第1話 探偵と野盗

 ハイスネーデル連邦国。国土に複数の活火山・休火山を持ち、地熱を利用した蒸気機関の発展を基礎とする多くの技術と、それに伴った観光資源の充実によって栄える国家である。

 地熱の効率的な採取とマグマ災害予防を目的として、複数の層を持つ高床式に作られた首都マルツリンデ。その外観は、芸術的とまで例えられる。更に北部地方では温泉が汲み上げられることも相まって、他国では「生涯に一度はハイスネーデルを訪ねよ」とまで言われるという。

 しかしながらその内情たるや、上の二層であるヒンメル・ヴォルケン両地区の華美な街並みに住めるのは、高所得層か国軍所属の人間のみ。一般市民の多くは昼でも日の射さぬデッケル地区か、更にその下、地表にあるボーデン地区に住むという、視覚的にも明らかな格差構造が出来上がっている。

 先刻路地裏で野盗を退けた少年が、買い物を紙袋に満杯にして帰り着いたのは、デッケル地区の西のはずれに居を構える「シュテッフラー探偵事務所」。扉を開くと、質素な事務所内に似つかわしくない豪奢な革張りの椅子に腰かけた、これまた似つかわしくない美女が、整った身なりの壮年男性と話をしていた。

「失礼しました、先生。お客様ですか」

「ああ。おかえり、ライム。すまんな、もう少しかかりそうだ」

「じゃあ、夕飯の支度をしておきますね」

 ライム、と呼ばれた少年は言葉を返すと奥のキッチンに向かい、買ってきた食材を棚へしまう。

 調理を始めてややもすると、事務所の方で人が動く気配。

 来客を見送った女が、依頼の資料だろう紙束を手に台所に顔を出してきた。

「今日の晩飯は何だい?」

彼女はこの探偵事務所の主、マリオン=シュテッフラー。デッケルの花とあだ名される、美貌の女探偵である。

「今夜はチキンカレーですよ」

「なんだよ、また鶏肉?たまには牛肉とか食いてえよな」

 このやたら粗野な言動を除けば、の話だが。

「無茶言わないで下さい、高価なんだから」

「そしたらその高価なのを買ってくりゃあ良いじゃねえか」

「だめです、ただでさえ最近カツカツなんですから。それにまだ資料の整理が残ってるんじゃないですか」

 マリオンはその言葉に面倒臭そうに返事すると、資料とにらめっこしながら事務所の方へと戻っていった。


 仕事が片付いた頃には、すでに食事の準備が整っていた。

「牛肉食べたいー」

「だだこねないでください」

 いまだ食い下がりながらも、なんだかんだ美味しそうな顔のマリオン。

「ぎゅーにくー」

「だめですよ!今日なんて野盗に襲われたんですから」

 その言葉を聞くや否や、マリオンの顔色が変わる。彼女は居住まいを正し、不思議な冷酷さすら帯びたような表情でライムに問う。

「一応聞く、そいつらどうした」

 その身から真っ黒なオーラが溢れ出ているような感じすら受けるほどに、彼女の放った空気は重い。

「ちょっと驚かせただけですよ」

 その迫力にも、気圧されることなく返答するライム。しかしそれを聞くと安堵したのか、彼女は元通りの人を食ったような笑顔で、付け合わせのサラダに手を伸ばす。

「それならいい、日常こそ修行の場って言ったのはアタシだ」

 そう言われてライムもホッとしたような顔で食事に戻るが、ポツリと呟いた。

「甘すぎます」

「そうか?いい感じに辛いと思うけどな」

「違いますよ。カレーの話じゃなくて、先生のことです」

 叱られる覚悟は、常から持っている。それなのに、いつもこうだ。どこか尊大な態度で、結局責めもせず肯定する。マリオンはそういう女で、自分以外に対しても彼女が腹を立てているところを見たことがない。それを問えば、決まって返ってくる言葉がある。そして今日も、スプーンでライムを指しながら。

「アタシは褒めて伸ばすタイプなんだよ。それに、甘さってのは大事なんだ。その甘さを無くしちまったら、そりゃもう人の心じゃねえ」

「そう、ですか……」

 何度も言われるその言葉の意味は、未だによく分からなかった。



 時計の針はとうに日付を跨いでいる。マリオンは、夜の街に聞き込みに出た。おそらく夜が明けるまでには、それなりの情報を持って帰ってくるだろう。

 事務所上階、ライムの私室。人間、時として眠れない夜というものがある。ライムにとって、今日がまさにそんな日だった。

 こんな日には、ちょっとした運動をすることにしている。部屋の窓を開け、濁った思考を振り払うように夜の空気を吸い込む。常に蒸気を受け続ける地熱発電施設や、街の空気を動かすため各所に設置されたファン、それらの微かな音とともに、冷たい空気。初夏とはいえ、まだ夜は冷える。

 彼の姿は、フードのついた袖なしのジャケットにショートパンツ、指貫きグローブ、ワークブーツ。いずれも暗い灰色。そして露出したはずの肌は――より正確に言えば、首から下全て――黒い何かに覆われている。

 デッケルの夜を取り込むように数度深呼吸した後、おもむろに窓に向かって駆け出す。窓枠を蹴り、屋外へ。隣接した建物の外壁を這うパイプを掴み、一息に屋根の上へ登る。そのまま数件屋根伝いに駆け、路地裏の開けた場所を見つけるとそのまま飛び降りる。前転して着地の衝撃を殺し、そのまま体術のトレーニングを始める。普段ならば。だが、今夜は少し様子が違った。

「手前ェ……さっきのヤツか?」

 聞こえた声に振り向けば、軍人のようないかつい黒のジャケットに、カーゴパンツの男。夕方に追いかけられたストリートギャングの中でも、リーダー格だった一人だ。

「何の事?」

「見間違えると思うか?とんでもない目に合わせてくれやがって、黒い化けモン!」

 相手は明らかな敵意とともにそう返しながらジャケットを脱ぎ捨て、タンクトップ姿で拳を構える。

「ちょっと待ってよ。その化けモン、ってのはどんな見た目だったのさ」

「手前ェとおんなじ、全身真っ黒の姿だ」

 しらを切ってはみるも、相手に引く様子なし。状況の回避はできそうにない。

「さっきは散々驚かせてくれやがって……借りを返させてもらうぞ!」

 言い終わるかといったところで、飛びかかるように拳を打ち込んでくる。体を反らしながら躱すと、更にわき腹を狙った拳。更に大きく反らして避け、手を地面に着いたのと同時に襲い来た足払いをバック転で回避。その後も数発撃ちこまれるが、ことごとくを反撃せぬまま躱し続ける。

「ちょこまか避けやがって…どうせその黒いのの力だろ!?」

 彼の苛立った言葉はもっともで、体格も身長もライムの方が明らかに劣る。何かタネがあると思う方が道理だ。

 しかしそれに対しライムの返答は、

「これ、ただの布だよ」

 の一言。

「は?」

「ほら」

 触ってみろ、とでも言いたげに腕を突き出すライム。それに面食らったのか、相手も素直に感触を確かめてくる。確かにさらさらとした触り心地。

「なんだよ、マジで人違いかよ……俺はあの化けモンじゃなく、ただの全身タイツ野郎と戦ってたってのか」

「でも誰も傷つけてないからよかったじゃない」

「そいつぁ残念だ、俺の心が傷ついてる」

 毅然と言い放ったライムの言葉に、肩をすくめながら相手は返す。

「ありゃ……ごめん」

 いかな勘違いをしたか、素直に頭を下げるライム。その様子がますます妙だったようで、呆気に取られた顔でこう言ってきた。

「お前…変なヤツだな」

「そんなに変かな?」

 自分の服装を確かめるライムの姿が滑稽に映ったのか、思わず吹き出す相手。

「ははは……おもしれぇヤツだ、嫌いじゃないぜ」

 困ったような笑顔を浮かべながら、握手を差し出してくる。

「俺はティル。このあたりを縄張りにしてる『シュライエン』ってチンケな族の頭さ」

「ライム。シュテッフラー探偵事務所で働いてる」

 それを聞いたティルの顔が、みるみる苦虫を噛み潰したようになる。

「……あの女のとこか…」

「あの、うちの先生が何か」

 問われたティルは、何故か慌てている。

「な、なんでもねえよ!?ちょっと聞いたことがあっただけだ!」

 何か必死に取り繕っているようだ。だが、ライムの背中にも冷や汗が伝う。なにせ心当たりがあり過ぎる。おそらく、彼もマリオンの「被害者」なのだろう。

 マリオンは滅多に酒を飲まない。だが時々やたら深酒して、夜明けごろ二日酔いを土産代わりに返ってくることがある。そして、そんな時はなぜか決まって翌日から妙な噂が街で囁かれる。それが彼女の仕業だと分かるのは、どの噂も要約すれば決まって「真っ黒い女の化け物が悪を懲らしめる」という内容だからだ。

 だが、流石にそんなこと口には出せようはずがない。

「そ、それもそうだね?この辺りだと探偵事務所なんてうちしかないもん。ね?」

「そうだっけ……?まあでも、確かにお宅の悪い評判だけは聞かねえな」

 思考を逸らすのには、なんとか成功しているようだ。

「まあいいや。とにかくなんかえらい化けモノがいるからよ、お前も気ぃ付けろよな」

 そう言って、背を向けるティル。

「いい気晴らしにはなった。帰って寝るとするわ」

「うん。またどっかで会うかもね」

 そう返せば、そんときゃ見逃してくれよ、と肩をすくめる。一時はどうなることかと思ったが、あちらもさっぱりした性格のようで、あまり大事には至らなかったのは幸いだ。そう考えつつ、ライムも帰途に着くことにした。

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