第5話 温かい町が大好きで


涙は、いつの間にが止まっていた。真っ赤に腫れた涙袋が、ヒリヒリと痛む。

稲倉町にある小さな公園。『ペンギン公園』と名付けられたその場所で、私はブランコに腰を下ろしていた。

優しくも冷たいそよ風がブランコを小さく揺らして、ギィィと鉄の音が響く。

これからどうしようか、なんて空っぽの頭で考えていると、誰かの足音が近付いてくるのを感じた。

その足音は段々と速度を落として、荒い息遣いが耳に残る。

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・見つけた。」


低くて、でも柔らかなその声に、私は心当たりがあった。

上を見上げ、憎しみの目で彼の名前を呼ぶ。

「——理一。」

私の顔が、理一の影に覆われる。

彼は何も言わずにただそっと、私に手を差し伸ばした。

私はその手を見つめて、再び理一を睨みつける。

「何の真似? 」

いつもより低く冷たい声で、私は問いかけた。

偽物のくせに。化け物のくせに。心の中でそんな憎悪が膨れ上がる。

そんな私を見て、理一は優しく微笑んだ。

その瞳は何処か切なげで、写る私の顔が酷く醜く思えた。

「安曇は、この稲倉町が普通と違うって思ってるんだよね。」

秋の日差しが、理一の顔をほんのり赤く照らす。眩しさに目が眩みそうになりながら、私はコクリと頷く。

理一は悲しそうに目を細めて、私に提案した。

「ねえ、安曇。今からデートしよう。デートして、それから・・・・・・。」

言葉を詰まらせ、何かを必死に押し殺そうとする理一を見て、私は察してしまう。けれど、私は理一がそれを言ってくれるまで何も言わなかった。

きっと、理一が言わなくちゃ意味をなさないと思ったから。

理一は少し潤んだ瞳で苦しそうに笑って見せる。


「——それから、全てを終わりにしよう。」







左手から、理一の熱を感じる。気が付けば、辺りは静寂に包まれていた。

まるで私と理一しか居ない世界みたいなで、心が少しザワつく。

最後のデートは、稲倉町を見て回る事だった。町に一つしかない駅。元気なお婆さんがいつも迎えてくれる駄菓子。テスト勉強で、お世話になった図書館。他にも色々。

その間、理一は私の手を一度も離さなかった。いつもより理一の熱が伝わってきて、私の心を締め付ける。

違う、この人は理一のフリをした化け物だ。

そう頭では分かっていても、私はこの人と何度も口づけをした。愛の言葉を贈り合った。

私は間違いなく、この人に『好き』という感情を抱いたのだ。

私達の間に会話は無く、ただ二人で足を動かす。ふと理一の足元を見ると、少しずつスピードが落ちている様に感じる。

言わなくても分かった。


——もうすぐ、終わりなんだ。


嫌だ。まだこの人と、理一と一緒に居たい。私の中でそんな想いが膨らんでいく。

つい数時間前まで、あんなに嫌っていたのに。怖くて憎くてたまらなかったのに。

まだ、あと少しだけ。このまま手を握って居たい。

そんな願いは、音も無くあっという間に崩れていく。


突然、理一は足を止めて私の手を離した。

上を向くと、そこは校門前。

私は理一の意図が分からず立ち止まっていると、彼は先を歩き出した。

「行こう。皆が待ってる。」

暗く冷たい声で私を誘う。身体中の熱が一気に冷えて、私の心を引き締めた。

理一の後を追う様に、私も一歩踏み出す。向かう先は校舎ではなく、学校のグランドだった。

そして私は、自分の前に広がる光景に目を疑う。


クラスメイトだけでは無く、家族や近所のお婆さん、図書館の職員、駅員など沢山の稲倉町民が、一同に連なっていた。

そしてその先頭にいる愛佳の隣に理一が並ぶ。

「・・・・・・何、これ・・・・・・。」

状況を把握出来ない私を前に、理一は静かに口を開けた。


「安曇、君が望む通り全てを打ち明けるよ。例えそれが間違った選択だとしても。」


そうだ、これは私が望んだ事。

私が、今目の前に広がる皆を否定して拒絶して。嫌って妬んで・・・・・・。でももうすこしだけ待って欲しかった。

私の心はまだ準備が出来ていないのに、愛佳や理一の表情は決心の現れだった。

真剣で、真っ直ぐで、でも何処か苦しそうな顔を見たら、私の心は揺らいでしまう。

そんな私をまるで見ていないかの様に、理一は息をゆっくり吸った。


「安曇、俺達は・・・・・・稲倉町民全員は・・・・・・」




それは、茜色に染まる時。私が知りたかった、稲倉町の真実が、紐解かれていく瞬間だった。



「——もう、死んでいる。」

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