小便小僧のボヤ騒ぎ ~蝿川拓郎の謎解き日誌 落丁の四十頁~

木村直輝

 


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「先生! 事件だ!」

 俺が勢いよくこころの相談室のドアを開けると、デスクに突っ伏していた先生が、がばっと顔を上げた。

藤崎ふじさきくん! 待ってたんだよ、君が来るのを」

「え?」

 俺は予想外の言葉と勢いに少し面食らってしまい、呆然と先生の顔を見つめた。

「私は今ね、途轍もなくアイスが食べたいんだ」

「……う、うん」

「でも、今日は朝からものすっごく暑いだろう。だから私は外に出たくないんだ」

「うん」

「だから、藤崎君。アイスを買って来てくれよ」

「うん……、何でだよ! 自分で買いに行けよ!」

「お願いだよ~。お金はいつかそのうちその気があれば返すからさぁ~」

「返すって、先生。俺の金で俺に買いに行かせるつもりだったのかよ! しかもその気があればって、絶対ないだろ、その気!」

「だって~、お金ないんだも~ん」

 デスクの上に突っ伏して駄々をこねるこの男が、俺にはどうしたって大人には見えなかった。もちろん、その見た目は明らかに大人ではある。百七十センチはあるだろう細身の体にピタッとしたスラックスをはいているところまでは年相応なのだが、よく見ればそのスラックスはシワシワで、いつも羽織っている白衣もヨレヨレ。なぜかさらっさらの髪の毛を腰まで伸ばしているし、なによりもこの言動である。

 こんな奴をスクールカウンセラーとして雇っているだなんて、うちの高校は終わっているんじゃないかと心配になる。だいたい誰が、高校生に金を出させてアイスを買ってこさせようとするような奴に、心の悩みを相談したいと思うのだろうか。完全に人選ミスだ。

「アーイース、アーイース。ソフトクリームー」

 甘党馬鹿のアイスコールがソフトクリームコールに変わった辺りで、俺はふと、ここに来た目的を思い出した。

「あっ、そうだ。先生! そんなことより事件だよ」

「そんなことって何だよ。私は今、たっぷりバニラのソフトクリームが乗ったストロベリーサンデーが食べたいんだよ」

「……わかったよ。事件の謎解きをしてくれたら、お礼に買って来てやるよ。その時俺に、その気があったらな」

「本当?! やったー!」

「うん。その気があったらな」

「スっトロベリーサンデーに、宇っ治金時かき氷~」

「おい、ちょっと待った先生。なんか増えてるぞ」

「そんなことより藤崎くん。事件っていうのはなんなんだい」

「……はぁ」

 俺は頭を抱え込みたくなって、ため息をついた。俺のこの悩みを先生に相談したら、先生は心理カウンセラーらしく話を聞いて、解決に導いてくれるだろうか。いいや、それは無理だろう。だって、この人がその元凶なんだもの。

 でも、一つだけ。このどうしようもない先生には、すごいところがある。だからこうして俺は、先生のもとにやって来たというわけだ。にわかには信じ難いのだけれども、こんなどうしようもない人でありながら、先生は抜群の推理力をもっている。それを俺は、実際に目の当たりにしているのだ。でなければ、誰がこんな奴に高い推理能力があるだなんてことを信じるだろうか。いいや、今だって信じられない。でも、もしも俺が。名探偵だと思う人物の名を上げるとしたら、ホームズやポワロと並べて、金田一少年や江戸川コナンと一緒に、蝿川はえかわ拓郎たくろうというこの男の名を上げるだろう。俺の目の前にこうして実在する、この男の名を。

「どうしたんだい、藤崎君。何か悩み事でもあるのかい? それならこの、蝿川拓郎が話を聞くよ。君のお金で、ストロベリーサンデーと宇治金時かき氷を食べながらね」

「うん、いいよ。聞かなくて」

 得意げに胸を張る先生に、俺は呆れつつ返事をすると、今日あった事件のことを話し始めた。

「えーっと――」

 それは、今日の二時間目の体育の授業が終わった直後の出来事だった。

 着替えを終えて更衣室を出た俺は、教室に向かう途中、体育の先生の怒鳴り声を耳にした。でも、体育の先生はだいたいみんな厳しいから、俺は最初、大して気に止めていなかった。どのくらい厳しいって、この間なんかほんの一分も経ってないぐらい遅刻した奴がいただけで説教が始まったぐらい厳しい。だから今日だって、一時間目の授業が少し延びてしまい、俺たちはこの間の二の舞にならないようにと慌てて更衣室に走らされるはめになったのだ。

 けれど、トイレのそばを通りかかった時。人だかりができているのを目にして、俺は少し気になって、何が起きたのかを見に行くことにした。

 俺が行ってみると、人だかりの中心には大きな水たまりができていた。そして、その横で、同じクラスの斎藤さいとうが体育の先生にすごい剣幕で怒られていた。

 聞いてみると、なんとその水たまりは斎藤のおしっこだというのだ。話によると、早々に着替えを終えた斎藤は、持っていたライターとプリントを使ってここで火遊びをしていたらしい。するとその火が思ったよりも強く燃え上がってしまい、焦った斎藤は立ちションで火を消したのだという――。

 そこまで話を聞くと、先生は不思議そうな顔で俺に尋ねた。

「う~ん。確かにそれは事件だね。斎藤くんが、そんなことを……。でも、もう犯人も見つかっているわけだし。藤崎くんは私に、一体その事件のなにについて謎解きをして欲しいと言うんだい」

「それは……。先生は、この事件。なんか変だと思わないのかよ」

「変、と言うと……」

 斎藤は、うちの学校じゃあ勉強はできない方だけれど、悪知恵のよく働く面白い奴で、学年でも中々の人気者だ。持っていたライターだって、消しゴムの形をしたいわゆる面白雑貨というやつで、ウケ狙いで持ってきていただけのはずだ。俺には、斎藤が学校内で火遊びなんかするような奴だとは思えない。

 俺がそう訴えると、先生は少し悲しそうな、申し訳なさそうな顔で口を開いた。

「藤崎くん。残念だけど、それは君の願望じゃないかい? 斎藤くんは、自分が火遊びをしていて、思ったよりも燃えてしまったから立ち小便で消したんだって。自分で認めているんだろう?」

「うん……」

「だったら私にはどうしようもないよ」

「でも……、斎藤。このままじゃ、退学かもしれないんだぜ――」

 うちの高校は比較的真面目な進学校である。ライターを持っているだけでも見つかれば相当怒られるだろうに、そのライターを使って校内で火遊びをしていたともなれば、処分は免れないだろう。ましてや火事になりかけて、廊下で立ちションしただなんて。退学になってもおかしくない。

「――それにさ、なんか変だろ。何であんなすぐばれるようなところで火遊びなんかするんだよ。しかも、体育の授業が終わってすぐ、着替え終わってすぐにだぜ。しかも、すぐそばにトイレがあるんだぜ。水道だってすぐそばなんだし、なんでよりにもよって立ちションで消すんだよ。……まあ、それは焦ったのかもしれないけどさぁ。とにかく、不自然だろ」

 先生はしばらく黙って考え込んだかと思うと、俺の目を見て口を開いた。

「うん……。確かに少し不自然と言えば、不自然だね。わかったよ。少しだけ調べてみよう。でも、もし君の納得のいく結末にはならなかったとしても、しっかりストロベリーサンデーと宇治金時かき氷とサイダーは奢ってくれよ」

「サイダー? なんか増えてない?!」

「一・五リットルね」

「一・五リットル?! でかくね!」

 まったくこの人は高校生にいくらたかるつもりなんだろうか。俺は頭を抱えなが立ち上がった。

「じゃあ、先生。さっさと行くよ。今ならまだ、斎藤も学校にいるし」

「そうなののかい?」

「うん。たぶんまだ、反省文とか書かされてるはずだし」

「そっか。じゃあ、処分が確定する前に急がなきゃね。でもその前に、ちょっとお手洗いね。今日は本当に暑かったからさぁ。ジュースを飲み過ぎちゃって、お手洗いが近いんだよ」

「はぁ……」

 こうして俺と先生は、事件の調査のために体育棟へと向かったのだった。

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