことを言うアイシャ。俺はどうすりゃ良いんだよ、とりあえず塞いどくか。


 そう思って両手で耳を塞いだ瞬間、空気が爆ぜた気がした。


 とんでもない轟音が鳴り響く3階層、これはオーガの咆哮に近い音のような気がする。大きさは段違いだけど。


「オーガソウルって名前の魔法なんだ。雑魚い魔物が近寄って来なくなるんだって、至近距離で発動されたら鼓膜が破けるなんて書いてあるし」


 俺の耳は人間のそれよりかなり良い。つまり、俺の耳はキーーーンと鳴ってるわけで……


「あら、無礼な男共を追い払うのに丁度良さそうですわね」


 魔物が逃げ出す程の音を出すのに、それくらいの事で使わないでくれ。そう思いながら4階層へ降りる階段に向かって歩こうとしたら……


「森の中を歩くなんて耐えられません。燃えろ赤色の日輪」


 またやりやがった……馬鹿じゃないのか? 音もなく森を一瞬で蒸発させるとか……


「うわあ、毎回その魔法を見て思うけど、効果範囲に居たら即死だよね」


 唯一の救いは効果範囲に指定された場所だけ蒸発してしまう所で、範囲を出れば影響は受けない。


「今日は私達が最初の挑戦者ですのよ。誰にも追い越されて無いのですから、私達の前に誰か居るはずもありませんわ」


 そこは確認したんだな。良かった良かった。

 

「私の魔法はここまでですわ、後はお任せしましたわよ」


 リリアが、こんな威力の魔法を瞬時に発動して使えるのに首席じゃない理由が超絶に悪い燃費。たった2発で魔力が空になるそうだ。まあ、あの威力なら頷ける気がする。


 どうせ目的地の4階層階段すぐの水場まで安全になっただろうし、2人を護衛しながら進むのは大変だったろうから気にしないでおこうかな。


 でも俺って必要だったか? サルモネラーの居場所だけ教えれば良かった気がするんだが……



 4階層に向かう時にアイシャから色々質問された。


「先輩は何処で【南風】のお2人と知り合ったんですか?」


 これは内緒にする様な事でもない。


「俺が1回生の時に冒険者ギルドのロビーでな」


 あの時は……


「あら、愚民にも金級の冒険者の知り合いが居るのですね」


 コイツの事は無視。


「田舎から出て来たばかりの俺が、悪質な冒険者に騙されそうだった時に助けて貰ったんだ」


 俺がまだ都会の荒波に揉まれる前の純粋な少年だった頃だな。

 アイシャもリリアも黙ってるから、続けろって事なんだろう。


「そんな奴らの言う事聞いて上納金なんか払ったって強くなんかなれる訳ないだろ。なんて言ってな」


 毎月金貨3枚払えば強くしてやるって言われたんだよ。


「今じゃ何処で野垂れ死んでるか分からないような冒険者達に絡まれて、助けられてからの付き合いだよ」


 色々な事を教わった。今ではいい思い出だったりする。



 雑談をしながら4階層階段近くの水場に到着。


「ここの水の中に居るブヨブヨした水棲魔物の中に居るはずだけど、1匹ずつ確認するか?」


 アイシャにそんな事を聞いたら、アイシャが腰に付けてるポーチを外して……


「こうしたら全滅ですよ」なんて言いながら液体をポーチからダバダバと出して水場に投入してる。


「それって聖水?」


 毒だったら大変だよな……この水場って飲用だし。

水場に住んでる水棲魔物は襲って来たりしない、ただ水を綺麗にしてくれるだけ。


「そうですよ。大樽3個分常に入ってるんですよ」


 聖水って小瓶1つ1銀貨だぞ、何本分だよ……なんて考えながら水場を覗いて見れば。


「全部浄化されてる……」


 弱い魔物に聖水って猛毒なんだよ。水場の中に居た水棲魔物達は少しだけプルプル震えて動かなくなってしまった。


「おっ、来ましたよ。新しいページ増えました」


 水の中に気を取られて魔導書が光る所を見れなかった。滅多に見れるもんじゃないから見たかったのに。


「ふむふむ、アメーバーですか……物を柔らかくする……」


 ん? アメーバー? ここに居る悪魔憑きはサルモネラーじゃ? そう思ったけど言わない方が良いな。


 だって嬉しそうだし……


「俺は最下層まで降りて札を取って帰るけど2人はどうする?」


「アイシャの用事が終わったなら帰りますわ」「リリアが帰るなら私も帰ろうかな」


 やった! これ以上ゲンナリしなくて済む。




 結局の所、4階層を抜けたら最下層は小さな部屋で、そこに置いてある小さな札を持ち帰って引いたクジで当たったのは筆記用具で……


 真面目に素材集めしろって神様に言われてる気がした。



 

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