第7話 この美しい世界を

愛佳の瞳から、雫が流れ終わった後、愛佳は私から体を離した。

愛佳に「もう大丈夫? 」と聞くと、愛佳はいつもの柔らかな笑顔で「はい」と答える。

目を真っ赤に腫らせながら、愛佳は飛び切りの笑顔を見せてくてた。


私は自分の中で決意を固めた。その選択が間違っているかもしれない。後悔するかもしれない。でも私は皆の想いを決して無駄にはしたくなかった。

「理一。」

彼の名前を呼んでから、私は自分の前にいる稲倉町民全員を見回す。

「どうしたら皆を解放出来るの? 」

理一は泣く事も、苦しむ顔をする事もなく、ただ淡々と教えてくれた。


「安曇が心の底から願うんだ。『私はもう一人で歩いて行ける。だから全ての解放を』って。」

その声が、私の背中をトンと押してくれたような気がして、少しだけ心が軽くなる。

私は理一の瞳を見ながら、コクリと頷いた。それから再び、皆を見る。私は今、自分の想いをありったけ伝えた。


「私が皆を沢山苦しめた。きっと皆は辛かった日々かもしれない。でも私は皆のお陰で楽しかった。幸せだった。だから本当に・・・・・・本当に・・・・・・ありがとうございましたっ!!!!! 」


長い間、私は地面を見た。視界に入らない皆の、啜り泣く声が聞こえてきて、私も正直泣きそうになる。

でも私は絶対に泣かない。皆を笑顔で見送るのが、私の最後の役割だ。

私は大きく息を吸って、天にも届きそうな程の大声で叫んだ。



「——世界の解放を! 」



その瞬間、空から何かが降ってきた。雪の様に真っ白なそれは、この稲倉町を包み、一つ一つ壊していく。私もそれに手を伸ばすと、まるでこの町の人の様な温もりを感じた。

そして、一人、また一人と私の前から姿を消していく。その間、私は必死に涙を堪え、その光景を一生忘れないように目に焼き付けた。


「安曇ちゃん。」


私の名前を呼んだのは、私が大好きな親友だった。私の手を握って、笑顔で目を合わせる。


「わたくしは、安曇ちゃんに出会えて本当に幸せでした。沢山の思い出を、感情をくれた安曇ちゃんは、わたくしの中でヒーローでした。だから・・・・・・本当は・・・・・・っ」


愛佳の顔は段々歪み初めて、大粒の涙が私の手に落ちる。

ヒクッのと肩を上下に動かしながら、私に想いを紡いでいく。


「消えたく・・・・・・ありません・・・・・・! ずっとずっと・・・・・・一緒に居たい・・・・・・ですっ・・・・・・! でも、それは安曇ちゃんの足枷になってしまいます・・・・・・。だからわたくしは・・・・・・此処で安曇ちゃんとお別れします・・・・・・。安曇ちゃん、安曇ちゃんはわたくしが親友で良かったですか? 」


私は涙を堪える様に一瞬唇を噛んでから、すぐに笑った。

彼女が幸せな気持ちのままここから去れる様に、飛び切りの愛を込めて。


「もちろん、愛佳は私の大大大好きな親友だよ! 」


愛佳は泣いたまま、笑顔を作った。それは飛び切り可愛くて、愛佳らしい笑顔。

「わたくしもです・・・・・・! 大好きです、安曇ちゃん・・・・・・! 」


愛佳はそう言い残し、私の前から姿を消した。


彼女の温もりが微かに残り、それが私を包んでいく。最後まで、私は愛佳に守ってばかりだった。数え切れない程の恩を、私は彼女に返すことが出来なかった。けれど、言葉に出来ないほどに私は愛佳を愛しているんだと、そう心の中で唱える。

彼女の為にも、頑張らなくちゃと私は再び決意を固めた。


静寂に満たされた、壊れかけの稲倉町。そこに居るのは私と、そして理一の二人だけ。

私達はお互いに手を繋いで、話をした。

「あーあ、俺が最後かよ。悪運すぎるな。」

嫌々そうに言う理一に、私はいつもみたく、ちょっかいを掛けてみた。

「私と二人きりは、嫌なんですか? 私の彼氏なのに。この際だから別れてもいいけど? 」

こんな事言ったら、理一はきっと「上等だ」とか言っちゃうのかな。

なんて想像していると、握られた手を強く引っ張られた。

私の顔は理一の胸の中にすっぽりと収まって、彼の匂いに包まれる。


「嫌だ。何があってもぜってえ別れない。」


その言葉に、今まで耐えてきた涙が一気に流れ落ちてきた。

そうだ、理一の温もりに触れられるのはこれが最後。この先、もう一生。私は理一に抱き締められる事は・・・・・・無い。

私の頭を優しく撫でながら、沈みかける夕日を見つめている

ただひたすらに涙を流す私に、理一は静かに語り始めた。


「俺さ、最初お前が彼女だって知った時、正直言って嫌だった。何も知らず、自分の望むままにヘラヘラ笑ってるお前が、多分嫌いだったと思う。でもさ、一緒に居るに連れて安曇は世界一優しい人間なんだと気付いた。そしたら笑う顔も怒る顔も、全部が好きになって。今じゃ俺、安曇が彼女で良かったって思ってるよ。」


泣きじゃくる私に、理一は聞いてきた。


「なあ・・・・・・キスしてもいいか? 」


理一は私の肩を掴んで、顔を近付ける。私も瞳を閉じて、理一を待った。

唇から、理一の熱が伝わってくる。優しいそのキスは。


——最後のキスだ。


ゆっくりと顔を離して理一の足元を見ると、そこに彼の足は存在していなかった。

薄れていく理一の体を見て私は「嫌だ! 」と叫んだ。


「私・・・・・・まだ理一と居たい。やっぱり一人なんてなりたくないよ! 私、皆が居なくなった世界で生きる意味なんて・・・・・・無い・・・・・・! 怖い、怖いよ。理一・・・・・・消えないでよ・・・・・・。」


どうしてこの人の前だと、私は弱くなってしまうのだろう。

自分の両手じゃ抑えきれない程の涙が、私の顔をぐしゃぐしゃにする。

理一は殆ど消えてなくなった体で再び私を抱き締めた。

「・・・・・・大丈夫。安曇ならどんな事でも乗り越えていける。安曇は誰よりも強い人間だろ? 」

私は理一の胸の中で首を横に振った。

「強くなんて・・・・・・ない・・・・・・。私、理一や愛佳が居なくちゃ・・・・・・弱い人間なの・・・・・・。」

弱音を吐き続ける私に、理一は「そんな事ない」と言った。

「・・・・・・だって俺の自慢彼女だから。」

上を向くと、白い歯を見せて、ニカッと笑う理一がいた。私の大好きなその笑顔が、私に何百年分もの勇気をくれる。

そうだ。私は理一のただ一人の彼女。私はこれ以上、理一を悲しませるような事はしちゃいけない。

私は腕でゴシゴシと目を擦った。

背中を真っ直ぐに伸ばして、堂々と理一に言った。


「うん! 私は理一の・・・・・・理一の最高の彼女だから! 」


私は理一に飛び切りの笑顔を見せる。理一は少し涙ぐんでから「おう! 」と笑った。


夕日に見守られながら、理一はこの世界から消滅してく。

塵一つ無くなった彼の体を、私は最後まで見ている事しか出来なかった。


最後まで取り残された私は、白い光に包まれる。心の中で何度もありがとうと言い続けながら、私の意識は遠のいていった。


——私、この町に居られて、幸せだったよ。


そしてようやく、この稲倉町を覆っていた霧が少しずつ晴れ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る