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「あーつーいーよー」

 先生が俺の後ろでさっきから同じ言葉を延々と繰り返している。

「しょうがないじゃん、夏なんだから。そんなことよりもほら、さっさと歩いてよ」

「え~、無理だよぉお! いったっ!」

 ふらふらとだらしなく歩いていた先生は突然、俺の後ろですっ転んだ。

「……いったー。痛いよ~、藤崎く~ん」

 硬い床に勢いよく膝をぶつけた先生は、床に転がってうめき声を上げている。

「先生、大丈夫?」

「う~ん。……まったく。誰だい、こんなところにペットボトルを置いたのは」

 見ると先生の傍らには飲みかけのペットボトルが転がっていた。ここは体育棟だし、恐らく運動部員が置いたものだろう。今日は朝から暑いし、最近は熱中症対策とかで水分補給は小まめにするようにと再三再四言われている。

「置きっぱなしにするのもよくないけどさ、ちゃんと周りを良く見てしっかり歩いてれば転ばないだろ。げんに俺は転んでないし。先生は、まったく」

「藤崎くんが厳しい。こんなことなら、外になんか出るんじゃなかった。もう、私はこころの相談室に帰るよ」

「はぁ……。事件現場はもうすぐそこだろ。早く立ってよ、先生」

「……ん? これは」

 泣き言を言っていた先生は急に立ち上がると、俊敏な動きで辺りを見回した。そして、体育館の方を向くと動かなくなった。先生の視線の先、体育館からは、女子運動部員たちの掛け声が漏れてきている。

「女子高生の頑張る声だ……。ねえ、藤崎くん。調査ついでによっていこうよ。バレーボール部はなぁ……。たしか、森岡さんが抜群に可愛かったんだよなぁ。いや、でも、体育館と言うことはバスケットボール部かもしれない。だったら私は」

「先に事件現場な」

 俺はようやく立ち上がったロリコン野郎に冷たく言い放って歩き出した。

「待ってくれよ、藤崎くん。君も女子高生には興味があるだろう」

 まったく、こいつはどうしようもない。俺だって可愛い女子に興味が無いと言えば嘘にはなる。でも、男子高校生が同年代の女子高生に興味があるのと、大の大人が女子高生に興味があるのとでは、全くその意味合いが違ってくる。しかもこいつは、スクールカウンセラーとしてこの高校で働いているカウンセラーなのだ。いったい、誰がこんなロリコン変態カウンセラーを採用したんだ。

 そんなことを考えんでいる内に、俺と先生は問題の現場に到着した。とっくに清掃され、現場には事件の跡形もない。

「あー、やっぱり暑いよぉー」

 大きなガラス窓から入ってくる直射日光をけて、先生は日陰になっているトイレの方へと身を隠した。

「もー、燃えちゃうよぉー……」

「暑いぐらいで燃えるわけないだろ。バカなこと言ってないで、ちゃんと調査してよ」

「なにを言っているんだい、藤崎くん。太陽光の熱を甘く見たらいけないよ。なんせ太陽の熱を使って目玉焼きだって焼けるんだからね。私が何のために白衣を着ていると思っているんだい? 白は黒に比べて光を吸収しにくいからだよ」

「先生はどうせ一年中、白衣だろ」

 先生は急に黙り込んだかと思うと、辺りを見回した。

「……そんなことより、もうすっかり清掃されているじゃないか。こんな所を調べたって、なんにもならないよ。さあ、さっさと変えてってアイスを食べよう」

 強引に話題を変えようとした先生の背後で、突然、女子トイレのドアが開けられた。

「わっ……」

 トイレから出てきた女子は、目の前にいる見慣れない長髪の男に驚いた様子で、まるで小動物のように縮こまったかと思うと動かなくなってしまった。

「これはこれは。藤崎くんと同じクラスの白瀬しらせさんじゃないか。我校が誇る美少女の中でも随一の大人しい系美少女だよ。こんなところでお目にかかれるだなんて……。あのぉー、写真を撮らせて頂いても」

「おい、変態。困ってんだろ。止めてやれよ」

「おっと。これは失礼致しました。でも、ちょうどよかったね。白瀬さんも、同じクラスだろう。私たちは今ね、斎藤くんが起こした事件について調べているんだ」

「えっ?!」

 大人しい白瀬さんは目に涙を浮かべ、怯えた様子で先生のことを見ている。俺は可哀想になって先生を止めた。

「止めろって、先生。白瀬さんが怯えてるだろ」

「ご、ごめん」

 俯いて大人しくなった先生を横目に、俺は白瀬さんに声をかけた。

「ごめんね、白瀬さん。こいつ、こんなんだけどこの学校のスクールカウンセラーでさ。ほら。覚えてるかわかんないけど、うちの学校にこころの相談室とかいうのがあるって、前に先生言ってたじゃん。あそこにいる奴でさ」

「そっ、そうなんだ……」

 白瀬さんは落ち着かない様子で、持っていたカバンを隠すように後ろで手を組み後ずさりした。だいぶ怯えているようだ。

「ほら、先生。ちょっと離れろよ。白瀬さん、先生に怯えてるんだからさ。先生がそこにいたら、白瀬さんも通りづらいだろ」

「あっ、ごめん。私としたことが。申し訳ありません、白瀬さん。さあ、お通り下さい」

 トイレのドアの前に立ち塞がるように突っ立っていた先生は、俺に言われて後ろに下がると、白瀬さんに道をあけて優雅に一礼した。

「じゃ、じゃあね。藤崎君。と、カウンセラーの先生」

 白瀬さんはぺこりと頭を下げると、逃げるようにして立ち去ってしまった。そんな彼女の後姿を見つめながら、先生はポツリと呟いた。

「白瀬さん……。運動部でもないのに、何でわざわざ体育棟のトイレまで来たんだろうね……。もしやこれは、運命かもしれない! 私と巡りうために」

「馬鹿なこと言ってんなよ、先生。……忘れ物でも取りに来たんじゃない」

「忘れ物?」

「うん。そういえば、白瀬さん。斎藤が事件を起こす前にトイレに入ってたみたいでさ。斎藤が先生に怒られてる横を、みんなの前でトイレから出てきて。恥ずかしそうに俯いて更衣室に戻ってったんだよ。災難だったよなぁ……。あの大人しい白瀬さんだからさ。怒鳴り声が聞こえて、怯えてハンカチでも落としちゃったんじゃない」

「ふ~ん……」

 先生は急に、どこを見るともなしにどこかを見つめ、静かになってしまった。

「どうしたの、先生?」

「……いやぁ、白瀬さんの肌。白くてすべすべで、本当に綺麗だったなぁ、って。おまけにちゃんと挨拶のできる良い子だったね」

「……」

 俺が言葉を失っていると、先生は元気に歩き出した。

「さあ、暑いしもう帰ろう」

「何言ってんだよ、先生。まだなにも調べてないじゃん。そんなんじゃ、アイス買ってやんないぞ」

「だってもう、わかっちゃったんだもん。それとねぇ、藤崎くん。藤崎くんが私に買うべきものはアイスじゃなくて、ストロベリーサンデーと宇治金時かき氷とサイダーだからね。間違えないでくれよ、まったく」

「えっ?」

 俺は思いもよらない先生の言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「だから、ストロベリーサンデーと宇治金時かき氷とサイダー」

「そうじゃなくて。先生。今、もう、わかったって言った?」

 俺に詰め寄られて先生はそっぽを向く。

「いや、まあ、たぶんだけどね……。まだ、確信は持てないけれど。十中八九、わかったと思うよ」

「本当に?! じゃあ、謎解きしてよ!」

「う~ん、仕方ないなぁ……。じゃあ、みんなをここに集めてよ」

「みんな?」

「うん。斎藤くんと体育の先生……は恐いからなぁ、いいや。後、担任の若村先生。それから、白瀬さん」

「白瀬?」

 俺は予想外の人物の名前が出てきて、またも素っ頓狂な声を上げてしまった。

「言ったろ。まだ確信が持てないって。その確信を得るためには、彼女が必要なんだ。そう。僕には彼女が必要なんだ。可愛い女の子が見ていてくれないと」

「……呼ばなくていいかな」

「そしたら謎解きができないよ。いいの?」

「……本当に必要なんだろうなぁ」

 俺は先生を疑いながらも、ポケットからスマホを取り出した。先生はそれを見届けると、さっき行こうとしたのとは逆方向に歩き出した。

「じゃあ、私はちょっとお手洗いに行ってくるよ」

「また行くのかよ!」

「だからぁ、暑かったからジュースを飲み過ぎたんだって」

 そう言いながら当然のように女子トイレに入ろうとする先生を、俺は見逃さなかった。

「先生。そっち、女子トイレ」

「うん、ちょっと事件の調査にね」

「もう、わかったんだろ? それに、女子トイレに何を調査しに行くんだよ」

「それは……、企業秘密だよ」

「……」

 俺は無言で先生の細腕をつかみ思いっきり引っ張ると、男子トイレへ蹴り入れた。

「いったぁ! 痛いなぁ、まったく。藤崎くんは乱暴なんだから」

 俺は先生がちゃんと男子トイレに入るのを確認してから、再びスマホに目を落とした。

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