第59話 ドライブ彼女

 忙しい年度末を終えて、あっという間に新年を迎えた。

 さらにそこからジェットコースターのように忙しい日々が続き、気が付けば二月の第一金曜日になっていた。


 仕事を終えて、琢磨は自宅へと戻り、駐車場から車を取り出して、いつものように横浜駅へと向かう。

 横浜駅前にあるコーヒーチェーン店。

 ここに来るのも何回目だろうか?


 歩道と側道のところに、トレンチコートを羽織った見慣れた姿を見つけて、車を脇に止める。


「お待たせ」

「お仕事お疲れ様、琢磨さん」


 由奈はいつものように助手席に乗り込んできて、コートを脱いでからシートベルトを装着する。


「今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「ん? ついてからのお楽しみ」

「えぇー教えてよぉ」

「じゃあ、い・い・と・こ・ろ」

「えっ、まさかいきなり最初からホテルとか……!?」

「ちがうわ! 最初はちゃんとしたところだよ!」

「じゃあ、目的地に着いた後はどこに行く予定なの?」

「そ、それはまあ……流れに任せる」

「じゃあ、いいところに行こ?」


 ためらいもなく誘ってくる由奈に、琢磨はどもりながらも「お、おう」と答える。


「ふふっ……琢磨さんってそういう所はまだ初心だよね」


 そう言って、由奈は顔を近づけてきて、琢磨の頬にキスをする。


「由奈が嵌め外しすぎなんだよ……ったく」


 と言いつつも、今度は琢磨の方から、由奈のその柔らかい唇へ吸い込まれるように口づけを交わす。


「だって、この前言ってくれたじゃん。次ヤル時は、俺のことで私の体全体マーキングするまで寝かさないからなって!」

「はいはい、言いましたね」

「あー恥ずかしくて逃げた―」

「逃げてねぇ。ってか、俺はそんなこと言ってないし」

「言ったよ! ヤられたらヤり返す。100倍返しだ! って!」

「そんなこと言うかアホ!」

「あはははっ、まあそれは冗談として。でも琢磨さんとすると、ぼわーって幸せが溢れてくるのは本当だよ!」

「へいへい、幸せそうで何よりです。いいから出発するぞ」

「ホテルに?」

「ちげぇよ!」


 そんな他愛のない会話を交わしながら、目的地へと向かう。

 この一カ月半、琢磨と由奈は信じられないくらい忙しいタスクをこなした。

 まずは年末に由奈が帰省するのについて行き、由奈のご両親への突撃訪問挨拶。

 由奈が年上の社会人彼氏を連れてきたことで、ご両親は驚きのあまり卒倒しかけていた。


 由奈と出会った経緯や、事故の件。彼女とのいきさつをすべて話し、どうにかしてお付き合いを許可してもらった。

 それから、今度は琢磨の実家に向かい、両親に由奈を紹介。


 琢磨側は、由奈のような可愛らしい年下の彼女を連れてきたことで、変な悪徳業者に騙されているのではないかと心配される始末。

 全く、少しは息子のことを信頼してほしいものだ。


 それからすぐ、由奈と琢磨は違う意味でも息子で繋がった。

 まあ、何かは察してほしい。


 年始が明けると、お互い仕事と期末試験で忙しくなり、金曜日の夜以外はあえない日々が続いた。

 そして、ようやく会社の繁忙期も終わり、由奈も試験がひと段落したこともあり、こうしてまたゆっくりとドライブデートが出来ている。


 ちなみに、彼女になった途端。由奈はめっちゃ甘えるようになった。

 すぐに隙を見計らっては手を繋いできたり、事あるごとにキスも平気でしてくる。


「流石に人前では自嘲しようよ」


 と琢磨が躊躇うように宥めても、


「だって、次いつ会えるか分からないんだよ? その分の愛情をこの期間中に充電しておかないと! それと、琢磨さんが私以外の女の子にひょいひょいふらつかないようにマーキングしてるの!」


 とか言って、人前でも平気で見境なくキスをしてくる。

 ただのバカップルにしか見えないから、人前でのキスだけは本当に勘弁してほしい。


 琢磨のライフが削れていくから。

 とまあそんな感じで、実に充実した深い一カ月半を過ごした。


 そして、今日のドライブは、由奈の留学前最後のドライブになる。 

 琢磨と由奈にとって最後のデート。


 車を走らせて向かった先はもちろん――


「着いたぞ」

「わぁー……なんかこの光景も久しぶりだね」


 そんなことを言いながら車から降りて、建物内に入って最上階へと向かう。

 最上階の飲食店街を抜けて、展望デッキへと出ると、そこに広がっている光景は、海と遠くの方に光り輝く街の光。


 琢磨と由奈が初めて出会った場所であり、思い出の地である海ほたるPA。


 あれから一年近くの時を経て、今こうして琢磨は、由奈と一緒に舞い戻ってきた。


「最初、ここでコーヒー飲みながらぼおっとしてた琢磨さんに、私から声掛けたんだよね」

「そうそう。最初はいけすかねぇ女子大生だなとか思ってたなぁ」

「えー酷い! 最初の私のイメージそんなんだったの!?」

「そりゃまあ、海ほたるにヒッチハイクで遊びに来るようなもの好きな奴なんていないからな」

「むぅ……確かにそうだけど……あの時は私だって色々と病んでたし」

「まあ、そうだろうな」


 あの時は琢磨も、やりたいことなんて何もないただの社会人の端くれだった。


「私の心を傷つけた罰として、琢磨さんにはキスをご要望します」

「えぇ……」

「いいから、んっ!」


 顔を上に向けて、目を瞑り、キスをせがむ彼女。

 周りに人がいないことを確認してから、琢磨はゆっくりと由奈に口づけする。


 由奈はそれで満足したのか、ニヤニヤと嬉しそうに顔をほころばせていた。

 ちょっと、由奈さん? あなた少しチョロ過ぎませんかね?

 海外なんて、挨拶でキスするのが当たり前なんだから、キスの一つや二つで呆けてたら数が足りませんよ?


「いや、ちょっと待て。それってつまり、見知らぬ不埒な男どもが由奈の頬にキスをするということだよな? 許せん!」

「琢磨さん、心の声が口に出てるよ」

「えっ? あぁ、すまん」


 めっさ恥ずかしい!

 声に出してたなんて!

 顔を手で覆い隠して、その場からいなくなりたい気分だった。


「安心して、私は琢磨さん以外の男の人に興味ないから。それに、自分のやりたいことのために留学するんだし、他のことにかまけてる暇なんてないよ」

「そ、そうだよな……」

「ふふっ……実は琢磨さんの方が私より嫉妬深いかも?」


 にやけるように笑う由奈。


「それはない」

「またまたー真顔で否定しなくてもいいじゃん。私の事大好きだもんね!」


 ウインクしながら意地悪めいた笑みで言ってくる由奈。

 けれど、事実だから何も言い返せないのが悔しい。


 海風と波しぶきの音と車の走行音が響くだけの静けさ深まる夜闇の海ほたる。

 空には、羽田空港を離陸した飛行機たちが、それぞれの目的地に向かって飛び立っていて、改めて由奈との別れを感じてしまう。


「ほんと、色んな事があったな」

「そうだね」


 付かず離れず、それでも時には勝手に勘違いしたり、早まって喧嘩したり、仲直りしたりして、関係を構築してきて、結果として付き合い始めた。

 これは神様のいたずらが起こした運命の出会いだったのかもしれない。


「ねぇ、最後にあの鐘鳴らしていこうよ」

「あぁ、いいぞ」


 二人は鐘の前まで行って、二人でこれからの成功を祈って鐘を数回鳴らした。

 東京湾の真ん中に鳴り響く鐘の音。

 木霊するような静けさに、どこか神聖めいたものを感じる。


「また戻ってきたら、鳴らしに来ような」

「うん、そうだね……」

「ホント、今まで俺のドライブに付き合ってくれてありがとな」

「どうしたの、急に?」


 きょとんと首を傾げる由奈に、琢磨は思いにふけるように語り出す。


「いや、なんか急に感慨深くなってな。この海ほたるで出会った女の子と、今こうして付き合ってるのが信じられないというか。不思議な気持ちでさ」


 すると、由奈が琢磨の袖口をくいっと掴んできた。


「不思議じゃないよ。だって私は、琢磨さんのドライブ彼女なんだから!」


 パッと明るい笑顔でそんなことを言って見せる由奈。

 そうだ。

 こうして海ほたるで出会って、色んな事を経験して、今はこうしてまた、彼女を助手席に乗せて旅に出る。

 琢磨にとって由奈が遠くに行ってしまおうが、ドライブ彼女という不思議な関係性は、変わりはないのだ。

 これからも、例え離れ離れになったとしても、この不思議な縁から始まった恋は、続いていきますように……。

 そんなことを思って、東京湾の夜の海を眺めた。


「そろそろ行くか」

「うん……」


 琢磨は由奈にそっと手を差し出す。

 由奈も琢磨が出した手を取って、恋人つなぎをする。


「よっし! 今日は朝まで寝かせないからね!」

「だから、そんなはしたない言葉を公共の場で言うな!」


 こうして二人のドライブデートは、さらに愛を深めながらも、幕を閉じた。



 ※※※※※



 こうして、数年の時を経た。


 ここは、羽田空港第三ターミナル。

 

 駐車場に車を止めて、到着ロビーで彼女を待つ。

 腕時計を見れば、既に予定ならば飛行機は到着している頃。


 しばらく近くの椅子に座って待っていると、到着ロビーの出口から、輝くような笑顔を浮かべた女性が、彼を見つけて駆け寄ってきた。

 数年前に見た時よりも、ずっと綺麗で、大人びた顔立ちになっていて、琢磨の心をドキッとさせる。


 そして、彼はにこりと微笑んで優しく声をかける。


「おかえり由奈」


 一方の彼女も、今までで一番の屈託のない笑みを浮かべて、溌剌とした声で答えた。


「ただいま、琢磨!」


 こうしてまた、二人は本物の恋を、培っていくのであった。


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