第4話 知性と『におい』

 夕刻、「シュライエン」隠れ家。結論から言えば、調査は進展がなかったと言わざるを得ない。

 ライムはあの後ティルと二人で調査に出たが、自分達と他メンバーの話を総合した結果、もはやデッケル・ボーデン全域といっても遜色ないほどに広がっている。

「二つの可能性が考えられますね」

 情報を纏めた後、オールバックの眼鏡――エーミールがそう呟く。調査の道すがらティルが思い出したように彼らの紹介をしてくれたので、今は顔と名前が一致する。

 彼の言う「可能性」は、ライムも思い至っていた。

「既にかなりの速度でモノが拡散されているか、あるいは何らかの情報統制が敷かれているか……ですか」

「左様です」

 それはやはり全員が辿り着いた結論のようで、見回せば皆一様に頷いている。

「それについて、だけんど」

 すると、途中から調査に参加してくれた――予定が合わないらしく遅れて参加する、と言っていた二人のうち一人だ――パーカー姿のやや筋肉質な青年、コンスタンティンが口を開いた。

「俺達の聞いた中に、薬はかなりの上物っちゅう話があっとォだな。それで噂になって、あっという間に広まったってのは考えられんけ?」

 ハイスネーデル東部の独特な訛りで、エーミールと、その傍らに立つもう一人に伝える。これには、エーミールではなくもう一人の方が答えを返した。

「その話は、僕も何度か聞いたな。ただ……みんな口を揃えて、あのクスリはいいものだー、ばっかり。判断材料に欠ける」

 ティルの「最高の悪友」だという、クリストフ。柔和そうなたれ目、後ろに束ねた長髪。絵に描いたような紅顔の美少年。初めて見たときは、その気もないのにうっとりと見とれてしまった程だ。

「仮に情報が統制されているとして、それで得するのは誰だろうか……。そう考えると、こういうのはどうだろう」

 クリストフが、考えるときの癖なのか右手で左目を隠しながら、続ける。

「麻薬の成分に、軍しか存在を知らない成分が含まれている」

 それを聞いて、ライムは息を呑んだ。

「で、それの売人が軍内部の人間で、それ故に売人自身が発生位置をばらけさせている。自分の位置を特定しにくくしている」

 背中を冷や汗が伝う。

 誰かがいずれそう考えるであろうことは予想していたし、その時は捜査から手を引いてもらう予定だった。だが、こうも早く結論を出されるとは想像もできなかった。想像力が旺盛だと片付けるのは容易いが、もし突っ込んだ質問をされてろくな返答が自分にできようものだろうか……?

 努めて平静を装いはするものの、心臓が早鐘を打つ。話がろくに頭に入ってこない。

「デスが、それだと突飛すぎやしマセンか?オレはもう少し情報が必要かと」

「そいつぁそうだ。さすがにこれだけじゃ纏めきれんだろ」

 KGとティルが異議を申し立て、さらなる調査が必要ということになった。明日の午前十時頃にまたここに来ることを告げ、未だ脈が収まらない心臓を抱えて帰路についた。



「へえ、そいつは大したもんだ」

 昨晩の残り物のチキンカレーを食べながら、マリオンが言う。

「大したもんだ、じゃないですよ。ばれるんじゃないかってヒヤヒヤしてたんですから」

「確かにそりゃ災難だったが、それだけ頭がいい奴が味方にいるってのは良いもんだぞ?」

 そう言って、親指で自らを指し、

「アタシみたいにな!」

 と、腹が立つ程の良い笑顔。

 ライムがジトッとした目で見つめつつ言葉を返そうとすると、事務所の扉がノックされる音。

「こんな時間に…お客さんでしょうか」

「えー、もう疲れた。追い返してよ」

 はいはい、とライムが事務所に向かい、扉を開く。

 そこには、夕方に別れたばかりの小柄な少年……パウルの姿があった。


 ひとまず上がって貰って、ホットココアを出す。それを一口飲むと、パウルは口を開いた。

「あの、ライムさん。どうしても気になったことがあって」

 机を挟んで向かいに座るライムと、その横のマリオン。二人を一瞥して、彼は言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。

「何か隠していること、ないですか?」

「……どうして?」

「クリスさんが軍の話を出した時、少し動揺しているように感じたから」

 そんな馬鹿な。ライムは驚いていた。自分とて諜報員の端くれ、感情を制御する術は心得ている、つもりだ。だがまさか顔に出てしまっていたか……。

「悪く思ったらごめんなさい!なんか、ライムさんのにおいが変わったような気がしたんです。なんか、ドロッとした感じっていうか。こう……分かりづらくてすいません、でも、おいら鼻が利くから」

 おどおどしながら、パウルが慌てたようにまくし立てる。

「へえ……大したもんだ」

「先生!?」

 喜色満面、といった声音で、マリオンが返す。驚いてその顔を見れば、そこにはいつものへらへらした笑顔ではなく、捜査中の彼女が浮かべるどこか獰猛な微笑。汗の臭いが状況によって微細に変わるという話は、以前マリオンから聞いたことがあるが、それを嗅ぎ分けるとは。

「パウルっつったっけ?お前、なかなかやるね」

 素直に感心しているようで、彼を誉める。雰囲気の変わった彼女を見て怖くなったのか、それでも褒められたのは嬉しいようで涙目で笑顔を浮かべるパウル。

「あの、コロちゃん……ヒルデガルトも、そんな風なこと言ってたから。だからおいら、どうしても気になっちゃって」

 そこまで一気に言って席を立ち、早々に帰ろうとする。ニット帽を手で押さえつつ頭を下げ、一呼吸おいてやんわりと続ける。

「でも、答えを出せない理由があるんなら、いいです。おいら興味で動いただけだから」

 すると、マリオンが彼を呼び止めた。

「まあ待ちなよ。どうやら、なかなか見どころのある奴らのようじゃないか」

 夕飯でも食べていけ、と声をかける。パウルは固辞したが腹の虫は正直だったようで、カレーの匂いに反応してぐう、と音を立てた。

「がぅ」


「でも、『におい』ってのはどうして分かったの?鼻が利くって言葉じゃ片付けられないと思うけど」

 どうやら相当腹が減っていたらしく、二杯目のカレーをぱくつくパウル。口の端に米粒がくっついているのを可笑しく思いながらも、ライムは尋ねてみた。

「あ、あのその。なんていうか、分かるんです」

 すると、彼はなにやら言葉を濁す。

「えっと、なんて言うのかな。こう……うまくは言えないけど、空気が変わるっていうか」

 しきりに頭に手をやりながら、もじもじと答える。その手を置くのは、一向に取ろうとしないニット帽。

「その帽子、取らないの?」

「こ、これはだめです」

 ふと気になって聞いてみると、慌てて頭に両手をやるパウル。

「……その中に、なんか秘密がある気がするんだよなぁ。例えば……」

 ぼんやりと彼の頭を見つめながら、独り言のように呟くマリオン。

「狼の耳でも隠れてるとか」

 「なんとなく」のニュアンスが込められたはずのその言葉に、彼はやたらとぎくりとする。

 すると、その取り乱した拍子に、何かがニット帽を押し上げた……ように見えた。きゅっ、と深くニット帽を被り直すパウル。

「なんつってな、カレー美味かったかい?」

「は、はい」

「大体見当がついたよ、そういうのに詳しいやつに声を掛けてみる」

 なんとなく胡散臭い笑顔で、そういうマリオン。

「今日はもう遅い。ライム、そのちっこいのを送ってやんな」


「そういうの……って、どういうことなんでしょう」

 オレンジ色の街灯に照らされても、夜の街から暗さは拭えない。それはパウルの心も同様のようだ。初めてあった人間にあんなことを言われてはそれも道理だ、とライムも思う。

「あんまり不安がることないよ。先生は、ちょっと秘密主義が過ぎるとこあるから」

「はあ」

 なんとか励まそうとするも、パウルは浮かない顔。

「……あ、ここで大丈夫です。ありがとうございました」

 二階建ての集合住宅、その前で彼は足を止めて、ぺこりと頭を下げる。

 不安が消えないのか、階段を一向に登ろうとしない彼に、ライムは声を掛けた。

「さっきの言葉は、信じてもいいよ。先生は、色んなところに顔が利くから」

「あ……ありがとうございます」

 それを聞いて、少し笑顔が戻ったパウル。ほっと胸をなでおろす。

 彼に手を振って背を向け、微かに呟いた言葉は、夜の闇に溶けて誰にも届かない。

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スティルスライム S/Till S/Reim 斜田キヨマサ @Ki4masa

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