第21話 大学での彼女

「ただいまー」


 部屋の中に声をかけても、返事を返してくれる人はいない。

 無機質な部屋に帰宅して、私はベッドに寝っ転がる。

 今日も怠惰で長い一日が終わろうとしていた。

 毎日単純作業のように流れて行く私の日常。

 それでも耐えられているのは、一週間の終わりに楽しみが待っているから。


 明日は金曜日。

 琢磨さんとのドライブの日。

 それを考えるだけで、勝手に私の顔はにやけてしまう。


 今度は、どこに連れて行ってくれるのだろうか?

 きっと琢磨さんのことだから、また人気の少ない地味なところなのだろうけど、どこか目的地にも趣があって、最近ではそれを考えるのもちょっと楽しみになっている。

 すると、ピロンとスマートフォンのメッセージが鳴る。


 あまり人から連絡が来ることも無いので、誰からだろうと思って見れば、居間頭の中で考えていた人物からだった。

 先日連絡先交換をしたものの、こうしてメッセージが来たのは初めてで、なんだろうと少しドキドキする。

 けれど、メッセージの内容を見た瞬間、私の目の色はほの暗いものに変わった。


 書かれていたのは、『明日は一緒にドライブに行けない』という述べ。


 琢磨さんも、変わり者ながら歴とした社会人。

 急な飲み会や仕事の予定が入ってしまうのは仕方ないこと。


『わかった! 残念だけど、また来週だね』


 私は当たり障りのない返信を返した。

 すぐに琢磨さんから


『ごめん』


 と一言だけ返信が返ってくる。


『気にしないでいいよ! 社会人なら、急なお誘いとかあるだろうし!』

『ありがとう、そう言ってもらえると助かる』

『うん! だから、明日は楽しんできてね!』


 数回メッセージをやり取りして、私はスマートフォンをベッドに置くと、大きなため息が漏れ出た。


「楽しみにしてたのになぁ……」


 そんな独り言を無意識のうちに呟いてしまう。

 私にとって一週間の楽しみを奪われ、一気に何もする気が起きなくなった。


 ふと頭の中で考えるのは、琢磨さんの事。

 趣味のドライブが出来ないということは、仕事関係の何かだろうか?

 どういった理由で、ドライブが出来なくなったのか、ちゃんと聞いておけばよかったなと今さらながら後悔する。

 もし……私よりも大事な人との用事だとして、仮にそれが他の女性とのデートであるならばと考えた途端、私の心の中にモヤモヤとした雲のような蟠った何かが突っかかる。

 そこで、ふと我に返り、ふっと虚しい空笑いが出てしまう。


「って、こんなことあるわけないかっ! 私、何考えてるんだろう!」


 自分の腕で目元を覆う。

 金曜日の夜に、琢磨さんと約束を取り付けているのは私。

 だから、琢磨さんには私のことを一番に優先してほしいなどと、しょうもない独占欲を覚えてしまっていた。


「はぁ……ほんと、何考えてるんだろう私」


 もう私にとって琢磨さんは、ただの一週間の楽しみではなく、他の違う感情も抱いていることを薄々感じてしまった夜になった。


 けれど、まさか琢磨さんが後ろめたい気持ちであのメッセージを送っていたとは、由奈にとっては知る由もない。



 ※※※※※



 網香先輩とのドライブデート当日。

 琢磨は完全に浮足立っていた。


「先輩なんだか嬉しそうですね。何かいいことでもありました?」

「ん、そうか? そう見えるか?」

「はい、なんかいつもよりテンション高くて、正直言って気持ち悪いです」

「ひでぇなおい……」


 谷野に軽く引かれても、今日の琢磨は動じることはない。

 なぜならこの後、網香先輩との待ちに待ったドライブデートなのだから。



 ※※※※※



 今日は、大学のゼミナール生と一緒に商品開発を行っている新製品の試作品を届けに行き、今後の新商品発売に向けての意見交換と今後の予定の打ち合わせも兼ね、琢磨と谷野は都内にある京北大学を訪れていた。


「社会人になって大学のキャンパスに来るとは思ってなかったですよ」

「まあ、うちは結構大学と提携して商品開発とかもしてるから、これからも時々行くことになると思うぞ」

「そうなんですねー」


 琢磨と谷野はキャンパスの入り口から正面通りをスーツ姿で歩き、来校者受付へと向かう。

 谷野は初めて来る大学のキャンパスに心躍らせているらしい。落ち着かない様子で辺りをぐるぐると見渡している。


「やっぱりみんな輝いて見えますよねー。自由というか、何にも縛られていないというか」

「あぁ……そうだな」


 大学生は基本、単位さえとれていれば、刑犯罪を起さない限り基本的には何でも許される。

 髪色だって服装だって個人の自由。

 まさに、自分の思い通りに生きていける環境が整っている。


「先輩は大学生の時どんな学生でした?」


 ふと興味本位で谷野が尋ねてくる。


「今とあまり変わらねぇよ。真面目に授業受けて、普通に単位取ってた」

「サークルとか入ってなかったんですか?」

「特に入ってなかったな」

「なんか、先輩の大学生活つまらなさそうですね」

「失礼だなお前……大学とは別に専門学校も通ってたから、当時は忙しかったんだよ」


 すると、谷野は驚愕の表情を向けてくる。


「えっ、先輩ダブルスクールしてたんですか?」

「あぁ……まあな」

「なんか、先輩が超人なんじゃないかって思えてきました」

「なんだそれ? そういうお前は、普通にサークル楽しんでそうだな」

「はい! だって私、サークル内では一番ちやほやされてもてはやされてましたから!」

「それ、自分で胸を張って言うことじゃないだろ……」


 まあ、谷野は会社でも上層部から気に入られるほどだ。

 大学で学んだ術を、社会でも生かしているのだろう。


 そんなお互いの大学時代の話をしつつ、来校者受付のある建物へと向かう。

 イベントや就活などで、スーツを身につけて登校する機会も多いからか、すれ違いざまに琢磨たちを気に掛けて目を留める学生は誰もいない。

 ガラス張りに張っている休憩スペースのようなところを見れば、皆各々が友達とおしゃべりに興じたり、一人で参考書を開いて勉強したりと好きなことをしている。


 受付カウンターへ向かう道の途中に、木々の中にひっそりとたたずむ東屋のようなところがあった。

 そこで、一人の女子学生らしき子が、ひっそりと昼食を取っている姿が目に留まる。

 琢磨はちらりとその姿を見た直後、その顔に見覚えがあることに気づき、思わず二度見して立ち止まってしまう。

 突然立ち止まったことで、後ろを歩いていた谷野が背中にぶつかる。


「ちょっと、先輩。どうして急に止まるんですかー!?」


 谷野の憤慨する声で、東屋にいた彼女がこちらを見上げる。

 自然と目が合い、琢磨は彼女の名前を口にした。


「由奈……」

「琢磨さん……」


 お互い、どうしてここにいるのかというような視線を向け、呆然と立ち尽くす。

 それを見て、谷野は琢磨と由奈を交互に見渡す。

 

 すると、由奈ははっと我に返ったように立ち上がり、ぺこりと会釈してから食べていた昼食をビニール袋に突っ込んで、逃げるように去ってしまう。


 琢磨はただ、由奈が去っていく後姿を口を開けて見つめていることしか出来ない。

 ドライブ以外での由奈を、琢磨はまるで知らない。

 

 琢磨はこの時、由奈に対して、何か大きな勘違いをしていたのではないかということに気が付いた。

 

 その時、スーツの袖をくいくいと引っ張っぱられた。

 顔を向けると、谷野が不機嫌そうな表情で首を傾げている。


「あの子、先輩のお知り合いですか?」


 谷野に問われて、琢磨はなんと返答すればいいか困った。


「あぁ……えぇっと、まあ。俺のドライブ仲間的な感じだ」

「ドライブ仲間?」


 谷野は眉をひそめ、納得のいかない表情をする。

 琢磨と由奈の関係性を一言で言い表すのは難しい。

 だから、琢磨は自分の持っている心の虚しさを口にした。


「寂しい者同士の、ひとときの現実逃避だよ」

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